体罰孝(3) 体罰とはなにか?・・誰が「体罰」を決めるのか? (1/12)
先回、一言で体罰といってもその内容は様々であることに触れました. 多くの人は以下に列挙した体罰の内、体罰と感じるのはどの辺でしょうか? なお、学校教育法第11条の体罰規定には体罰の具体的なことは記載されていません。文科省の指導がありますが、教員の検討がない役人側の一方的なものなので、このシリーズでは取り上げないことにしています。
1)自分が実験した時にこぼした薬品を本人に綺麗にさせる(顧問弁護士は体罰と認定した)、
2)給食当番が忘れものをしたので、配膳室まで取りに行かせる、
3)生徒に黒板に書かせた文字を生徒に消させる(先生が消すのでは無く)、
4)重要な忘れ物をした生徒に家まで取りに行かせる、
5)授業に遅れた学生を10分間だけ立たせておく、
6)授業中に頻繁に携帯電話をかけに立つ学生の背中を押して出て行かせる、
7)授業中に4人ぐらいで大声で私語をし注意しても止めないので、襟首をもって廊下に出す、
8)がんばれよ!と言って肩を叩く、
9)隣の生徒の答案を盗み見ている生徒の頭を持って見ないようにさせる、
10)ダラダラ練習している生徒に気合いを入れるためにグラウンドを3周させる、
11)キャプテンとしての自覚を持たせようと平手で数回、頬を叩く、
12)4月から7月までまったく大学に来ない学生を、先生が卒論を合格できないと心配して夏休みに大学に出させる(これは先生が訴えられた例がある)
それぞれの人が違う考えを持っています.つまり、かつて教育は必ず体罰を伴うものでしたが、いつの日からか良くわからないし、「体罰がいけない」と言い出したのは日教組かも知れませんが、現在では「体罰はダメ」という事になっています.
それでは、教育現場で具体的に起こる問題について、かつては体罰で解決していたものの代わりは何かという議論は進んでいません.
1)口でいくら注意しても大声で私語をするグループがいて、授業が続けられないときにどうするか?
2)実験の後片付けをしない生徒を放置しておくと、ブロークン・ウィンドウズ現象で実験ができなくなるけれど、それをどうするか?
3)チームプレーのスポーツで、ダラダラ練習する生徒がいて、多くの生徒が不満を持っている時に生徒を強制的に止めさせるか?
4)生徒や学生が苦痛に感じるほど、繰り返し口で説得する時に、どこまでが「口の暴力」か?
この社会に「警察」などの「力による強制力」が必要なように、教育現場にも「力」でなければ解決がしないものがあります。そのことを良く議論しないで、単に「体罰はダメ」と言っていると、本当の体罰(負傷するまで殴るなど)を止めることはできないと思います.
「無理を通せば道理引っ込む」と言うことでしょう。私は「フランス流」、つまり、「どの体罰はいけない」と具体的に社会が決めるのでは無く、体罰の意味、教育の意味、先生の待遇、先生に考えてもらうということを通じて、学校の中から改善していくことの方が大切と思います.
(平成25年1月12日)
--------ここから音声内容--------
ブログを書きましてですね、音声をつけようと思うといつも朝になっちゃうんですね。なんで朝なのかよくわからないんですけどまあ、昼間は非常に忙しいし、夜はその日の事で手一杯って感じですしね、結局余裕が出るのは朝だという、朝いろいろ考える事もあるので、ついブログを書きたくなり、それで書きますとどうしても話したくなると。
ところがですね、声が朝はいつも枯れとりましてね。一日中枯れてるわけじゃないんですが、昼頃になりますとのどが温まるといいますか、声帯があったまりまして、スムーズになるんですけど、どうもいつも、聞き苦しい声で申し訳ありません。
えー体罰考三回目ですね。体罰とは何か。先回少し触れましたけれども、例を下に示します。私の経験とかそういうのを下に示しますので、どの程度が体罰なのかということをちょっとお考えいただきたいとおもいますが、まずはこの前書いた事ですね。
自分が実験したあとに出たゴミを本人に綺麗にさせる。これはまあ私がさせてたことですね、自分でやった実験の後始末は自分でしなさいとこういう風に指導してたんですが、顧問弁護士はこれは体罰であると。大学が掃除のおばさんを雇って、学生が実験でこぼしたものは、掃除のおばさんに綺麗にさせなさい。学生の(学校との)契約の中には自分がこぼした薬品を綺麗にするってことは無いと。学生は大学に勉強する為に来てるんだと。掃除する為じゃないと。こういう風に言われた事がある。ということですね。
これについてはどうでしょうか。多くの方がおそらく、自分でこぼした薬品は自分で綺麗にするべきだと思うんじゃないでしょうかね。
例えば、給食当番がスプーンならスプーンで、何か忘れたとします。それを配膳室までとりにいかせる。
これは体罰か。と。配膳室の人が教室に持ってくるというのがいいのか。
それから、黒板に生徒に書かせる事があるんですよね。答えを書かせたり。それを消さないで帰るという生徒がいるわけですが、先生がそれを消すのか。生徒にちゃんと消しなさいというのか。これも体罰なんですね。
それから、これは時々問題になるんですが。重要な忘れ物をした生徒に、家までとりにいかせる。これはいろいろ議論があるんですね。明らかな体罰ですが、まあ、ほんとうにそういうのが癖になってる子どもがいましてね。先生としてどうしようかと。これで社会人として成立するのかと。こういう心配になりますね。しかし取りに帰らせると、交通事故に遭う事があります。しかし、考えてみればですね、毎日毎日、登校して下校するんですからね、まあ、そこまで責任を持つのかどうかって問題があるわけです。これは個人によって違うんですね。
私なんか、かなり前ですけれども、最近までやっていたこと。授業に遅れた学生を十分間だけ立たせておくんですよ。あんまり立たせると体罰になるかなあと、しかしですね、学生はですね立たせたら、二度と遅れないんですね。ところが口で遅れるなといくら言ってもですね、いい加減なんですよね。まあ、人間って不思議ですね。
それから、授業中にけっこう煩雑に携帯電話をかける学生が居るんですけど、そういう学生に出てけって言っても、そういう学生は出て行かないんですよ。言ってもですね。また電話かかって来て、またそこでかけてるんですよね。で、どうしたらいいかって思って、学生の背中を押してですね、お前出てけと、ドアを開けて背中を押して出すと。これはまあ、明らかな体罰ですよね。こういうとき、どうなのかなと思いながらも、私なんかやるんですけれどもね。
それと、同じような事で、授業中に四人ぐらいで大声で私語をしてるのがいるんですよ。グループでですね。まあやんちゃなグループなんですよ。まあ別にそんなに、子どもですからね、学生でもそんなに悪気はないんですけど、いたずら半分で大きな声でわざとやるんですよ。まあ、反抗期ってのはそういうのもありますからね。大人じゃありませんので、たわいなく騒いでるんですよ。ジュースなんか持って来てですね、足なんか投げ出して、しゃべってるのが居るんですよ。
教室他はしーんとして、僕は講義してると、やっぱりやりにくいんですよ、他の学生も聞こえなかったりね。時々ビデオなんか見ますと、そのビデオの音が聞こえないことがあるんですね。私なんか技術関係ですから、非常に重要な、音の必要なものなんかもやるんですけども、ダメなんですね。そうするとそれは、出て行かないので、襟首をもって出すっていうことになるんですよ。襟首を持って出すってことになると、これはまた明らかな、まあ、顧問弁護士に言えば「講義を受ける権利を喪失する」し、体罰に厳しい人から言えば、「完全に体罰だ」と。
まあ、授業をそこで止めてしまうっていう手もあるんですけどね、そうすると受けに来た学生に問題が生じちゃうんですよ。こういうのはあとでちょっと書きますけども、例えば世の中で起ったら、駅員とか、警察っていうそうい人が、まあ警備員とか来てですね、ある程度実力行使をする人がいるんですよね。例えば、電車の中で大声で騒いでると通報があったら駅員が両脇を抱えて、とにかく車両の外に出てくださいと、やるわけですね。
これが、学校ではいないんですよ。まあ、先生なんですよね。でも先生はこれ、体罰になっちゃうんですよね。で、もう少し微妙なやつになりますと、「頑張れよと言って肩を叩く。」結構あるんですよ、頑張れよなと言って、肩を叩くこれダメと。頭を叩くのはもちろんダメと。
それから、試験中に隣のですね、生徒の答案をチロチロ見てるんで、ダメだよと言って頭を固定してですね、自分の答案から横を見ない様にさせるということもあるんですね。こういった、一般的な講義中での体罰っていうのもありまして、それ以外に。だらだらと練習してる生徒にグラウンド三周させるっていうのも、正座させるっていうのもあるんですよね。
それから、今度の(事件)とちょっと関係あるんですが、キャプテンとしての自覚を持たせようとして、平手打ちで数回頬を叩くと、今回の件ですね。まあ、数回かどうかはわからないですけどね。
それからこういう事件もありましてですね。四月からまあ、(大学)四年になったら、卒業研究をしなきゃならない。それで卒論をだして卒業する。ところが、四月に研究室に配属になっても全然大学に来ない学生って結構居るんですよ。まあ、3割ぐらいはいるかもしれませんね。あの、この日本に。
それはどうしてかって言うと学生の方はですね。卒論やらなくても卒業させてくれるっていうことがわかってるんですよ。これ文部省の指導がありますからね。何%しか落とせないって決まってますから。それを全部見越してですね、先輩なんかからそういう知識いきますからね、先生が心配して八月の夏休みに学校に出させた先生がいるんですよ。学生このままじゃ落ちちゃうと思って、したら、訴えられましたね。8月は他の事するのになんだってことで訴えられましたね。
まあ、こういった、いま1から12まで、まあ、その他にも無数にあるんですよ。小学校から、中学校、高等学校と無数にあるんですね。そのうちには生徒側に悪質なのもあるけど、やんちゃとか、いたずらっていうのも結構あるんですよ。子どもですからね。先生は、まあやんちゃならやんちゃ、いたずらならいたずらだと思ったら、そのままにさせてるのが普通なんですよね。これ、親でもそうですよね、兄弟喧嘩してるとか、まあ、親にちょっと反抗するとか、その程度が酷くなければ、そのままさせとく。あんまり酷かったらお前外に出てろ、とこうなる。というようなですね頃合いっていうのがあるわけですね。
で、難しいのはですね、今までの教育。いつまでかは知らないんですけど、体罰は普通だったんですよ。もちろんこれは明治時代、江戸時代なんて当たり前なんですけど。少なくとも戦争の前は当然で、戦後も私たちが教育を受けた時は体罰はいくらでもありました。体罰はいけないと誰が言ったのかよくわかりませんね。何故いけないと言ったのかわかりませんね。
で、体罰を伴わない教育っていうのは今まで存在しないんですよ。実は。えー、家庭の教育でも体罰伴いますね、お母さんでも体罰してますよ。そうしますとね、体罰がいけないと今言ってますよ、社会は、ものすごく言ってますよ。体罰なんてのはけしからん。そんなことは議論するまでもない。と言ってますけどね、今まで体罰の無い教育ないんですよ。日教組が言い出したんですかね。ちょっとわかりませんけど、今から30年くらい前でしょうね。突如として体罰はいけないとなったんですよ。それはそれで、進歩じゃないかと思うんですよ。私もそんなに体罰っていうのを推奨しません。
だけども、教育現場で具体的に起る問題について、かつては体罰で解決したものの代わりは何かなんですよ。なかなか難しいんですよ。さっき言いました様にですね、口でいくら注意しても、大声で私語するグループが居て、授業が続けられないときどうするのかと。これね誰も逃げちゃうんですよ。こう質問すると。「武田さん、まあそれはそれだよ」なんて言われてですね、いつまでもダメなんですよ。
それから実験の後片付けをしない生徒を放置しておきますとね、やっぱりブロークウインドウズ現象で、どんどん実験室が荒れて、もう実験できなくなっちゃうんですね。これをどうするのかと。
それからチームプレイを指導されてる先生も、だらだら練習する生徒がいたらですね、多くの生徒が、不満を持っているわけですよ、どうするのか。だからって、口で注意するっていうのがいいのかと。これ私の経験ではですね、後ろに一回立たせとけば、立ってろっていうだけで、もう遅れないんですけどね、遅刻しない様に学生を説得するっていいますとね、その生徒一人に10分とか20分とか使って説教をし、怒鳴り散らし、それを何回もやらないとですね、遅れるんですよね。そういうことがおこるわけで。まあ、口の暴力なんて言われますからね、どうしていいかわからないんですよ。
世の中にはさっき言った様に、警察とか、鉄道の係員とかですね、警備員とかといった、力による強制力が若干あるんですよね。教育現場にも力が無ければ解決できない問題があるんですね。で、なにが体罰なのかという事を、決めないで、なんか、まあ、マスコミの報道を見て「いかん」と。まあ、「負傷するまで殴る」ということはを止めるのは、これはまあ、いいかなと思いますね。
だけどどのくらい、体罰はすべていけないって言うんで、僕なんかも後ろに立たせるのもいつもドキドキしながら立たせてると。この子にとっては一回立たせれば、全部終わるんだと、それから立たせて僕だったらですね、君も彼女とのデートを約束して10分も遅れたら平謝りに謝るだろうと。君の本業は学生だぞと。本業を遅れるような事はあっちゃいけないとか、ですね。君はアルバイトをしていたら、アルバイトの時間に遅れることはないだろうと。アルバイトは君の本業じゃないよ、本業は学生だよと。だから授業は一番君にとって、大切なんだと必ず、立たせた学生には言います。だから、ちゃんとしなきゃいけないよ、とかですね。
ある時には、親が大学を出す為に君に授業料出してるんだろと、そしたらそういう親の恩に報いてしっかりと勉強しなさい。と言ったりすることもありますね。しかし、それは口で言っただけでは何回言ってもダメなんですよ。これは、お子さんをもたれた親御さんだったらほとんど、よくわかると思いますね。だけど、(現場は)困っちゃってるんですよね。
私はフランス流をここで提案したい。これは、フランスには文部省一応ありますけども、日本のような高圧的というか、これをやりなさいっていう式ではないんですね。つまり、どの体罰がいけないとかっていう基準をきめるっていうようなやつじゃないんですよ。日本はすぐこういう基準を決めたがるんですけど、そうじゃなくてですね。
先生方に体罰の意味、教育の意味、先生の待遇を良くする事、先生と体罰と教育っていうものを考えてもらうというのを根気よくやるんですよ。つまり、学校の中から改善していくんですね。つまり、何か問題が起きたら外から規則を決めるんじゃなくて、そこに居る人たちに考えてもらうんですよ。もちろん日本のね、小学校から大学のね、大学はちょっとぽんこつの先生がいるんですけど、小学校から高等学校までの先生は、平均レベルは非常に高いんですよ。
僕はあの、教員の資格の教育なんかもやっておりましてね、いつも感じるんですけども、世の中の平均レベルと比べると、日本の小学校、中学校、高等学校の先生方のレベルは本当に高いんです。もちろん100人おられたら、100人のうち2・3人はちょっとなと思う人もおられるんですよ、それは。だけど、そこを注目するんじゃなくて、平均的な力っていうのを比べますと、比べ物にならないほど、よくお考えになり、知識もあり、人格も高いんですよ。
ですから、社会が学校に指示するんではなくて、学校の先生方の待遇をあげ、よく考えて頂いて、そして我々の子ども達のいい教育をしてもらうと。そっちに行った方がですね、今マスコミの状態を見てますとね、私はですよ、何か教育を知らない人たちが、せっかく一生懸命やってらっしゃる先生方の一部のいろんな間違いとかそういうものを取り上げ、全体的に子ども達の教育を悪くする方向に行ってるんではないかと。
ここであえて体罰の例を上げましたのはですね、そこが難しいとこだ。要するに、なぐって人が怪我したり、あるいは自殺に追い込まれるっていう特殊な例もあるんですけど、その特殊な例を減らさなければいけないんですが、しかしやはり基本的には私が言う芋づる方式。学校の中の先生方がですね、よく考えられ、また自由な発言が出来る。今、私だから思い切って言ってますけど、普通の先生でしたらね、体罰にはいい面もあるなんて絶対に言えませんよ、口が裂けても。言ったら、大変なバッシングに遭いますからね。だけども、自分の心の中にある疑問を言えないような社会なんです。
だからって言って体罰するって言ってるんじゃないですからねその先生は。こういう時には体罰を使わざるを得ないんだけども、どうですか?と言っただけで、罵倒されて、あるいは先生やめさせられちゃうわけですから。だから、そうじゃなくて、疑問も含めてですね、私たちは結局のところ、子ども達にいい教育をしたいっていうのが目的ですからね。だから、まあそこのところ少し、考えなきゃいけないなとこう思いまして、今日ブログを書きました。
(文字起こし by まさんちゅ)