教育論、私なりの理解(1) 基本的な文化論 (10/22) | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

教育論、私なりの理解(1) 基本的な文化論 (10/22)




年配の方ならよくご存じの戸塚ヨットスクールの戸塚宏先生のご講演を聴く機会を得ました。「過激な教育」で知られ、時に刑事被告人になった方ですが、その教育の信念は強く、私なりに整理をして見ました。自分と考えの違う方の話をジックリお聞きするほど楽しく、役に立つことはありません。



進化と善悪


日本とヨーロッパ


そのままを認める文化と原罪の文化(人間から離れなければ生きていけない文化)


本能→大和魂→武士道


心は日本、物は外国


(平成24年10月22日)




--------ここから音声内容--------




戸塚ヨットスクールといいますとですね、年配の方ならば、ちょっと…事件と言う風に受け取ると思います。過激な教育として知られまして、当初はオリンピックに通用するヨット選手ということを訓練する為の学校だったんですが、やがてですね。ひきこもりとか登校拒否といった子供達のですね、いわば矯正といいますか、社会復帰の為の教育を始めました。やや体罰的な教育を含みながら、過激に教育をすると、いうようなイメージであります。私もその程度しか知りませんでした。後に生徒さんが亡くなりまして、それに対して刑事事件となり、有罪判決を受け、という経過を辿っておりますが、先生の教育の信念は非常に強くて、この講演をお聞きしまして、私なりに整理をしてみたくなりました。





自分と違う考えの人の話をじっくり聞くということは非常に楽しいし、また、役に立つものであります。お話を聞く前の私と同じでですね、多くの方はこの戸塚先生と聞きますと…戸塚ヨットスクールと聞きますと、ちょっと一歩引くんじゃないかと思うんですが、まぁ今の日本の問題のひとつにですね、「相手の言うことをじっくり聞く」ということが不足していることも事実なもので。私は昔からですね、相手がどういう人でも、その人の言い分をじっくり聞いてみると、いうことが割合好きなタイプで、今度の戸塚先生のお話も大変に興味深く聞かせていただきました。





まず骨格はですね、まぁ基本的な文化論、男女論、教育論という3つの組み立てであったと、私は理解いたしました。あくまでも私の理解なので、戸塚先生がお考えになっている深いところまで理解が及んで無い可能性はありますが、えー応私のまとめをですね…書かせていただきます。





まずですね、戸塚先生は、善と悪というものをはっきりしなきゃいけない…何が善であり、何が悪であると、いうことをはっきりしなければですね、物事は何もできない。まぁそうですね。そりゃもう確かに、そのとおりであります。それで、善というものを決めるのは、進化なんだという話ですね。それは確かにそうかもしれません…これもですね。生物が生まれてから37億年たちますが…多細胞生物ができて5億5000万年…現世の新生代ができてから6000万年~5000万年ってところですね。その間、生物は淘汰を繰り返して、いわば正しい状態へと進んでいきます。





したがって、人間がそのままある状態というのは、正しいと思わざるを得ませんね。だって、人間がですね…自分の頭でこれが正しい、あれが間違っていると考えるよりか、6億年の歴史を経て、いわば正しさを追求してきた、生物の進化の最終的な姿が、現在では人間ですね。もちろん人間がこれからがまた進化するわけですが、その進化をわれわれは否定できるのか?というのが、先生の基本的なお考えのように思えました。





従って、現状肯定ともいえますかね、人間は性善説であると。性善である。それは当然で、人間というそのものが進化を経てできたものですから、その性質は善いに決まってるわけであります。そこをまず起点にしなければならないという事ですね。




幸い日本はですね、非常に恵まれた気候とか、それから外敵がいなかったなどの事情だと思うんですが、自然のまま…つまり、「人間のまま」それを受け入れ生活してきたという文化でした。これに対してヨーロッパ…特にですね、中東…まぁメソポタミアとかですね、それからエジブト…こういった割合と激しい気候のところで生まれたヨーロッパ文明ですね、アーリア人ですけれども、このヨーロッパ文明ってのは非常に戦争の激しい時でですね、あるときにある民族が出たら、他のは皆殺しになる、奴隷になる、というような過酷な歴史の中で住んできましたので、そのままを認めることはできなかったんですね。





ですから、日本のように恵まれた文化の中で「そのままを認めた文化」と「原罪の文化」といってもいいんですが、人間から離れなければ生きていけない文化というのが、対立関係にあったと。これがですね、先生の基本的な考えであります。





したがってですね…元々人間は本能が正しいんであると。本能というのは6億年の進歩の成果としてできたものである。こういう事ですね。それは大和魂として形作られた。これは、既に紫式部が紀元1000年あたりの時に「大和魂」という言葉を使っているわけで、それが後に武士道として発達し、精神的な規範としてはですね、世界で最も素晴らしいのが、日本の武士道である、と基本的な考え方によっているわけですね。





これは非常に論理的でですね、優れているように実は私は思いました。つまりですね、私もどれが善であるか、どれが悪であるか、って非常に難しいんですね。ヨーロッパでは、キリストが登場しましたので、イエスキリストの言ったことが善であるというような規定がありますが。これはもともと人間は罪があり、人間は醜いものであって、人間を否定するわけですよね。人間はもともと存在してはいけない。だけれども、神の前で悔い改めればですね、存在することは許される、という非常に…その意味では屈曲した論理なんですね。





つまり人間でありながら、つまり進化した結果でありながら、人間から離れなければ生きていけないっていうんですから、これは戸塚先生が言われる通り、ちょっと変だっていや変なんですね。ですからまぁ日本の神道、日本の自然、日本の歴史、本能に基づいた大和魂、それに基づく武士道ってのは、最高の精神的基幹であるっていわれれば、確かにその通りである。





これに対して反論するということになると、ヨーロッパの聖書を持ってこなきゃいけないですね。聖書は大変に素晴らしい、到底人間が書いたとは思われないようなものなんですが、しかし、非常に強い人間不信に基づいていることは確かなんですね。これは正しいのかもしれません。しかし一方では、戸塚先生の言われるように、進化の結果の人間が…その本能のまま正しいんだ、というような考えもまた成立するのではないかと思います。





それがですね、下手な頭の考えによって曲がってきているんだ、と先生はそういわれるわけですね、従って当然ですけど、心は日本、物は必要によっては外国と…和魂洋才といいますけど…まぁ菅原道真とかいろんな方を…聖徳太子はじめいろんな方を引かれまして、先生は日本の歴史の点でですね、日本人が日本人の魂から離れる必要は無いんだ、それをヨーロッパから人間否定の精神を持ってきて、それを文化だとか、男女間とか、教育に敷延してきた、それがですね、日本の教育の乱れ、日本社会の乱れに繋がっていると。こういうまぁ基本的な文化論をお持ちであるというふうに思います。





一般的には脳幹論でしたかね、先生の説については、名前も付いてますけど、私がまぁ講演を聴きまして、平たくまとめると、まぁそんなようになりました。


(文字起こし by ちゃりだー)