体罰孝(6) 学校教育法と文部省通達
体罰のことをすでに5回も書いてきましたが、その時に、普通なら最初に書くべきこと「法律ではどのように決まっているのか?」を示しませんでした。今回の問題は「ジックリ考える」ことが大切なので法律から始めると「こう書いてあるじゃないか」ということで終わりになってしまうからです。
現実的にも学校教育法で「体罰はいけない」という事になっていて、その「体罰」の内容を文科省の初等中等教育局長が「指示」をしているという形になっているのです.つまり、教育をする上で、教育をする先生がもっとも良く理解しておかなければならないことを、現場の教育の経験も無く、教育もしていないお役人が先生に指示しているという形なのです.
私も中央教育審議会の専門委員としての経験を持っていますが、このような通達を出す時には委員会などで先生方の意見を聞くのが普通ですが、それは形式的に過ぎず、常に「事務局案」=「お役人の案」があり、事前に主要な先生に根回しをして会議を開きますから、いい加減なのです.
余り示したくないのですが、局長通達を示しました. 「教室に子どもを残す」、「立たせる」、「掃除をさせる」、「当番をさせる」、「叱って席に着かせる」などです。あたかも体罰の種類を示しているようで、実は「当たり障りの無いものだけ」を書いてあります.
実際には「叱っても席に着かない場合はどうするか」、「子どもに自覚させるために、何回も立たせているのに直らない」などの場合や、2013年1月に起こったスポーツ部の体罰のように「現実の問題」はすべて回避しています.そして、ここに書かれていること以外のことを先生がしたら文科省は「通達に含まれていなければ禁止された体罰です」と言います.
教育の目的は子どもを立派にすることであり、文科省の利権を守ったり、責任逃れのために教育をするのではありません。現場で本当に問題になること、それを議論しなければならないのです。
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日本人の多くが「世界の国には文部省がある」と思っていますが、文部省がある国も多くは無く、また日本のようにこんな事を通達する文科省などアジアの一部にはありますが、先進国では考えられないことです.
先進国の文科省では、たとえば体罰問題の場合は、先生方に「体罰と教育効果」とか「世界の体罰に対する考え方」などの資料を配り、勉強会を促し、先生自体の見識を高めるようにします。
フランス流というのをここでも紹介しましたが、「教育をする先生方の力を上げることが大切」と明言していて、日本のように先生の上司のような顔をして、指示命令するなどという考えはありません。日本ではどちらかというと先生を「馬鹿にする」という傾向があります。
なんでも「通達」で命令され、それに反するとマスコミがバッシングし、先生をバカにするということが続けば、先生の質が落ちてくることは当然です.つまり日本の現状は「文科省、自治体、教育委員会、マスコミ、国民」がよってたかって先生を追い込み、押しつけ、時間や資料をサービスせず、ただ文句を言って教育の質を下げているということです。
少し言い方を変えれば、国民が悪い教育を希望していると言うことになり、先生もそれに応じて少しずつ悪くなっているというのが現状です。まずは文科省を無くすことが日本の教育改善の第一歩で、現場の先生に良い教育を促す権限の無いサービス機関に変えるのが最善です.
文科省の存在は大学の研究にも大きな歪みをもたらしていますので、それはまた機会を見て書きたいと思います.
(平成25年1月16日)
--------ここから音声内容--------
えーすでに体罰の事を五回ほど書いたんですけども、普通なら最初に書くべき事を実は、故意にと言いますか、えーと、考える上で6回目に出す事にしますが・・・。
これは、法律ではどのように体罰が決まっているかということですね。あのぉ、テレビとか見てますと、何か体罰に関する法律が無いように(思ってしまいがちですが)まあ、誰でも自由に考えられるということは良い事なので、それでスタートしたのですが、実は法律にもちゃんと書いてあるわけですね。
どういう風に書いてあるかって言うと、学校教育法の第十一条で、体罰はいけないと書いてあるんですね。しかしですね、このことを言うとですね。懲戒は良いけども、体罰はいけないと決まってるんだと、こんなことを言う人が出て来てですね、いったい懲戒とはどういうことか、とか体罰とはどういうものかっていうのを議論しなきゃいけないっていう、まあ複雑な事になってしまうので、実はやってなかった(取り上げていなかった)ということで・・・。
で、もう一つはですね。体罰の内容をですね、文部省の役人が指示してるしている形になっているっていうことですね。本来、体罰はどういうことか、とか教育はどうするのかっていうことは先生とかご父兄、まあ保護者ですね、が非常に知っている必要があるのに、じつは教育経験も無く、教育もしていないお役人が先生に指示しているという形なんですね。ですから、まあ非常に問題があるという。
とまあ、こういう風に私が言いますとね、必ずですね、「いや、そんな事ありませんよ。お役人じゃありませんよ、ちゃんと教育審議会で審議してますから、先生方のご意見を受けて・・・」って言うんですけどね・・・。私も実は中央教育審議会の専門委員をやってたわけですが、こういう通達を出す時の委員会を開かれてもですね、一応先生方の意見を聞くんですけれども、それは形式的なんですね。事務局案っていうのは用意されてましてね、それはお役人の案なんですよ。それがですね、なぜ覆らないのかって言いますと、事前にですね、そこに出席する主要な先生には根回ししてあるんですよ。いわゆるボスの先生に。だから、僕なんかが言ったって覆らないんですよ。それに対する言い訳を永遠と聞くだけなんですね。
これは原子力委員会の安全委員とかそういうのもそうでした。私がちょっと言いますとね、3分質問すると、20分答えがかえってくるとまあ、言い訳の答えが返ってくるんで、どうにもならないんですね。そういう仕組みなんです。なので、あまり示したくないんですが、ここに一応局長通達を示しました。
えーそうしますと、教室に子どもを残したり、立たせたり、掃除させたり、当番をさせたり、叱って席に着かせるっていうのは体罰ではないというう風に書いてありますね。これを見ますとね、普通の人騙されちゃうんですよ。まあ、教育やっているような人だったら大丈夫なんですが・・・。
あーなるほどちゃんと文科省がですね、学校教育法第十一条で懲戒と体罰の区別をし、体罰についてはちゃんと局長通達でこういうことが体罰だと書いてあるじゃないかと、それにしたがえば良いじゃないかというような人がですね、日本では出てくるんですね。まあ、先進国の中でも、そういう意見が出てくるのは日本だけだと思うんですけどね。
二つ問題があるんですね。ひとつは、体罰っていうのはこういう時に起こるんじゃないんですよ。叱っても席に着かない場合どうするかとか、こういうことなんですね。それから、何回立たせてもなおらない時にどうするかっていうことなんですね。
普通、まあ、叱っても席に着かないんで、いくら言っても席につかないんで、襟首を持つとか、まあ、昔だったら、定規で手のひらをピシンと叩くとかあったんですね。じゃあ、叱っても席に着かない場合どうするかということが決まってなければいけない。しかし、こういう事はですね、非常に個別具体的なので、文部省通達なんかでどうにもならないんですよ。
もちろん今度起こったスポーツ部の体罰の事なんかでも、ここに全然書いてないですよね。
それは、現実の問題を回避しているわけですね。で、こういったことが起こったら文科省は簡単なんですよ。「通達に含まれていなければ体罰です」と言えば終わりなんですね。
つまり、こういった通達は文科省ばかりではないんですが、文科省の利権とか責任逃れの為に作られている場合が多いんですよ。現場で本当に問題になる事をですね、きちっと議論するなんてことはないんですね。
この問題は、どうしてこういう問題になるかと言うと、しかし文科省はですね、国のお役所ですから、このくらいしか書けないよという事になる事もあるんですけども、だからですね、文部省のある国っていうのはそんなに多くないんですね、例えばアメリカはもちろん文部省ありません。それからフランスの説明も(先回)しましたが、一応文部省っていうのはあるんですよ、あるけども日本のような文部省と全然違うんですよ。
(フランスの文部省は)通達なんかしないんですね。たとえばですね、体罰の問題について文部省があったとしますとね、先生方に体罰と教育効果についての、いろんな資料を配るとか、世界の各国で体罰っていうのはどういう風に考えられているのかという様な資料を配るんです。先生方に(資料を配ったり)あと勉強の時間を取ったりして、先生方に勉強を促すわけですね。
つまり、教育っていうのはですね、ほんとうに外側だけは、法律とか通達でいけるんですけども、現実に子どもを相手にするっていうのは、まあ、子どもをお育てになったこのブログをお読みになっている方もよくわかると思うんですけどね。本当に個別具体的なんですよ。
子どもにおいて、家庭においてはこういう時はこうすべきだなんて言ったって、全然(現実と)違うわけですね。
で、フランス流っていうのをここでは紹介しました。まあ、フランスの文科省ははっきり言ってるんですよ。「我々が指示するんではない、教育をする先生方の力を上げる事が大切だ」と言ってるんですよね。
日本はですね、文科省が先生の上司のような顔をして指示してるんですね。どっちかっていうと、先生を馬鹿にしてるんですよ。なんでも通達で命令されますね、先生は。それに、反するとマスコミがバッシングします。それで先生方を馬鹿にするっていうことをずうっと続けてるわけですね。
まあ、こういう事を続けてれば当然先生の質が落ちるわけですよ。親をね、子どもの育て方っていうのを事細かに、おしめの替え方からですね、だだをこねてデパートのお菓子売り場でだだをこねる人はこうしなさいと書いて、それ以外の事をすると親としての正しい事をしてないなんて言われたら、ほんと親はダメになっちゃいますね。
ですから、言ってみればですね、日本の現状っていうのは文科省と自治体、教育委員会、マスコミ、国民が寄ってたかって、先生を追い込み、押しつけ、現在はそうですね。スポーツ部の先生のやり方は少し行き過ぎてますけども、それに対して国民がやってる事は何かっていうと、先生を追い込み、押しつけ、時間や資料のサービスをするわけじゃない。ただ文句を言って、教育の質を下げているわけですね。
少し変な言い方ですけども、もう一回、言い方を変えればですね。「国民が悪い教育を希望している」っていう感じなんですよ。そして、それに応じて先生方も少しずつ悪くなっていくわけですね。悪い先生が良いんだ、先生は何も考えるなと、通達を読めとまあ、こんな事になるんですね。
ところが、現実の教育はそうじゃありませんから。やっぱり先生の能力を上げていくっていうことですね。今度のスポーツ部の問題もですね、もしかすると先生が口ではうまく言えなかったのかもしれませんね。自分の経験だけで教育をするとですね、やっぱり苛立たしいので、つい手をあげてしまったのかもしれません。これが常態化して、現象では行き過ぎたと。いう風な感じかも知れませんね。
だからあくまでも子どもに良い教育をさせる為には、やっぱり先生が立派になってもらわなきゃいけないですね。だから、今の様にとにかく・・・わたしはこの通達を出したくなかったのは、通達が問題なんですよ。なんでもかんでもですね、文科省・・・文科省っていうのは全然教育している人がいないんですよ。ほとんど経験者いないんですよね。その人たちが現場なんかなんにも知らないのに、通達を出して、その通達も非常に巧みなんですよ、いつも責任逃れの通達なんですね。
その通達を出して、先生方はそれをバッシングすると、マスコミにですね、教育評論家みたいな知ったかの人が出て来てですね、先生が悪いと、こう言うわけですね。で、みんなで先生を馬鹿にする。こんなことを続ければですね、親を馬鹿にしたり、先生を馬鹿にしたらですね、やっぱり、ダメな親、ダメな先生が出てくるんですね。だから私には、本当にわざとやっている様に感じられます。
それから、ちょっと話しが別なのでもう一回別の機会にしたいと思うんですが、実は大学の研究にも、日本には文科省があるので非常に歪んでいるんですね。これ、歪んでいるのはグラフを見て一目瞭然っていうグラフもありますので、なんかの機会に書きたいと思います。
私は人生の前半は民間にいてですね、研究をしていて、後半大学の研究とか教育に携わってきたわけですが、そういった私から見ますとですね、現場に力がつかなくてどうなるの?っていう感じなんですよね。その現場で良い研究をしようと思ったら、良い研究をこういう風にしろ!と言っても無理なんですよ。やっぱり、研究する人の力が上がらないといけないんですよね。
一つ前にわたしはですね、実はその、大阪市の市長がどんどん指示を出してるのは本当ですか?と。学校を悪くしたのは誰だったんですか?もし、大阪市に権限があるなら、今までの大阪市の行政が悪かったんですよね。ですから、大阪市の行政はどこが悪かったのか。学校は何が悪かったのか。各々のところを反省しないとですね。上に立つものが下に立つものをただ叱るだけ。で、私は上に立つものでも、下に立つものでもないと思うんですね。役割の分担が違うだけですね。
大阪市長が学校に指示するってことは出来るんですかね。日本では常にこういう事になっちゃうんですよね。これは民主主義ではないっていうことですね。お殿様がいるっていうことですね。民主主義っていうのはそういうことじゃなくて、それぞれの人たちがその力を持っているというわけですね。
まあ、原子力発電所の問題もそうですけど、原子力発電所の安全の問題っていうのは、安全委員会がOKしなければ、実際、アメリカとかちゃんとしたところはできません。日本の場合は安全委員会が反対しても、首相が決める。つまり、首相はお殿様ですね。
昔だったら、お殿様が全権を持ってるんですけども、民主主義の社会ではそうじゃないんですよ。学校の教育は先生が責任を持つと。で、先生がちゃんと出来るように、市立大学であれば大阪市とか、国立大学だったら文科省が、良い研究をできる環境とか、そいうものを整えるっていうそれぞれの役割なんですね。
ですから、そこらへんが、今回はあまり曖昧になってますし、これが延いては原子力発電所の事故に繋がったり、地震の予知ができなかったりするといういろんなですね、日本の現在の歪みを生んでます。ですからまあ、いろいろな問題が起きているわけですから、この際ですね、日本がですね、まだ封建時代から脱皮してないとお殿様世界だという事をですね、もう少し改善しないと、こういった難しい問題を改良することは難しいと考えております。
(文字起こし by まさんちゅ)