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お手伝いさんたちのブログ

中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

教育論 私なりの理解(2) 男女論 (10/22)




性善説なら進歩を善とするので科学になるが、性悪説なら退歩になり、その学問が哲学である、



理性の中には悪が棲み、自然の中に善が宿る

マスコミ、文科省、知識人がダメなのは理性に基づいているから



男性は未来型、作るもの

女性は現在型、できているものをそのまま維持する、



女性は教育に口を出してはいけない、女性は未来を見ず、不安だから、



未来は明るくなければ教育はできない。


(平成24年10月22日)




--------ここから音声内容--------




教育における男と女の役割ってのは、相当違うことは違うんですね。これが男女の根本的なものか、それとも後天的なものかってのは、議論して尽きないもんでありますが…その前にちょっとこの前の「基本的な文化論」の続きをしたいと思うんですが。





まぁ日本の場合は、自然の中でできてきたと。それは、性善説である。だから、これは進歩を善とするので「科学」というものになるんですが。性悪説…まぁ西洋的な考えであれば、退歩になって、その代表的な学問が哲学がある…と。「哲学は何の意味もないが、科学は意味はある…進歩をもたらすから」っていうことですね。





哲学は自分の頭の中で考えますから、その枠から出ることができませんけれども、科学は実験を伴ったり、トライ・アンド・エラーを伴うので、進歩をもたらす…ということですね。これは、戸塚先生の哲学の基本を成すものであります。





また更に、「理性の中には悪が住み、自然の中には善が宿る」とお考えになっております。つまり、自然というのは長い淘汰の歴史の中で、善というものが勝ちを収めてきて、現在の人間に至っていると。それをですね・・・理性で否定するというようなことがおこると、そこに悪が住むんであるということですね。マスコミであるとか、文科省とか、知識人が駄目なのは、理性に基づいているからであると。もうすこし、実践と自然に帰るということがこの社会を良くするし、また教育も良くなる…という基本的な考えであります。





また教育においては、男性はどちらかというと「未来型」でありまして、作っていくものでありますが…女性は「現在型」であって、できているものをそのまま維持するという特徴を持っているという風にお考えですね。教育というのは、もちろん未来を作るもんであります…子供の未来を作るもんでありますから、男性が担当するべきものであるってことですね。





女性は目の前にかわいい子供がいるとですね…可哀想な子供がいると…「可哀想ね、可哀想ね…」って言ってしまう。それでお母さんが抱いてくれる、それは子供にとって、とても大切なことなんですが、同時に教育をするというわけにはいかない…ということなんですね。





これはですね、実は先ほど言いましたように、男性本来・女性本来のものなのか、それとも後天的なものなのか議論があります。たとえば、ウーマンリブは平等なものであるといい、坂東昌子さんなんかの性差の科学というのは、「性による差というのは、やっぱりありうるだろう、というのを科学しよう」という考え方であります。





しかし、戸塚先生のお考えを聞いていますとね、そういう本質的な男女の問題とかはいうのはあるけれども、目の前に子供がいるんですよね。その子供を現実に教育するのは、現在のお父さんであり、現在のお母さんなんですね。だから、男は本来どういうものか?女は本来どういうものか?って議論をしても、あまりそれは役に立たないかもしれない。





つまり、現在の男性は、「現在の男性として生まれ、また育ち、性格を持っている」訳ですね。それは、女性も同じです。したがって、男性とは本来どういうものであるか?という議論はなくして、現在の典型的な男性、現在の典型的な女性という意味ではですね、男性が教育を担当するということは非常に望ましい。なぜかってったら、教育は未来のものだからと、いうことですね。





それから…もう一つは、「不安に基づいて教育すると、教育はうまくいかないんだ」ということで、女性はどうしても将来に不安を持つもので、駄目なんだというお考えもあります。「未来が明るくなければ教育はできない」ということがですね…教育の基本にある。それはそうですね。





戸塚ヨットスクールで自殺した方がおられる。なぜ自殺したか、それは将来に希望を持てないからだと…こういうことですね。それは、現代の社会がもたらしたものである…ということですね。現実に不登校だとか引きこもりとかなるのはですね、お父さんがひ弱だったり、お母さんが力を持ったり、母子家庭だった場合に多いっていうんですね。それは、別に母子家庭が悪いとか、そういうことを先生は言われているんじゃないと思いますね。現実にそうであると。





じゃあ、子供のことを考えれば、「男は本来どうであるかとか、女は本来男と同じだから…」とかいくら言っても、現実にはそうではなくて、その被害を受けるのは子供なんだと、ここんとこに、戸塚先生の焦点があると私は思いましたね。まぁ外から見ますと、多少乱暴な様に見えます。「教育は男しかだめなんだ、女は口出しちゃいけないんだ」って…こう言われますからね。





現在では誤解を招くかもしれませんが、しかし、男女が平等であるってことを主張するあまり、被害を受けるのは子供なんだってことですね。だからもう少し、別の言い方をしますと、私流に言えばですよ…女性が教育に口を出すなら、そうなってから口を出してくれっていうことなんですね。つまり、子供のことを第一に考えれば、現在を認めて子供を教育しないと、もともと男と女は平等なんだ…平等は平等ですよ…平等は全然良いんですが…まったく平等なんですが…同じものだという風にして教育にあたると、子供に犠牲がでる…ということですね。





まぁ私もですね…私もこの考え方は、若干一部賛成であります。というのはですね、私が保育園に子供を預けるというのは、良い面もあるんですよ…非常に良い面もあるんですが、「子供の意見を聞きましたか?」って言ったことがあるんですね。大人にとっては、夫婦共稼ぎができるという良い点があるのですが、子供にとっては「学校から帰ったときに親がいない」という問題が生じます…まぁ保育園のときはもう少し小さいですけどね。これはですね…「子供に親が要らないのか?」という問題をもう少し突き詰めて考えないといけない…という風に思うからです。


(文字起こし by ちゃりだー)

教育論、私なりの理解(1) 基本的な文化論 (10/22)




年配の方ならよくご存じの戸塚ヨットスクールの戸塚宏先生のご講演を聴く機会を得ました。「過激な教育」で知られ、時に刑事被告人になった方ですが、その教育の信念は強く、私なりに整理をして見ました。自分と考えの違う方の話をジックリお聞きするほど楽しく、役に立つことはありません。



進化と善悪


日本とヨーロッパ


そのままを認める文化と原罪の文化(人間から離れなければ生きていけない文化)


本能→大和魂→武士道


心は日本、物は外国


(平成24年10月22日)




--------ここから音声内容--------




戸塚ヨットスクールといいますとですね、年配の方ならば、ちょっと…事件と言う風に受け取ると思います。過激な教育として知られまして、当初はオリンピックに通用するヨット選手ということを訓練する為の学校だったんですが、やがてですね。ひきこもりとか登校拒否といった子供達のですね、いわば矯正といいますか、社会復帰の為の教育を始めました。やや体罰的な教育を含みながら、過激に教育をすると、いうようなイメージであります。私もその程度しか知りませんでした。後に生徒さんが亡くなりまして、それに対して刑事事件となり、有罪判決を受け、という経過を辿っておりますが、先生の教育の信念は非常に強くて、この講演をお聞きしまして、私なりに整理をしてみたくなりました。





自分と違う考えの人の話をじっくり聞くということは非常に楽しいし、また、役に立つものであります。お話を聞く前の私と同じでですね、多くの方はこの戸塚先生と聞きますと…戸塚ヨットスクールと聞きますと、ちょっと一歩引くんじゃないかと思うんですが、まぁ今の日本の問題のひとつにですね、「相手の言うことをじっくり聞く」ということが不足していることも事実なもので。私は昔からですね、相手がどういう人でも、その人の言い分をじっくり聞いてみると、いうことが割合好きなタイプで、今度の戸塚先生のお話も大変に興味深く聞かせていただきました。





まず骨格はですね、まぁ基本的な文化論、男女論、教育論という3つの組み立てであったと、私は理解いたしました。あくまでも私の理解なので、戸塚先生がお考えになっている深いところまで理解が及んで無い可能性はありますが、えー応私のまとめをですね…書かせていただきます。





まずですね、戸塚先生は、善と悪というものをはっきりしなきゃいけない…何が善であり、何が悪であると、いうことをはっきりしなければですね、物事は何もできない。まぁそうですね。そりゃもう確かに、そのとおりであります。それで、善というものを決めるのは、進化なんだという話ですね。それは確かにそうかもしれません…これもですね。生物が生まれてから37億年たちますが…多細胞生物ができて5億5000万年…現世の新生代ができてから6000万年~5000万年ってところですね。その間、生物は淘汰を繰り返して、いわば正しい状態へと進んでいきます。





したがって、人間がそのままある状態というのは、正しいと思わざるを得ませんね。だって、人間がですね…自分の頭でこれが正しい、あれが間違っていると考えるよりか、6億年の歴史を経て、いわば正しさを追求してきた、生物の進化の最終的な姿が、現在では人間ですね。もちろん人間がこれからがまた進化するわけですが、その進化をわれわれは否定できるのか?というのが、先生の基本的なお考えのように思えました。





従って、現状肯定ともいえますかね、人間は性善説であると。性善である。それは当然で、人間というそのものが進化を経てできたものですから、その性質は善いに決まってるわけであります。そこをまず起点にしなければならないという事ですね。




幸い日本はですね、非常に恵まれた気候とか、それから外敵がいなかったなどの事情だと思うんですが、自然のまま…つまり、「人間のまま」それを受け入れ生活してきたという文化でした。これに対してヨーロッパ…特にですね、中東…まぁメソポタミアとかですね、それからエジブト…こういった割合と激しい気候のところで生まれたヨーロッパ文明ですね、アーリア人ですけれども、このヨーロッパ文明ってのは非常に戦争の激しい時でですね、あるときにある民族が出たら、他のは皆殺しになる、奴隷になる、というような過酷な歴史の中で住んできましたので、そのままを認めることはできなかったんですね。





ですから、日本のように恵まれた文化の中で「そのままを認めた文化」と「原罪の文化」といってもいいんですが、人間から離れなければ生きていけない文化というのが、対立関係にあったと。これがですね、先生の基本的な考えであります。





したがってですね…元々人間は本能が正しいんであると。本能というのは6億年の進歩の成果としてできたものである。こういう事ですね。それは大和魂として形作られた。これは、既に紫式部が紀元1000年あたりの時に「大和魂」という言葉を使っているわけで、それが後に武士道として発達し、精神的な規範としてはですね、世界で最も素晴らしいのが、日本の武士道である、と基本的な考え方によっているわけですね。





これは非常に論理的でですね、優れているように実は私は思いました。つまりですね、私もどれが善であるか、どれが悪であるか、って非常に難しいんですね。ヨーロッパでは、キリストが登場しましたので、イエスキリストの言ったことが善であるというような規定がありますが。これはもともと人間は罪があり、人間は醜いものであって、人間を否定するわけですよね。人間はもともと存在してはいけない。だけれども、神の前で悔い改めればですね、存在することは許される、という非常に…その意味では屈曲した論理なんですね。





つまり人間でありながら、つまり進化した結果でありながら、人間から離れなければ生きていけないっていうんですから、これは戸塚先生が言われる通り、ちょっと変だっていや変なんですね。ですからまぁ日本の神道、日本の自然、日本の歴史、本能に基づいた大和魂、それに基づく武士道ってのは、最高の精神的基幹であるっていわれれば、確かにその通りである。





これに対して反論するということになると、ヨーロッパの聖書を持ってこなきゃいけないですね。聖書は大変に素晴らしい、到底人間が書いたとは思われないようなものなんですが、しかし、非常に強い人間不信に基づいていることは確かなんですね。これは正しいのかもしれません。しかし一方では、戸塚先生の言われるように、進化の結果の人間が…その本能のまま正しいんだ、というような考えもまた成立するのではないかと思います。





それがですね、下手な頭の考えによって曲がってきているんだ、と先生はそういわれるわけですね、従って当然ですけど、心は日本、物は必要によっては外国と…和魂洋才といいますけど…まぁ菅原道真とかいろんな方を…聖徳太子はじめいろんな方を引かれまして、先生は日本の歴史の点でですね、日本人が日本人の魂から離れる必要は無いんだ、それをヨーロッパから人間否定の精神を持ってきて、それを文化だとか、男女間とか、教育に敷延してきた、それがですね、日本の教育の乱れ、日本社会の乱れに繋がっていると。こういうまぁ基本的な文化論をお持ちであるというふうに思います。





一般的には脳幹論でしたかね、先生の説については、名前も付いてますけど、私がまぁ講演を聴きまして、平たくまとめると、まぁそんなようになりました。


(文字起こし by ちゃりだー)

穏やかなタバコ論争の試み(1) タバコ論争の目的 (10/26)



わたしがタバコで明らかにしたいこと(音声です)



1)医師がタバコを禁止するのは当然(先生が学生に勉強しろというのは普通のことだが、他人に勉強しろは言い過ぎ)、


2)煙が嫌いだったり、気管支が弱い人に向かって煙を吹きかけるのはとんでもないこと、


3)ディーゼルエンジンの排ガス、アスベスト、タバコなど肺がんの原因となるものが、ずいぶん減ってきたのに肺がんは急激に増えている。タバコ論争の目的はなにか?


4)タバコを吸っている人の自殺が少ないことや、お酒、コーヒーなどの精神作用のあるものとの比較、人生の楽しみ、


5)現実的に、穏やかな解決策はないのか? 一日一本でも悪いのか、20本なのか、また副流煙の影響はデータ自身がない。



タバコ論争は「なぜ、これまでしてタバコを排斥しようとしているのか」について「タブー」のままというのは実に社会が暗いような気がしてならない。タバコを排斥しようとしている人に個別に聞いて見ると、社会全体の理由と違うことがほとんど(気管支と副流煙)であることも奇妙だ。



竹書房から「タバコは止めない方が良い」という本を出しますが、私の意図が通じて、穏やかな反応になってくれると良いのですが。


(平成24年10月26日)




--------ここから音声内容--------




このブログでも何回か取り上げました、タバコの事をですね。それから今度は本なんかもちょっと出そうかなと計画したりしてるんですが、私がタバコで明らかにしたいことはですね、「穏やかで明るいたばこ論争」なんですね。なんか人をいじめるようなたばこ論争ではないということ、ちょっと最初にお断りをしておきたいんですが。





まず医師がタバコを禁止することは当然なんですね。医師と言うのはもう「患者さんを健康にしたい」と、こう思って頂かないといけない訳ですから、当然タバコを吸ってですね、なんか病気のなりそうな人に対して、「あんたタバコやめた方がいいですよ」とか、酷い時は「タバコをもう吸うのを禁止します」とか、そういう風に言うのは当然なんですね。ちょっと言い方が強すぎるかというか、社会的なタバコのバッシングを背景にして強く言いすぎているっていう感じもあるんですけど、そういうことを言わなければ、ま~いいと。





これはですね、学生が・・・あの~、先生が・・・私先生なんですけど、先生が学生に「勉強をしろ」と言うのは普通のことなんですよ。あの、勉強をしたから人生がどうだってことはないんですど、勉強した方が例えば社会が生活し易いとかね、人生がいいとか、あるいは勉強した方が寿命が長いかもしれないんですよね。ま~いろいろ考えられるというか、そういうことも含めまして。





しかしだからと言ってですね、他人がですね、ある人に「勉強しろ」と、「お前勉強した方が人生がいいんだから勉強しろ」と言うのはちょっと言い過ぎ、家族だったら良いですけどね。他人が勉強しろというのはちょっと言い過ぎじゃないかと思うんですよね~。言いすぎじゃないかと言う「頃合い」がですね、私はあの~タバコはいけないというのは、お医者さんが言うのはいいと、だけども全く見ず知らずの他人とか、ましてや政府がですね、言うのはどうかな、と言う風に思う訳ですね。





そういう社会で本当に日本は良いのかな、と。日本と言うのはヨーロッパと違いますからね。ヨーロッパは、非常に戒律がある、宗教戒律がある。例えば神道なんかはですね、日本の神道は戒律がありません。何をしてはいけない、かにをしてはいけないという事無く、むしろ自然なままで、っていうこんな感じですね。ところがヨーロッパの宗教は、そうでは無くって、これはいけない・あれはいけないっていう戒律が多い訳ですね。





それからもう一つは煙が嫌いだったりですね、気管支が弱い人ってのは社会にいっぱいいる訳ですよ。その人に向かって煙を吹きかけるという、これはとんでもないことですね。これはタバコがいいか悪いかとは別ですよね。それはどんなことでもこういうことありますからね~。





例えば道を歩いていても向こうからぶつかってくる人もいれば、例えば3列ぐらいになって、もうワーワー言って来てですね、こっちがコソコソと横の方に避けなきゃなんないとかそういうことありますよね。だからそしたら歩いちゃいけないとかそうじゃなくて、それは歩き方が悪いっていうだけですから。それは「あなたそんな風に横に3人も並んで大きな男が歩いちゃだめよ」と、「みんな迷惑がかかるから」ってこう言えばいい訳ですからね。これも全然違うと思うんですよね。





それからもう一つですね、私の目的の一つは、そういうあんまりギスギスした社会は厭だっていう事と、それから今までジーゼルエンジンの排(気)ガスは肺がんになるっつって、もうどんどんやってきたんですね。物凄くお金も使って税金も使ってきました。アスベストが悪いっつって、これは肺がんもありますが、中皮腫なんかは多いんですけど、一応そういうのも排除してきた。大気もずいぶん綺麗にしてきて、タバコも喫煙率が2分の1になってきたと。





つまり我々が今から20年前ぐらいに、肺がんの原因だと思われるヤツを相当潰してきたんですよ。それなのに肺がんは相変わらず急増してんですよ。これはね~、あの、いろんな理屈があることは良く知ってるんです。例えば、タバコを吸ってから(発病まで)30年かかるとか、そういう事があるって事も含めてね。





しかし私はね~、たばこ論争の目的ってなんだろうかと思うんですね。私は最初は肺がんを減らすためという風に認識してたんですよ。それで年金みたいなもんですかね、本当は本人の問題なんだけども、外圧も加えて本人の意思を強くさせるっていうような事で、良心的な目的でやってんだと思ってたんですよね。





ところがちょっと違うんですね。特に肺がんがこれだけ増えててタバコも減ってるし、ジーゼルエンジンの排(気)ガスはですね、ま、20分の1くらいになったと思うんですね。もうPMなんかの、いわゆるジーゼルエンジン排(気)ガスの中にある、と言われる肺がんの元のものがですね。





だから僕はたばこ論争の元々の目的はですね、肺がんを減らそうという事な訳なんですよ。で、肺がんがこれだけ急激に増えていて、その要因をずいぶんみんなで取り除いてきたのに増えているって言うんですから、この辺で一回ですね、考え直した方がいいんじゃないかな~、と思う気持ちがある訳ですね。





ま、こう言う風にタバコを吸ってる人の自殺が少ないのか、それからお酒とかコーヒーをね、認めて、タバコだけ(認めない)っていうのもちょっと、どうかな・・・っとかですね、それから何から何まで排斥するっていうのはちょっとやっぱり人生の楽しみとか、人生の送り方と言ってですね、問題かなと。えっと、タバコの吸い方極端に言えばですよ、一人で自分の自宅でパイプを燻(くゆ)らせると、それもいけないというのはちょっと言いすぎじゃないかと思う訳ですね。





ついこの前というか、なんか朝日新聞かどっかだって言うんですけど、広島の調査かなんかで未成年の時にタバコを吸ってる人が、ま、寿命が少し短いんだという、あれ(記事)がありましたけども、それはそれで僕はこのデータが違ってると思うんですよ。間違った統計だと思うんです。タバコのデータで間違ったヤツいっぱいあるんですけど、間違いに一定の傾向があるですけどね。つまりタバコを悪者にしようと思ってデータを細工するっていう、そういうやり方をしますとですね、何でも結びついてしまう訳ですね。





でもそういうことで、それは肺がん・・・早く死ぬかもしれませんよ、少し、もしかしたら。僕と意見が違いますが。そうかも知れませんが、だから「お前はタバコをやめろ」というのはちょっとこれ言い過ぎじゃないかと思いますね。





それからもう少し穏やかな解決策はないのかっていう私の気持ちもあるんですね。1日1本でも悪いのか。どの程度なのか。ということですね。お酒でも1合・・・酒は百薬の長と呼ばれたりですね、それからお酒で肝硬変になると言われたりする訳で、程度問題なんです。アルコール中毒もありますしね。もちろん酔っ払い運転もあります。どういうマナーとか限度でもってタバコを吸うのかっていう事ぐらいですね、穏やかに話し合う、そういう社会がいいな~って思ってる訳ですね。





それからここで言うのは副流煙はですね、これはもう全然データがありません。データ自身が…学問的に検討すべきデータはありませんので、これはこれでまたちょっと別の機会にお話をしたいと思います。で~私はですね、タバコについてはですね、タバコをなぜ排斥しているのかと言う事を議論する事さえタブーなんですよ。もうたばことのことを私が言うと「バ~~~ッ!!」とこうバッシングが来るんですね。





ところが私よく、タバコのそういう事に興味があるので、いろんな席で「タバコはどうですか?」と聞くとですね、「タバコが肺がんになるから禁止」っていう人は殆どいないんですよ、実は、ええ。寿命が短くなるからとかそんな事言う人はいない。もちろんお医者様はそうですよ。お医者様は健康の事を考えて頂いている訳ですから、これはこれで良いんですけど、殆どの人「私は気管支が弱いんだ」っていう人と「副流煙が怖いから」と言う2つが多いんですよ。





つまり全部受動的な、タバコのあれなんですね。だけども、報道は全く違うんですよ。タバコを吸うことが悪いと。本人に悪い、とこう言うことなんですが。気管支が・・・あれはそれはもう当然で、分煙するのが一番いい訳ですよね。それから副流煙は私はいつも「いや、副流煙っつーのは随分調べたんですけどデータが無いんですよ」と、ま、こう言う風に言う訳ですが、これもあの非常に奇妙ですね。





今回竹書房から「タバコはやめない方がいい」というような本を出すんですけども、この本はですね、どういう事を目的にしてるかと言うと、私は「穏やかにタバコの事を考えてみようじゃないか」と。これは生活とか文化、それから何本ぐらいまでだったらどうだ、というような事も書いてありますね。





本当はこの中の、医学的な部分はお医者さんが、社会的な部分がありますからね、それは社会学者が。それから文化的な面ですね。これはなにか芸術家が執筆するんでしょうけど。ま、広~くなりますので、それらをまとめてですね、ま、お医者さんとして、また脳内物質コントロールとして、また社会的な影響として、それからもう一つは文化面、それから人生面として、ま、穏やかにまとめたつもりなんですよね(笑)





書き方もできるだけ穏やかにしておりますが、しかし、もう、タバコについてはリアクションが過激ですからね。だから冷静にタバコがいいかどうか、日本の社会でタバコを認めるかどうか、議論をしようじゃないかということに応じて頂ければ、という風に思います。


(文字起こし by つよぽん)