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お手伝いさんたちのブログ

中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

体罰孝(6) 学校教育法と文部省通達



体罰のことをすでに5回も書いてきましたが、その時に、普通なら最初に書くべきこと「法律ではどのように決まっているのか?」を示しませんでした。今回の問題は「ジックリ考える」ことが大切なので法律から始めると「こう書いてあるじゃないか」ということで終わりになってしまうからです。



現実的にも学校教育法で「体罰はいけない」という事になっていて、その「体罰」の内容を文科省の初等中等教育局長が「指示」をしているという形になっているのです.つまり、教育をする上で、教育をする先生がもっとも良く理解しておかなければならないことを、現場の教育の経験も無く、教育もしていないお役人が先生に指示しているという形なのです.



私も中央教育審議会の専門委員としての経験を持っていますが、このような通達を出す時には委員会などで先生方の意見を聞くのが普通ですが、それは形式的に過ぎず、常に「事務局案」=「お役人の案」があり、事前に主要な先生に根回しをして会議を開きますから、いい加減なのです.




余り示したくないのですが、局長通達を示しました. 「教室に子どもを残す」、「立たせる」、「掃除をさせる」、「当番をさせる」、「叱って席に着かせる」などです。あたかも体罰の種類を示しているようで、実は「当たり障りの無いものだけ」を書いてあります.



実際には「叱っても席に着かない場合はどうするか」、「子どもに自覚させるために、何回も立たせているのに直らない」などの場合や、2013年1月に起こったスポーツ部の体罰のように「現実の問題」はすべて回避しています.そして、ここに書かれていること以外のことを先生がしたら文科省は「通達に含まれていなければ禁止された体罰です」と言います.



教育の目的は子どもを立派にすることであり、文科省の利権を守ったり、責任逃れのために教育をするのではありません。現場で本当に問題になること、それを議論しなければならないのです。



・・・・・・・・・



日本人の多くが「世界の国には文部省がある」と思っていますが、文部省がある国も多くは無く、また日本のようにこんな事を通達する文科省などアジアの一部にはありますが、先進国では考えられないことです.



先進国の文科省では、たとえば体罰問題の場合は、先生方に「体罰と教育効果」とか「世界の体罰に対する考え方」などの資料を配り、勉強会を促し、先生自体の見識を高めるようにします。



フランス流というのをここでも紹介しましたが、「教育をする先生方の力を上げることが大切」と明言していて、日本のように先生の上司のような顔をして、指示命令するなどという考えはありません。日本ではどちらかというと先生を「馬鹿にする」という傾向があります。



なんでも「通達」で命令され、それに反するとマスコミがバッシングし、先生をバカにするということが続けば、先生の質が落ちてくることは当然です.つまり日本の現状は「文科省、自治体、教育委員会、マスコミ、国民」がよってたかって先生を追い込み、押しつけ、時間や資料をサービスせず、ただ文句を言って教育の質を下げているということです。



少し言い方を変えれば、国民が悪い教育を希望していると言うことになり、先生もそれに応じて少しずつ悪くなっているというのが現状です。まずは文科省を無くすことが日本の教育改善の第一歩で、現場の先生に良い教育を促す権限の無いサービス機関に変えるのが最善です.



文科省の存在は大学の研究にも大きな歪みをもたらしていますので、それはまた機会を見て書きたいと思います.


(平成25年1月16日)





--------ここから音声内容--------





えーすでに体罰の事を五回ほど書いたんですけども、普通なら最初に書くべき事を実は、故意にと言いますか、えーと、考える上で6回目に出す事にしますが・・・。



これは、法律ではどのように体罰が決まっているかということですね。あのぉ、テレビとか見てますと、何か体罰に関する法律が無いように(思ってしまいがちですが)まあ、誰でも自由に考えられるということは良い事なので、それでスタートしたのですが、実は法律にもちゃんと書いてあるわけですね。





どういう風に書いてあるかって言うと、学校教育法の第十一条で、体罰はいけないと書いてあるんですね。しかしですね、このことを言うとですね。懲戒は良いけども、体罰はいけないと決まってるんだと、こんなことを言う人が出て来てですね、いったい懲戒とはどういうことか、とか体罰とはどういうものかっていうのを議論しなきゃいけないっていう、まあ複雑な事になってしまうので、実はやってなかった(取り上げていなかった)ということで・・・。





で、もう一つはですね。体罰の内容をですね、文部省の役人が指示してるしている形になっているっていうことですね。本来、体罰はどういうことか、とか教育はどうするのかっていうことは先生とかご父兄、まあ保護者ですね、が非常に知っている必要があるのに、じつは教育経験も無く、教育もしていないお役人が先生に指示しているという形なんですね。ですから、まあ非常に問題があるという。





とまあ、こういう風に私が言いますとね、必ずですね、「いや、そんな事ありませんよ。お役人じゃありませんよ、ちゃんと教育審議会で審議してますから、先生方のご意見を受けて・・・」って言うんですけどね・・・。私も実は中央教育審議会の専門委員をやってたわけですが、こういう通達を出す時の委員会を開かれてもですね、一応先生方の意見を聞くんですけれども、それは形式的なんですね。事務局案っていうのは用意されてましてね、それはお役人の案なんですよ。それがですね、なぜ覆らないのかって言いますと、事前にですね、そこに出席する主要な先生には根回ししてあるんですよ。いわゆるボスの先生に。だから、僕なんかが言ったって覆らないんですよ。それに対する言い訳を永遠と聞くだけなんですね。





これは原子力委員会の安全委員とかそういうのもそうでした。私がちょっと言いますとね、3分質問すると、20分答えがかえってくるとまあ、言い訳の答えが返ってくるんで、どうにもならないんですね。そういう仕組みなんです。なので、あまり示したくないんですが、ここに一応局長通達を示しました。





えーそうしますと、教室に子どもを残したり、立たせたり、掃除させたり、当番をさせたり、叱って席に着かせるっていうのは体罰ではないというう風に書いてありますね。これを見ますとね、普通の人騙されちゃうんですよ。まあ、教育やっているような人だったら大丈夫なんですが・・・。





あーなるほどちゃんと文科省がですね、学校教育法第十一条で懲戒と体罰の区別をし、体罰についてはちゃんと局長通達でこういうことが体罰だと書いてあるじゃないかと、それにしたがえば良いじゃないかというような人がですね、日本では出てくるんですね。まあ、先進国の中でも、そういう意見が出てくるのは日本だけだと思うんですけどね。





二つ問題があるんですね。ひとつは、体罰っていうのはこういう時に起こるんじゃないんですよ。叱っても席に着かない場合どうするかとか、こういうことなんですね。それから、何回立たせてもなおらない時にどうするかっていうことなんですね。





普通、まあ、叱っても席に着かないんで、いくら言っても席につかないんで、襟首を持つとか、まあ、昔だったら、定規で手のひらをピシンと叩くとかあったんですね。じゃあ、叱っても席に着かない場合どうするかということが決まってなければいけない。しかし、こういう事はですね、非常に個別具体的なので、文部省通達なんかでどうにもならないんですよ。




もちろん今度起こったスポーツ部の体罰の事なんかでも、ここに全然書いてないですよね。

それは、現実の問題を回避しているわけですね。で、こういったことが起こったら文科省は簡単なんですよ。「通達に含まれていなければ体罰です」と言えば終わりなんですね。





つまり、こういった通達は文科省ばかりではないんですが、文科省の利権とか責任逃れの為に作られている場合が多いんですよ。現場で本当に問題になる事をですね、きちっと議論するなんてことはないんですね。





この問題は、どうしてこういう問題になるかと言うと、しかし文科省はですね、国のお役所ですから、このくらいしか書けないよという事になる事もあるんですけども、だからですね、文部省のある国っていうのはそんなに多くないんですね、例えばアメリカはもちろん文部省ありません。それからフランスの説明も(先回)しましたが、一応文部省っていうのはあるんですよ、あるけども日本のような文部省と全然違うんですよ。





(フランスの文部省は)通達なんかしないんですね。たとえばですね、体罰の問題について文部省があったとしますとね、先生方に体罰と教育効果についての、いろんな資料を配るとか、世界の各国で体罰っていうのはどういう風に考えられているのかという様な資料を配るんです。先生方に(資料を配ったり)あと勉強の時間を取ったりして、先生方に勉強を促すわけですね。





つまり、教育っていうのはですね、ほんとうに外側だけは、法律とか通達でいけるんですけども、現実に子どもを相手にするっていうのは、まあ、子どもをお育てになったこのブログをお読みになっている方もよくわかると思うんですけどね。本当に個別具体的なんですよ。

子どもにおいて、家庭においてはこういう時はこうすべきだなんて言ったって、全然(現実と)違うわけですね。





で、フランス流っていうのをここでは紹介しました。まあ、フランスの文科省ははっきり言ってるんですよ。「我々が指示するんではない、教育をする先生方の力を上げる事が大切だ」と言ってるんですよね。





日本はですね、文科省が先生の上司のような顔をして指示してるんですね。どっちかっていうと、先生を馬鹿にしてるんですよ。なんでも通達で命令されますね、先生は。それに、反するとマスコミがバッシングします。それで先生方を馬鹿にするっていうことをずうっと続けてるわけですね。





まあ、こういう事を続けてれば当然先生の質が落ちるわけですよ。親をね、子どもの育て方っていうのを事細かに、おしめの替え方からですね、だだをこねてデパートのお菓子売り場でだだをこねる人はこうしなさいと書いて、それ以外の事をすると親としての正しい事をしてないなんて言われたら、ほんと親はダメになっちゃいますね。





ですから、言ってみればですね、日本の現状っていうのは文科省と自治体、教育委員会、マスコミ、国民が寄ってたかって、先生を追い込み、押しつけ、現在はそうですね。スポーツ部の先生のやり方は少し行き過ぎてますけども、それに対して国民がやってる事は何かっていうと、先生を追い込み、押しつけ、時間や資料のサービスをするわけじゃない。ただ文句を言って、教育の質を下げているわけですね。





少し変な言い方ですけども、もう一回、言い方を変えればですね。「国民が悪い教育を希望している」っていう感じなんですよ。そして、それに応じて先生方も少しずつ悪くなっていくわけですね。悪い先生が良いんだ、先生は何も考えるなと、通達を読めとまあ、こんな事になるんですね。





ところが、現実の教育はそうじゃありませんから。やっぱり先生の能力を上げていくっていうことですね。今度のスポーツ部の問題もですね、もしかすると先生が口ではうまく言えなかったのかもしれませんね。自分の経験だけで教育をするとですね、やっぱり苛立たしいので、つい手をあげてしまったのかもしれません。これが常態化して、現象では行き過ぎたと。いう風な感じかも知れませんね。





だからあくまでも子どもに良い教育をさせる為には、やっぱり先生が立派になってもらわなきゃいけないですね。だから、今の様にとにかく・・・わたしはこの通達を出したくなかったのは、通達が問題なんですよ。なんでもかんでもですね、文科省・・・文科省っていうのは全然教育している人がいないんですよ。ほとんど経験者いないんですよね。その人たちが現場なんかなんにも知らないのに、通達を出して、その通達も非常に巧みなんですよ、いつも責任逃れの通達なんですね。





その通達を出して、先生方はそれをバッシングすると、マスコミにですね、教育評論家みたいな知ったかの人が出て来てですね、先生が悪いと、こう言うわけですね。で、みんなで先生を馬鹿にする。こんなことを続ければですね、親を馬鹿にしたり、先生を馬鹿にしたらですね、やっぱり、ダメな親、ダメな先生が出てくるんですね。だから私には、本当にわざとやっている様に感じられます。





それから、ちょっと話しが別なのでもう一回別の機会にしたいと思うんですが、実は大学の研究にも、日本には文科省があるので非常に歪んでいるんですね。これ、歪んでいるのはグラフを見て一目瞭然っていうグラフもありますので、なんかの機会に書きたいと思います。





私は人生の前半は民間にいてですね、研究をしていて、後半大学の研究とか教育に携わってきたわけですが、そういった私から見ますとですね、現場に力がつかなくてどうなるの?っていう感じなんですよね。その現場で良い研究をしようと思ったら、良い研究をこういう風にしろ!と言っても無理なんですよ。やっぱり、研究する人の力が上がらないといけないんですよね。





一つ前にわたしはですね、実はその、大阪市の市長がどんどん指示を出してるのは本当ですか?と。学校を悪くしたのは誰だったんですか?もし、大阪市に権限があるなら、今までの大阪市の行政が悪かったんですよね。ですから、大阪市の行政はどこが悪かったのか。学校は何が悪かったのか。各々のところを反省しないとですね。上に立つものが下に立つものをただ叱るだけ。で、私は上に立つものでも、下に立つものでもないと思うんですね。役割の分担が違うだけですね。





大阪市長が学校に指示するってことは出来るんですかね。日本では常にこういう事になっちゃうんですよね。これは民主主義ではないっていうことですね。お殿様がいるっていうことですね。民主主義っていうのはそういうことじゃなくて、それぞれの人たちがその力を持っているというわけですね。





まあ、原子力発電所の問題もそうですけど、原子力発電所の安全の問題っていうのは、安全委員会がOKしなければ、実際、アメリカとかちゃんとしたところはできません。日本の場合は安全委員会が反対しても、首相が決める。つまり、首相はお殿様ですね。





昔だったら、お殿様が全権を持ってるんですけども、民主主義の社会ではそうじゃないんですよ。学校の教育は先生が責任を持つと。で、先生がちゃんと出来るように、市立大学であれば大阪市とか、国立大学だったら文科省が、良い研究をできる環境とか、そいうものを整えるっていうそれぞれの役割なんですね。





ですから、そこらへんが、今回はあまり曖昧になってますし、これが延いては原子力発電所の事故に繋がったり、地震の予知ができなかったりするといういろんなですね、日本の現在の歪みを生んでます。ですからまあ、いろいろな問題が起きているわけですから、この際ですね、日本がですね、まだ封建時代から脱皮してないとお殿様世界だという事をですね、もう少し改善しないと、こういった難しい問題を改良することは難しいと考えております。


(文字起こし by まさんちゅ)

なぜ日本人は子どもをひばくさせたか?(4)必死の注水の理由 (1/24)




2011年3月12日、原発事故が起こった時、日本中が青くなり、自衛隊がヘリコプターで必死に上空から水を掛けた. その後も必死の防御作業をした。あれは何だったのだろうか? どんな事が起こると思ったのだろうか?



以下、政府、原子力安全委員会、保安院、東電などが、今まで言ってきたことと、事故後、発表したことが事実なら、「たいした事が起こらないことがわかっているのに、大げさな防御を必死でした」という実に奇妙な結論になる. これは原発の安全性と再開問題に大きな課題を残す.



福島原発は軽水炉で、水で中性子を減速している。だから原子炉の温度が上がり水が蒸発すると水蒸気になるので、減速せず核分裂は止まる.これを「固有安全性」といって政府や電力がくり返し原発が安全だという理由に使っていたことだ。



しかも地震の時に緊急停止して制御棒(ホウ素)が入っている。だから制御棒が中性子を吸収するのでまったく核分裂はしないはずだ。



そうすると、大きな危険は、水と金属が接して金属が腐食して水素を発生することによる水素爆発だけである. 原子炉内は次々と水素が発生するので、それを建物内に抜いている間は、建物上部で爆発する可能性があっても、原子炉は爆発しない。



そして、1,3,4号機が水素爆発し、2号機からの大量の放射線が破れた窓からでたのだから、核爆発が起こらなければ、福島の状態が軽水炉における「最大の被害」ということになる。この「最大」というのは政府や電力がこれまで言ってきたことが正しいとすれば最大になるという意味だ。



ところが、爆発後に政府はスピーディーの結果を発表せず、福島県は1年100ミリまで大丈夫と言った.つまり、原発は冷やしもせず、必死の防御をしなくても、問題は無かったということになる。それなのに首相は福島の東電社員に事故後、「命をかけて***を守れ」と言った。何を守れと言ったのだろう???



第一に「軽水炉は水が無くなり、制御棒が入っても核爆発する」ということなら、他の原発は絶対に再開できない.



第二に「1年100ミリシーベルトまで大丈夫」と言うのがウソなら、政府、自治体などの責任が問われるし、再開に当たっても基準を合意しておかなければならない。



その他の理由もあるだろう. でも今の所、この二つが主である.マスコミが騒いだ「メルトダウン」というのは水素爆発より軽い事故になるので(スリーマイル島事故はメルトダウン)、マスコミは言葉にとらわれて誤解しているが、メルトダウンは福島事故より1000分の1ぐらいのことしか起こらない.



そうすると、政府などのうろたえぶりは何を怖がったのだろうか? まして、福島県や日経新聞の論調から言って、日本の中枢部は「今回の福島原発では健康被害はでない」と考えているらしい.そうすると、あの事故の時に何を恐れたのだろうか?



くり返すが、現在の状況以上のことが起こるということは、「核爆発」だが、チェルノブイリ以来、日本の原子力関係者は「チェルノブイリと軽水炉は違う。制御棒が入らなくても固有安全性があり、制御棒が入れば万全だ」と言ってきたが、事故が起こったとき、何が起こると思ったのだろうか??



もし、日本の原子力専門家が「もっと恐ろしいことが起こる」と恐れたとしたら、原発再開はできない。もしあるなら、まずは「何を恐れたのか?」をハッキリさせて欲しい。私は「水素爆発すると1年1ミリを超える」と考えたので避難を呼び掛けたが、1年100ミリならゆっくり避難しても大丈夫だからだ.



事件直後、あらゆるマスコミが連日、トップで報道した.それが2年たって全くといって良いほど報道されていない. その間に何が変わったのか? 今こそ、「原発を再開する」ことに抵抗のない原子力科学者、電力関係技術者が自らの信念をもって社会に「なぜ、あれほど苦労して注水したのか?」を明らかにすべき時である。



おそらくは事故直後は「1年1ミリ以上の被曝になるから大変だ」と思い、それを防ぐことができなかったので、「1年100ミリ」と言い出したと思います。そんなウソつきなら原発は全くできません。


(平成25年1月24日)





--------ここから音声内容--------





えーと福島原発事故は、もうすでに政府の調査委員会報告なんかも出て、ま、ケリが付いたようになっておりますが、まぁ全くおかしなことがいっぱいある訳ですね。これを解決しておかないとですね、まぁ次の、再開とかそういった問題に我々考えられることができない訳ですね。で、ちょっと思い返していただきますと、2011年3月12日に原発事故が起こった訳ですが、日本中が青くなりましたですね。大変だと狼狽えたわけですね。まぁそりゃあ、あの爆発を見たらそう思いますね。





しばらくたってテレビにはですね、自衛隊がヘリコプターを上空に飛ばして、被曝をしながら…自衛隊員が被曝しながら、必死に上空から水をかけておりました。ま、その他もですね、消防署なりなんなりが突撃してですね、防御をしました。あれは何を防御したんでしょうかね。どんなことが起こるから何をしなきゃけないと思ったんですかね。主には『冷やす』っちゅうことをやってますけど、なんで冷やさなきゃいけなかったんでしょうか。





これについてですね、この記事では、政府原子力安全委員会、保安院・東電などが今まで言ってきたこと、一応ですね事実として考えますとですね、『大した事が起こらない事が解っているのに、大げさな防御を必死でした』という実に奇妙な結論に到達する訳ですね。もしそうであれば、原発の安全性、若しくは再開問題に大きな課題を残すことになりますので、この問題はですね、原子力技術者を中心にして、よくよく考えて、国民にあきらかにしておかなければいけない問題だと思います。





まずですね、福島原発は実は軽水炉という形でですね、普通の水で中性子を減速しております。中性子を減速して初めて核爆発が、核反応ってのが連続する訳ですね。ですから、原子炉の温度が上がって水が蒸発しますと、水がなくなって水蒸気になります。水蒸気はもう中性子を減速しませんので、ここで核分裂が止まる訳ですね。だから、『この軽水炉は安全だ』と言ってた訳です。





なぜ安全かというと、暴走して温度が上がれば中の水が蒸発する、中の水が蒸発すれば、核反応は止まるから、自動的に止まるんだと・・・。これに対して黒鉛炉とかですね、その他の炉では暴走することがあるんだと・・・。ま、これを『負のボイド効果』とも言ってましたし、または全体としては、『固有安全性』と言ってた訳ですね。これで、日本は『軽水炉』やってんだと、だから安全なんだと言うことを、政府や電力は繰り返し主張してた、主な理由だった訳です。





で、しかも今回の場合ですね、地震の時に緊急停止して、『制御棒』、これはまぁ、ホウ素を中心としたものですが、これが入っております。したがって更に『制御棒』が中性子を吸収しますので、第一に水が蒸発してしまう、まぁ、蒸発しなくても『制御棒』が中性子を吸収する・・・。どっちでも核分裂はしないんですね。そうしますと次の危険性は、今度起こった様な水と金属が反応して、ま、金属の側に水素が、酸素が付きますからね、腐食して水素が発生する。これは水素爆発するということですね。





しかし、原子炉の中では元々空気はありませんし、それから水素をどんどん発生しますから、気体ですからね、気体っつうのはそんなに原子炉の中にどれもこれも入れとくってことできませんから、酸素が少なくなりますから、ま、水素爆発しませんよね、ほとんど、まぁ、原子炉中には酸素無いと思うんですね。そうすっと、それを水素がうんと原子炉にたまりますと原子炉の圧力が高まりますので、それをなんとか方法で抜く訳ですね。





抜きますとそれは建物の上部で溜まれば爆発する可能性があるんですが、原子炉は爆発しません。だから、亀裂が例えば入ってもですね、空気中の酸素が逆流するってことは、あまり無いですね。っつうのは、原子炉の中は圧力が高いですから、だから、圧力の低いっていうか、1気圧、大気圧の建物の中の酸素が原子炉の中に入るってことはほとんどありません。だから原子炉は爆発しないってことになりますね。で、実際には1号機、3号機、4号機は結構大きな爆発をして、それから2号機も窓が破れてたので大量の放射線が漏れましたね。放射性物質が漏れました。





だから、今回の問題はですよ、核爆発が起こらなければ福島の状態って言うのが、軽水炉における最大の被害ということになりますね。つまり、これをですね、今まで政府とか電力が言ってきたことを考えれば、今回の漏れですね、80京ベクレルの漏れが最大になってしまうんですよ。ところが、最大漏れたにも関わらずですよ、政府はスピーディに結果を公表しなかったですし、福島県は1年100ミリまで大丈夫だと言ってるんですね。





そうしますと、原発は冷やさないほうが良かったっちゅうことになるんですよね、えぇ。防御なんてしなくてよかったと、言うことになる訳で、そうすると、首相が福島の原発の東電社員に、事故の後ですね、『命を懸けてなんとかを守れ』なんて言ってた訳なんですけども、その『なんとかを守れ』って、なんとかってコレ何なんですかね。何を守るんですかね。






まず『第一に軽水炉は水が無くなって制御棒が入っているので核爆発しない』と。ま、嘘だとこれは。軽水炉は水が無くなって制御棒が入っても核爆発するということであれば、もちろん今まで言ってたことは全部嘘で、これは科学的には無いと思いますけど、他の原発は絶対に再開できない訳ですね。





もう一つは、『1年100ミリシーベルトまで大丈夫』ってのが嘘であると。どっちかが嘘じゃないとですね、えー、爆発・・じゃ・・その、事故後、あんなに必死になって人が近づく必要はないんですよ。どうなるか解らないなんてことはありませんからね。原子炉が、その、水が切れたらどうなるかなんてことはもう、充分に、シビアアクシデント検討で、研究でやってる訳ですから。だから、この位になるって解ってた訳ですよ。





私は、『1年1ミリシーベルト』以上に被曝しちゃいけないと思いますので、必死に防御しなきゃいけないと思います。特に『1年100ミリシーベルト』って言うならですね、別に、あの、危険を冒して自衛隊とか消防署が近づかなくったっていいんですよ。そのままにしときゃいいんですから。





それから、一時東電の社員が、原発から逃げたいと言ったって言うんですけど、逃げる必要ないんですよ。水素爆発しかしないんですから。あれ、『核爆発する』っていう可能性があるんだったらば、絶対逃げなきゃいけないんですけど、だけど、それは『ない』と繰り返し言ってるんですからね。





現在その検討している…再開の為の検討している規制委員会の基準でも、『核爆発はしない』事が前提になってるんですよね。だから、どう、何を騒いでるんですかね。この『メルトダウン』ってのはマスコミが騒ぎましたけども、これは大したことはないです。で、スリーマイル島事件が『メルトダウン』ですけどね、典型的な。これはもう、水素爆発よりかはずっと軽いんですよ。要するに一番ひどいのが『核爆発』、『原子炉の核爆発』、次が今度の様な『水素爆発』、・・ずーと軽いのが『メルトダウン』ですね。





なんか、『メルトダウン』っていうのが、まぁ、文科系の人はよく解らないんでしょうかね、なんか大騒ぎになるもんですから、なんか、『地球を抜ける』なんていうのは、んなことは嘘ですからね。嘘を本当のことのように言っちゃいけないんですから。




そうすると問題は、政府がなぜ狼狽えたのか・・・っちゅう事ですね。『なぜ狼狽えたのか』、今に至っても福島県とか日経新聞はですね、『1年100ミリまで大丈夫』だと言ってる訳ですから。何を恐れたんですかね、えぇ。チェルノブイリの様な事は起こらないと今まで言ってきた訳ですね。じゃあ心配無いんですよ。『1年100ミリ』ならもう全然『100ミリシーベルト』の被曝なら全く問題ないですよ。100ミリシーベルトまで行きませんから、爆発しても。『水素爆発』ならですね。普通はいきません。





どうしてでしょうか、あの当時、マスコミが連日のように報道し、しかも、報道統制で4号機の爆発映像まだ公開されてないという・・・。こんなことしたら恐ろしいから、国民が反原発になっちゃうからって、隠しに隠さなきゃなんないほどの事故であれば、なんで、『大丈夫』なんでしょうか。『大丈夫』だということと、あれだけ必死にやったっていうことの関係は、どういうことなんでしょうかねぇ。





私はですね、えー、私は原子力をやって、もうこりゃダメだと、あの映像を見てもうダメだと思いましたけど。我々は間違ったと思いましたけど。今でも原発を再開するということに進んでいる原子力の科学者、電力関係の技術者はおられるんですけど、やっぱり、この方々はですね、日本国に住んでおられるんですから、やっぱ国民のためにですね、自らの信念に基づいて、『なぜあれほど苦労して注水する必要があったのか』 、『どういう事故が起こると思ってたのか』、1年100ミリですからね、今、いいんですよ、1年100ミリまでいいってみんなが言ってるんですからね、私、全然自分のことは関係ないんですけども、『武田は1年1ミリと言って危険を煽る』なんて言われてる訳ですから、ほかの人は別の基準なんですよね。





で、別の基準の時に、福島(原発)になんであんなに必死になって水をかけなきゃいけなかったのか、『核爆発』、『水素爆発』、『メルトダウン』以外に何が起こると思っていたのか、っていう事ですね。何か起こると思ってなかったらあんなに必死に水かけませんよ。別に普通にほっときゃいいんですから。じゃ、ほっといたらどうなったのか。例えばですね、窓を破るってことがあった訳です。2号機がそうですね。窓を破ればそっから水素が出ていきますから、水素爆発の危険性が大幅に減る訳ですけども、窓を破りゃぁよかったんですね。そしたら水素が次々と空気中に出てくだけですから・・・。





だから、あの時私たちは何を防ごうとしたのか。私は恐らくね、あの『1年1ミリ』っていうのは解ってたと思うんですよ。だから、それ以上になることを防ごうと思ったんです。ところが防ぎきれなかったので、今度は嘘ついて、『1年100ミリ』と言い出したんじゃないかと思うんですね。もしそうだったら、これはもう国民に対する裏切りです。もし、こういう裏切りをやるんだったら、原子力はもうやる資格がありませんね。





だからどっちなのか、何が問題だったのかを、やっぱりこれはね、批判する方が言うのではなくて、推進する方がやっぱり口を開くべきだと思います。それによって、原子力は信頼を得られるかもしれません。


(文字起こし by SANBO)

体罰孝(5)先生と自治体主張・・・方向が違う (1/14)




市長より寿司職人が握った寿司の方がうまい。
市長より学校の先生の方が子どもの教育は優れている。



学校の先生がまずいことをした原因の一つは、市長の「学校運営に関する政策」が悪いからだ。



市長が優れているのは教育では無く、市立の学校の教育がうまくいくための全体の政策であって、個別の教育内容では無い。



日本の小学校、中学校の教育が歪んでいるのは文科省の利権のため(次回に解説します)だから、市長の役割は「市立学校の教育が混乱していることについて、文科省と検討する」ことであって、決して教育委員会や先生を圧迫することではない。



事件を起こした先生を罰することはたやすいが、事件が起こらないことや、教育を改善することが難しいのだ。



だいたい、15年ほど前鳴り物入りで「ゆとりの教育」を始め、数年で撤回した文科省や自治体に教育を論じる資格などない。



私たちの子どもは大切だ。だから、子どもは「親と先生」で教育をするべきで、自治体や文科省は出てきてもらっては困る。



弱い者イジメは止めた方がよい。だいたい、東電が怖くて「子どもを被曝させても健康を心配しない」自治体に教育を論じる資格は無い。


(平成25年1月14日)





--------ここから音声内容--------





体罰孝も五回目になりましてですね。私のブログのシリーズとしては大変に長寿を保っておりますが(笑)今日は、先生と自治体の市長、市長さんとか町長さんとか、そういったような関係をお話をしたいと思いますが。





えー、最近テレビを見てますとですね。大阪で起きた不祥事(体罰によると言われている高校生の自殺問題)について先生は全然表に出てきません。それから、教育委員会は頭を下げとりまして、市長さんはテレビの前で怒り狂っておりました。「何人も使って、徹底的に調査し、何だったら潰すぞ」と言っておりますが、こういうことは非常に危険なんですね。





何が危険かをここでお話をしたいと思いますが、単純な例から言いますとですね。一般的に市長さん、例えば大阪市長でも名古屋市長さんでも、どこの市長さんでもいいんですが、市長さんが握ったすしよりも、すし職人が握ったすしのほうがうまいんですよ。これ、なんでですかね?





市長さんとすし職人のどっちが偉いかっていうと一般的には、すし職人より市長さんの方が偉いんですよ。じゃあ、偉い人が握ったすしがなんでうまくないのかっていうと、すしを握るにおいては、すし職人の方がうまいんですよね。





じゃあ、市長さんと学校の先生と比べて、子どもの教育はどっちが優れているかというと、学校の先生が優れております。どんな市長さんが偉くても、(例えば)総理大臣が偉くても、ですね、やっぱり小学校の教育は小学校の先生が優れております。これはお寿司の職人と一緒ですね。専門職っていうのは誰でもが出来るものでもありません。





で、今度の事で、学校の先生がまずい事をしたとしますね。生徒さんが亡くなったわけですから、これはもうまずい事としますとね。その原因は先生の指導もありますよ。しかし、もう一つは市長の、学校の政策が悪かったからってことなんですよね。





学校の教育って言うのはその先生だけが責任があるっていうわけじゃないんですよ。どういう学校を造り、どういう教育をするっていうのは別の所で決まったりしますね。それに基づいて先生は具体的な事をします。それから今度の場合でもスポーツをやってる子どもを学校が就職させる時に、ま、大学に推薦入学をさせる時に、ある成績をとってないと推薦入学できませんね。そういったシステムにも問題が在ったわけですよ。





つまり、今度の体罰の事件というのは、具体的な体罰をした先生は「体罰をした」ということが悪いかもしれません。しかし、それ以外に、社会だとか、教育システムだとか、文部省とか、市長さんとか悪くなかったのかと。いうと、やっぱり悪かったんですね。それぞれの担当の所で悪かったんですよ。





市長さんは、自分の担当の所の学校がそれを起こしたと、深く反省して、私には言う資格が無いというのが正しいんですよ。市長が優れているのは教育じゃないんですよ。市長を我々が投票するのは、市の運営に対して優れているからなんです。例えば大阪市の学校に問題が起きたらですね、それは大阪市の政策が悪いんですよ。個別の教育内容も悪かったんですが、大阪市の政策も悪いんですよ。市長がやるべきなのは大阪市の政策を変える事であって、事件を起こした学校を非難することじゃないんです。





私はですね、現在の小学校・中学校の教育が歪んでるわけですが、これは文部省の利権の為ですね。これは次回に解説をします。私も教育関係ですから。





それから、市長の役割ですね、それは、私立学校の教育が混乱している事について、文部省と検討する事であって、決して自分より弱い立場の教育委員会とか先生を圧迫する事ではありません。つまり弱いものいじめはいくらでも出来るんですね。事件を起こした先生を罰するとか、そういう事は出来るんですが、事件がまた起らない様にするとか、教育を改善するのは非常に難しいんですよ。そっちをやってほしいんですね。





市長さんは、先ほども言った様に、お寿司を握ってもお寿司はうまくないんですよ。要するに、教育は学校の先生の方が上なんです。市長さんが政策を失敗したんですよ。こういう事が起らない様に市立学校なら市立学校、大阪市の管理する学校をちゃんとするのが大阪市の役割であって、先生の採用試験が問題であったり、なにか自分の方(市の運営)のほうに非があるんですよね。





だいたい、教育関係者って言うのは今度の事で、事故を起こした先生をあんまり非難できないと思うのはですね。たとえば今から10年から15年ほど前に、鳴り物入りでゆとりの教育っていうのを始めましたよね。あれ、やったのは文部省とかそういうのみんなそうですよ、それが(それを)数年で撤回したんですよ。





文部省とか自治体は大きな顔できないんですよ。我々、非常に教育に対してダメだと思って、反省しなければいけないんですよね。あれで子ども達もですね、何か言われると「わたしゆとりの教育の世代ですから」なんて言ってですね、自分を卑下したりしてますよ。本当に可哀想な事をしましたね。





私たちは子どもが大切なんですからね、こどもは親と先生で教育をすべきなんですよ。自治体や文部省は我々が、親と先生が、教育をしやすいシステムを造ったり、お金を出してくれたりするのは大切ですよ。今度の事でももしかしたら、もしかしてですよ、体育の設備が不足してたり、先生に対する給料が安くて人格の優れた先生の数が少なくなってたりするのかもしれませんね。





事実、OECD先進国の中で、日本はもっとも初等中等教育の税金負担が少ないんですよ。これだけを取り上げるわけにはいかないんですが、そういう意味では、なにやってんの大阪市長は、充分にお金出したのかと。えらい貧弱じゃないのと。そんな貧弱な事してたらなかには、十分な先生がいないかもしれないし、それからその中では嘘が蔓延したりですね、レベルが下がったり、するんじゃないかと。それは大阪市の責任なんじゃないですか?私はこう思うんですけどね。





私はですね、ある物事が起ったら、起こった本人(当事者)だけでは解決しないから、そうじゃなくてそのことは何故起こったかと考えるのが上の人なんですよ。お寿司がまずかったら、職人を叱り飛ばしてもダメで、なんでこんなまずい寿司を作る職人を雇ったのかなと、どういうシステムが悪かったのかなと思うべきなんですね。まして自分がすしを握る事なんかできないんですからね。だから、そういうことをよく考えなければいけないと思います。





非常に弱いものいじめの社会になりましたね。これは一昨年の原発がそうでしたね。いままで放射線は怖い、被曝はいけないと山ほど言ってた人たちが東電が怖いので、子どもを被曝させても、健康に心配ないと180度転換したわけですね。これが実は文部大臣であり、文部省であり、教育を担当している市長さんとか、自治体の長だったわけですから。わたしはこの現状を二年前に見てましたからね。ああなんて事だと。思いましたね。





それから見れば、今度の事件が良いとか悪いとかではなくて、学校の先生の方がずっと立派ですよ。だから、そういう状態をですね、わたしはどういう風に考えるか、といううことですね。毎日の様に大阪市長さんがガンガン言ってるのを聞いてですね、あなた少し方向違うんじゃないの?と、思いますね。大阪市長さんともあろう人だったら、もう少し全体を上から見て、割合と教育の問題は続くわけですからね、不祥事が。何故、何故こういう不祥事が続くような学校システムを造ったのか。私も深く反省しております。と(言って欲しいですね。)




まあ、教育現場は教育現場で、今度のことを片付けてもらい、(市長)私は私で文部省と話しをして、日本の学校教育をもっとよくするように、努力をしたいと。現在わたしが認識している問題点は、例えば予算が少ないとか、校舎が悪いとか、まあ、体育会系の問題については、就職とか大学入試が、えー、インターハイに出たら無関係に大学に入れると、他の人は学力で一生懸命勉強しなければならない。こういった事態をどう考えるのか。その為には若干の行き過ぎも起こってしまう。それをどういう風にするのかと。





というようなことを大阪市がやるべきことを中心に、やっぱり(テレビなんかでも)言って欲しいと思いますね。私はそう思います。これは偉い人が特に気をつけなければいけないと私は思っております。

(文字起こし by まさんちゅ)