時事寸評 イタリアの地震学者に禁固6年・・「被曝大丈夫おじさん」は? (10/24)
2012年10月23日、イタリアの第一審で地震の際「地震は来ない」と「発言した」??学者が禁固刑になった。この判決は「適切」で、問題は「学者」と「専門家」を区別していない所にあります。
1)学問の自由、
2)学問と政治:発言の制限、
3)被曝限度との関係、
4)日本の地震学者と報道、
の3点から解説する。
(音声です)
この事件の詳細:
2009年4月6日にイタリア中部ラクイラで地震が発生し309人が犠牲になった。直前にイタリア民間防衛庁は地震は被害を与えないと発表した。この件で、地震の危険性を過小評価したとして科学者6人と元政府職員1人が過失致死罪に問われていた裁判で、イタリア中部ラクイラ(L'Aquila)の裁判所は22日、7被告に禁錮6年の判決を言い渡した。
この裁判をめぐって、今後、専門家が裁判を恐れて自らの知見を公表しなくなる恐れがあるとし、5000人以上の科学者が大統領に裁判が不当だとする公開書簡を送った
(平成24年10月24日)
--------ここから音声内容--------
イタリアの地震学者に禁固6年が言い渡されたということで大変話題になっております。この事件はですね、えーっと、2009年ですから3年ぐらい前ですが、イタリアの中部で地震が起きた訳ですね。この前に実はその地震が起こるんじゃないかと言う人がいて、それでイタリアの国の機関、民間防衛庁っていうのがですね、地震は来ないよと発表した。その時に審議に参加した科学者6人がですね…と政府の元職員一人がが過失致死罪に問われたという、ま~こういう事件ですね。
これについては学者がこんなことで禁固に問うたら学者は何も言わなくなるんではないかと、ま~いうようなことは言われております。これにつて、私の見解を述べたいという風に思いますが、学者が発言したかどうかっていう事が非常にどういう発言をどこでしたかということが非常に重要なんですが、まず学問の自由ですね。
例えば日本ですと憲法で学問の自由が保障されておりますし、イタリア憲法を詳細に読んでおりませんが、通常ヨーロッパも学問の自由が保障されておりますので、ここでは一応イタリアも学問の自由が保障されてると致します。私もですね学問の自由を元に発言をしている訳ですが、学問の自由ってのはですね、まず立場が独立してるってことですね。
例えばですね、私は大学には所属しておりますが、講義の時点で、講義の中ではですね、私は学生に自説、自分の説を言うことはありません。これは平均的なっていうかもう認められた学問的なことを言います。ただ自分の意見を発信したりするのは…学問的な意見を発信するのは自由に許されていて罰せられないと、言うことですね。
これは学者が直接的には社会に対して倫理を問われない、と言う私のいつものことに属する訳であります。しかしですね、学者が審議会の委員だとか、そういうものになった時に、これは学者ではないんですね。これは審議会の委員になった時に、発言するときにですね、私はこれは「学者としての一自由人として発言します」と言う風に断らない限りは、発言に制限が起こると言うことですね。
これはいわば「専門家」になる訳です。で、学者であるのと専門家であるのと大きく違いますね。したがってここでは制限があります。つまり、この民間のイタリア防衛庁の会議の時にですね、呼ばれた学者が呼ばれただけだったのか、委員だったのか、それともそれはその発言がそこで力を持っているのか、ということですね。
つまり、例えば民間防衛庁がですね学者6人を呼んで、参考意見を聞いたと、それに基づいて民間防衛庁が決定したんであれば、学者は罪に問われることはありません。この詳細を少し調べたのですけど、今んところまだそういう細かい事が入ってないんで分かりませんですね。
学者は常に自由でやんなきゃいけません。しかし最近の学者はですね、政治的な発言をしすぎますね。例えば典型的には前の東大教授だった小宮山総長ですが、ほとんど政治的な発言に終始しました。そうしますとですね、われわれその学者はですね、非常に発言が難しくなんですね。つまり自分の見解っていうのはこれ見解であってですね、その社会の何か力を持ってる訳じゃないんですね。だから権力とつながった場合の発言っていうのが、どのくらい学問の自由と関係があるのかということですね。
これについて専門家がですね、裁判を恐れて自らの知見を公表するのを控えるんじゃないか、と言ってますが、これはそうじゃありません。「立場がはっきりしないから」ですね。例えば私がいつも言うように、医学者は安楽死は言ってもいいと。医者は安楽死を言ってはいけないと。なぜかったら、医者は社会に対して直接的な責任があるからと。専門家っていうのはですね、一般的に発言も行動も制限されます。ですから専門家ではだめです。学者と専門家はそこが違うんですよね。ここんところを良くわきまえなきゃいけないと思います。
私がですね、実は原子力の被曝について、「医師は1年1ミリシーベルトのなんとかいうことは言ってはいけない」と言ってんのはですね、医師と言うのは社会に対して責任を持つ立場ですからこれだめなんですね。ただ医学者はですね自分の被曝と健康の関係をいくら喋ってもいい訳ですね。しかしそれは政府のを代弁したりなんかしてはいけない。学者としての立場ですよ、ってことはあくまでも言わなきゃいけないわけですね。
今日、ちょっと他のブログに出した甲状腺の審議会会長などはですね、これはもう専門家として発言してる訳ですから1年1ミリは守るという風に言わなきゃいけない、ってことになりますね。
それから日本の地震についてはですね、実は私がいつも言っているように東海地方に地震が起こるなんて事が分かるはず訳ないんですね。つまり1960年代に松代群発地震が起こり、地震予知の研究をしなきゃいけないってことになった訳ですから、東海地震がいつ来るか分かってればですね、もともと地震予知をしなくていい訳ですね。ところがそれを嘘をついたのか、しかし、専門家としての意識が薄かったのか分かりませんけどね、いずれにしても「東海地方を地震予知の研究に使う」と言うべきところを「東海地方に地震が来る」と言いました。そのために阪神淡路とか東北大震災、もしくは新潟が手薄になってですね、大きな犠牲者を出しました。
その点ではですね、このイタリアの裁判の結果をわれわれはよ~く考えて、学者はどういう発言をするべきか、専門家…いまはもう学者と専門家が一緒ですけども、つまり医学者と医師、とかですね、研究者と教授、という区別をですね、よりはっきりさせると、いうことが大切ですね。そうしないとですね、この世の中はこの論評にある様に、一般的にですね、発言が制限されると、こういうことになると思います。このイタリアの判決は極めて当然の様に思います。
つまり、もしもこの地震学者がですね、学者としてではなく、例えば民間防衛庁の会議の精鋭メンバーとして言ったんならば、それはやっぱり禁固刑になっても仕方がないと思いますね。それはみなさんがそれを信じて行動するわけですから、駄目だと、いうことになります。
現在福島で被曝している人たちに対してですね、1年1ミリシーベルト以上でいいということを発言する専門家とか医師ですね、これは社会に対して責任がありますから、絶対に発言は注意しなければいけないと、いう風に言っています。それからもう一つはですね、私は低線量被曝は健康に対する影響は分からないから、分からないんだから法律に従っておけばいいって言ってるのは、このことなんですね。
つまり地震が来るかどうかわからない時には、科学者は学問の自由から言えば分からないと言わなきゃいけないですね。ただ私の説はこうですよと、これは私の説ですからいい加減なもんですよぐらい言っとかないとですね、いけないと言うことも、今度のことで良く分かります。
この判決はよ~く考えて被曝は大丈夫だと言ってる専門家はですね、注意しなきゃいけませんし、それから日本の検察庁もですね、ここんところは厳しく、地震予知とか、それから被曝とかいうものに対してどう考えるかを決めていかなければいけないと思います。
(文字起こし by つよぽん)