時事寸評 アメリカ、新規原発建設の認可を停止 | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

時事寸評 アメリカ、新規原発建設の認可を停止 (8/12)




大人なら誰でも「得になることだけはもらうが、イヤなことは他人や子供に任せる」ということをすると「人格のない人」と思われるでしょう。




現在、東京に住んでいる人(大阪も名古屋も似たようなものですが)は、「原発の電気は欲しい。原発はイヤだ。核廃棄物はもってのほか」という子供のような人たちです。




先日、アメリカで「廃棄物をしまうところがない原発は認可しない」という内容の判決がでました。当然と言えば当然で、自分たちが使う原発の電気を作るのに発生する廃棄物を自分たちでかたづけないのですから、それを認可すること自体、おかしいのです。




今、日本には130万本の核廃棄物がありますが、大人は「危険だからしまうところが無い。子供に任せる」と言っています。それでもお金が欲しい人たちが「廃棄物など考えたくない」と言っていますが、でもそれは少数の人ですから、多くの日本人が心を合わせて、「子供にツケを回さない」ことを決意したいと思います。




「資源が無くなる」と言いますが、それは1000年も先のことです。「温暖化する」というのは本当ではありませんが、もし起こるとしても数100年後です。しかも日本以外でCO2を減らしているのは日本だけです。




「未来の子供達のために」と言っている人が、なぜ「核廃棄物は子供に残して良い」などと言うのでしょうか? アメリカで判決があったからというのも情けない話ですが、真正面から事実を見る必要があると思います。


(平成24年8月12日)




--------ここから音声内容--------




アメリカがですね、新しい原発の建設の一部認可を停止しとりました。簡単に言えばですね、大人なら誰でもですね、「何かやる時に得になることだけはするけども、嫌なことは他人や子どもに任せる」ということをしますとね、それは通常には「人格のない人」ということになるでしょうね。





その典型的なのが東京に住んでる人で、大阪も名古屋も似たようなもんなんですが、「原発の電気は欲しいんだ」と、「だけど原発を建てるのは、近くにあるのはイヤなんだ」と、「核廃棄物はもってのほかだ」というような子どものような人たちが、特に東京に多いんですね。霞ヶ関とかはそこら辺にはもっと多いんですけどね。





先日アメリカで「廃棄物をしまうとこがない原発は認可しない」というような内容の判決が出ました。ま、当然と言えば当然でですね、自分たちの使う…原発の電気を作るのに、発生する廃棄物は自分たちで片付けないっていうんだから、これを認可してきた日本自体がおかしいと言えるんですね。アメリカも一部そういうことがあったんで、日本だけが悪いっていうことないんですけども。





今、日本には130万本の核廃棄物があります。福島の4号機が1500本っつって大騒ぎになってますけども、日本全体には130万本ですね。大人は「危険だから」、「しまうとこがないんだ」と、「子どもに任せるんだ」と言ってるわけですが、どうですかね。私はもう全然そんな感じじゃないんですよ。





ただですね、廃棄物なんかどうでもいいって言ってる人たちは少ないと思うんですよ、僕は。5%ぐらいしかいないんじゃないでしょうかね。むしろ他の95%の日本人は、やっぱり子どもにツケを回したくないと思ってると思われるんですね。





ですけど、ちょっとね、なんか私にはですね、少しバランスが欠くかなぁと思うのは、よく「資源がなくなる、資源がなくなる」っつって、「将来のために子どもに資源を残そう」っつってる人がいるんですけど、これおかしい考えなんですが、まあそれを認めるとしましてもね、まぁ1000年後ぐらいなんですよ。子どもっつっても1000年後…それ相当先の話ですからね。





それから温暖化するってのもそうなんですよ。これは私はほんとじゃないと思うんですが、もし起こるとしても数百年後なんですよね。それに中国とアメリカぜんぜんやってませんから。日本だけやったった無駄なんですよね。無駄なことなんですね、言ってみれば。





CO2減らすの大切かもしれませんよ。だけどCO2を減らすのが大切だとした場合、それはですね、世界平和で戦争しちゃいけないとかね、軍備を持たないとか、それから核武装しないとかいった類と同じで、現実とかなり離れてるんですよ。だから、日本だけがCO2を減らす…日本だけが核武装しないってのはこれ正しいんですよね。別にしなくたってどうってことないんですから。子孫に困るってことないんですから。





ただCO2を減らそうとすると損害を受けますからね。「そんなことまでするのかなぁ」と、未来の子どもたちのためにと言うけれど、未来と言ったってですね、やっぱり200年先ぐらいと500年ぐらい先ってのは考えない方がいいんですよね。今から300年前っていうと江戸時代ですからね。江戸時代の人たちが「石油がどうか」とか、そういうことを考えられないんですよ。





実は300年もたちますと、人間の歴史ってのはぜんぜん違ってるんですね。これは近代自身じゃなくて、もう昔からそうなんですよ。今からもう1000年ぐらい前って言いますと紫式部(の時代)なんですけど、貴族の一部は家に住んでますけど、多くの国民はまだ竪穴にちょっと毛が生えたようなものなんですよ。ちゃんとした家もありましたけどね。





だから、あまり300年とか400年ってのは考えない方がいいんですね。時によっては昔よりか現在の方が時代の変化が速いと言うんですけど、もしそうであれば、ますます300年後、500年後なんかはですね、考えない方がいい。





それよりか今我々が受け取っている原発の電気の核廃棄物が、我々の子どもが処理しなきゃいけないと、これはちょっと可哀想ですからね。ですから私たちはアメリカの判決を参考にすんの悔しいんですけど、アメリカを真似るの悔しいんですが。一応ですね、こういう判決があったというのを一つの根拠にもできると思います。