技術者魂 (8/4)
あるとき、自動車の大会社の技術担当重役にお会いしました。ちょうど良い機会だったので、私は電気自動車の将来性についてご質問をしたのです。
私は質問に対して、将来の市場性(つまり車として有望か、日本で売れるかどうか)などをお答えになるのではないかと思っていたのですが、驚いたことに彼は話を始められてから終わりまで、すべて「いかに安全な車が設計できるか」について微に入り細にいり、私に説明をしてくれました。
これこそ「技術者魂」なのです。どんなに素晴らしい車、最高速度が大きい新幹線、電気をもたらす発電方法、そして通信の優れた携帯電話を作っても、それが安全で、快適で、幸福をもたらすものでなければ「技術的作品」とは呼べないものです。
福島原発の事故に関して国会の事故調査委員会の結論が公表されたとき、あるテレビ局がコメントを求めたので、私は「一応の評価ができるものだが、技術的踏み込みが不足している」と言いました。たとえば事故原因が「人災」だったとしても、人災をもたらした人間関係、組織を問題にするとしても、技術者だったら、しつこく技術的問題を取り上げるからです。
その点で、福島原発事故のあと、まだ原発を推進しようとしている技術者がいるのは実に不思議です。福島の事故が起こるまで、軽水炉で、しかも日本の軽水炉で福島クラスの事故を起こすということは原子力の技術者は考えていませんでした。
だから、あの事故は技術者から見ると完全に失敗で、何が間違っていたのかを徹底的に考え、新しい設計をやり直さなければ到底、原発を推進する気にはならないからです。
私は、今の技術力では電気は火力発電がもっとも適していると思いますし、石油石炭天然ガスなどは1000年はあるのですから、少し頭を冷やして考える時間は充分あります.また100歩譲ってCO2による温暖化の効果が少しあるとしても、世界でCO2を削減しているのは日本だけですから、原発事故の後、しばらくは火力発電をするのに世界は何も異議を挟まないでしょう.
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原子力発電技術に少しでも携わった技術者の皆さん、私たち(原子力に関係した技術者)は次のように訴えようではありませんか.政治的なことなどに関心はあっても私たちの本業、技術の魂を守ろうではありませんか.
1. 私たちは原子力技術が日本のためになると信じて、技術の開発を行ってきました。決して、私利私欲ではなく、原子力の実用化によって日本が繁栄することが目的でした.
2. 私たち(原子力技術者全体:個別の技術者では軽水炉が危険だと言っていた方もおられます)が軽水炉を選択し、それを推し進めてきたのは負のボイド効果など原子炉の中では格別に安全性に優れていたからです.
3. 原子炉の固有安全性、多重防御などによって、震度6の地震や15メートル程度の津波で爆発するとは思っていませんでした。事故が起こってから「津波が15メートルだったから」といういいわけをしている人もいますが、私たち技術者は「震度6で津波が15メートルに達したら原発が爆発する」と言わなかったと記憶しています。
4. 私たちは個別の技術者がどう言ったかは別にして、技術者全体としては日本社会に「原発は安全です」と言ってきました。原発の安全性は技術者以外にはわかりません。だから今回の事故は私たち技術者の責任です。
5. 「震度6、津波15メートル」で爆発したとなると、私たちの安全の考え方に基本的な誤りがあったことを示しています。「固有安全、多重防御」が意味をなさなかったのですから、私たちは「基本的に考え直す」ことを表明する必要があります。
6. 当面、私たちの失敗によって国民に迷惑をかけたのですが、節電に協力していただき、できるだけ早く、もっとも技術的に完成している化石燃料の火力発電を早期に稼働できるように努力することが大切です。これがせめてもの国民に対する贖罪の一つです。
7. もう一つ、福島を中心として苦しんでいる人に、4500億円の原子力予算、カンパ、労働奉仕、被曝測定・・・なんでも良いですから、ご迷惑をおかけした人の生活の回復に原子力に関係した技術者全員で努力したいと思います。
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政治が技術に命令する事があります。でも、それによって技術者の魂が奪われるわけではありません。政治が「被曝限度は1年20ミリ」と言っても、私たち技術者がこれまで「被曝限度1年1ミリ」と決めてきたのです。
さらに原子炉の設計に当たっては「1万年から10万年に一度の事故に限って臨時に1年5ミリまで認める」という設計基準で審査をしてきました。今回の事故は日本で原子力を始めて40年ほどで起こった事故ですから、その意味では100年に一度。もし地震の規模という点で1000年に一度でも、1年1ミリを超える事はありません。
自分たちで決めたことには責任を持ちたいと思います。日本は科学技術立国であり、技術は単に学問的なものだけではなく、今後も社会に貢献する安全な技術を提供していく必要があります。その最も大切なのは技術者の魂、技術者の倫理であることは間違いありません。
(平成24年8月4日)
--------ここから音声内容--------
ある時に自動車の大会社の技術担当重役にお会いした時です。ちょうど良い機会だったので、私は電気自動車の将来性について質問をしました。普通ですと会社の技術担当の重役っていうことですとね、「将来性…どのぐらい売れるか」とか、「どのぐらいの時期に電気自動車が出てくるだろう」とか、こういったことをお話しなるかと思ったんですが、彼は話を始められてから終わりまで、すべて「電気自動車はいかに安全な車が設計できるか」ということを、私に微に入り細に入り説明をしてくれました。私も技術者ですから、彼もですね、ちょっと細かいこと言えませんが、どういう場所をどのように補強しなきゃいけないか、どういうような衝突に対して、何を守らなきゃいけないかってなことをですね、事細かに話して頂きました。
実はこれこそですね、「技術者魂」なんですよ。私もずっと技術者でやってきてですね、どんなに素晴らしい車であっても、どんな速い新幹線であっても、発電方法であっても、携帯電話であってもですね、まずは「安全で快適で幸福をもたらすもの」でなければ、元々「技術的作品」とは呼べないわけですね。技術は…特に技術はですね、社会の福利といいますか、みんなが便利になって幸福になる手伝いをするわけですから、それがですね、反対に我々に対して牙をむいてくるっていうのはですね、技術者としては耐え難いことであります。
福島原発の事故に関してですね、この前国会の事故調査委員会の結果が出ました。まあまあの評価ができますけれども、技術的な踏み込みが足りないと私は思いますですね。もちろん「事故原因が人災である」ということは…指摘はいいことなんですが、人災がもたらした結果的なですね、技術問題というのをかなりきちっと明らかにしなけきゃいけないと思うんですね。
それ以上に私が問題だと思いますのは、原発に関係してきた技術者ですよ。この行動がまったく私には不可解であります。現在問題になっている原子力規制委員会の新しい委員長、委員もそうですけどね。我々はですね、今まで福島事故が起こるまで、「軽水炉は安全である」と、「福島クラスの事故を起こすことはない」と、こういうふうに言ってきたし考えてきたわけですね。
ですからあの事故というのは技術者から見ると完全に失敗なんです。もう人災であろうとなんであろうと、技術的に失敗なんです。ですから「何が間違ってるかを徹底的に考えて設計をやり直したい」と、「そうしなきゃダメだ」と、こういうふうに思うのはですね、これはもう技術者の通常の心の動きだと思うんですね。自分が今までやってたとか…やってたからこそでしょうかね。
で、それに何年かかるのかわかりませんが、石油・石炭・天然ガスがあと1000年もあるわけですから、とにかくですね、とりあえずしょうがないから火力発電所にバトンを渡して、原子力はやり変えるというふうに思うのが、これが技術者魂なんです。このブログをお読みの中には技術者ではない方もおられると思いますが、どの世界もほとんど同じかもしれませんが、技術者魂というのはそういうものであります。
そこで、この後はですね、原子力発電技術に携わった技術者に、私の方から呼びかけたいわけでありますが、政治的なことや、商売的なことはあってもですね、我々はこのような大きな事故に対して、技術者の魂に立ち返ろうではないかと思います。
まずはですね、第一。私たちは原子力技術が日本のためになると信じてやってきた。私利私欲ではなく、原子力の実用化によって日本が繁栄するということが目的であった、ということですね。
第二番目。我々技術者が軽水炉を選択し、それを推し進めてきた。負のボイド効果など、原子炉の中での安全性が高いと、こういうふうに考えてきました。
三番目は、原子炉の固有安全性とか多重防御によって、震度6の地震とかですね、15m程度の津波で爆発するとは絶対思ってませんでした、原子力技術者はですよ。事故が起こってから「津波15mだったから」と言い訳をしてる人がいますが、私たちはですね、「震度6で津波が15mだったら爆発する」なんて言ってきませんでしたね。ですから、我々の考えと違っていたんですね。
四番。私たちが日本社会に対して「原発は安全です」と言ってきたわけです。安全かどうかは技術者以外にわからないんですね。今、なんか首相が「安全だ」とか、経産大臣が「安全だ」とか言ってますが、それはですね、わかるはずがないんです。誰か技術者がそう言わなきゃわかんないんですよ。だから、今回の事故は私たち技術者の責任であります。
五。もしもし震度6、津波15mで福島原発が爆発したんだとするとですね、我々の安全に対する考え方に大きな間違いがあるということなんですよ。ね。技術者は「大丈夫だ」と言ったら大丈夫じゃなくちゃいけないんです。「大丈夫だけど爆発した」 「言い訳はこれこれだ」なんてやってたらですね、新幹線も船も飛行機も何もできません。我々技術者は、そこはプライドを持ってなきゃいけないわけですね。
六番。私たちの失敗によって国民にご迷惑をかけたわけですから、当面節電に協力して頂くかもしれませんが、できるだけ早く化石燃料を火力発電所で燃やしてですね、電気を供給するという努力をするのが、国民に対するしょく罪の一つであります。
最後に七。福島を中心として苦しんでる人たちに、年間4500億という原子力予算の一部を、少なくとも何かの役に立ててもらう。カンパもする、労働奉仕もする、被曝測定もする、なんでもいいですから、原子力技術に携わってきた人はですね、ご迷惑をおかけした人たちに対する生活の回復に全力を注いでもらいたいと思います。
技術には社会的には制約がありますから、政治の命令によって動かなきゃならないこともあります。例えばしかしですね、政治が「被曝限度は1年20ミリ」と言った場合は、絶対にそれに承服することできませんね。だって我々技術者が「被曝限度は1年1ミリ」と定めてきたし、それには我々の技術的根拠があったんですね。
さらに原子炉の設計にあたっては、「1万年か10万年の事故に限っては1年5ミリまで」というふうにやってきたじゃないですか、設計基準で。今度の事故は40年ぶりに起こり、100年に一度とか、どんなに珍しくても1000年に一度でありますから、被曝限度を1年5ミリに上げることはできません。1万年から10万年になったら5ミリというのはですね、日本人という全体の遺伝子の損傷に対する回復時間でありますから、これもですね技術的にきちっとしなきゃいけないと思います。
これからですね、日本が科学技術によって立ち、技術がですね、社会に貢献するという時の一番大切なことは、技術そのものもともかくながら、技術者の魂、技術者の倫理であることは間違いないわけですね。非常に技術者にとって重要な時期だと思います。
ちょうど事故が起こって1年4か月、ここまで技術者は…原子力の技術者はですね、圧倒的な事故に対して、自失…ぼう然としているという感じがしますが、やはりここは立ち上がってですね、「我々の間違いであった」ということと、全力で当面の被害を回避するということ、これをですね、やっぱりやらなければいけないと、声を上げて進んでいかなきゃいけないと思います。