日本国土は改造が必要、研究も不足している(環境運動の大転換に期待する) (7/25)
小学生が痛ましい交通事故に巻き込まれる報道が後を絶たない。そのたびに運転手が悪いということを言われるが、むしろもっと積極的に通学路と交通路を徹底的に分ける土木工事が必要だ。
ただ、車が悪い、車を追放しろといっても、それは人をバッシングして不便になるだけで、車と小学生を分離して双方とも安全に生活できる方が良いのは決まっている。それには全国できめ細かい道路工事を必要とする。
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梅雨の終わりの豪雨のたびに多くの犠牲者を出す。責任逃れのために「記録的」、「過去に例がないほど」などと言っても前向きではない。事故が起こるのは「豪雨」自体ではなく、直接的には「防災対策の遅れ」、根本的には「日本社会の弱さ」にある。
土砂崩れが起こるところ、洪水が予想されるところはすでにわかっている。そこに資源と土木工事を集中して日本を安全な列島にする必要がある。
場所によっては大規模に山を削り、その土で新しい国土を作ることもしなければならない。かつてのように「不要となった汚染された土で海岸を埋める」というのではなく、日本の環境を良くするために積極的に山を削ることを考える必要がある。
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日本列島ができたとき、ここに日本人が1億人も住むことを予想して「最適な国土」を作ったわけではない。また一般的には山野の面積は国土の40%が上限とされていて、日本は30%ぐらい山を削っても問題は無い。「自然のまま」というのは必ずしも自然を守ることにはならない。
人間は自然の一部であり、かつて恐竜のすることが自然の一部だったように、人間のすることも自然である。たとえば珊瑚礁というのはサンゴという動物の死骸だが、地形は大きく変化している。
海の色もかつては汚い(人間の感覚で)緑色だったが、生物がはき出す酸素で酸化されて沈殿し、今の青色になった。人間が「自然を破壊する」と言うとき、そのほとんどが「自分が生まれた時を自然とすれば」ということで、それを「自然らしい」、「美しい」と感じる。
20億年前に生まれていれば汚い緑色の海を綺麗と思うだろうし、珊瑚礁を見たら廃棄物に見えるだろう。人間の持つ頭脳に知性というものがあったら、感覚だけでは無く、じっくりと考えることも大切だ。
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ドイツは今から80年前にアウトバーンを敷いた。アメリカは50年前に全国高速道路網を作って無料にした。日本は今でも山陰、和歌山、九州西部、北海道などの高速道路網が貧弱である。新幹線も北陸、羽越、山陰、和歌山、四国、九州西部、北海道などまだ敷設されていない。
日本国土は狭いのだから、交通網を発達させて東京や大阪だけが価値のある土地という現状を変えなければならない。今は中途半端なので交通を便利にするとストロー現象(都市に人を吸い取られる)が起こるが、交通網を発達させ、権限を分散すれば国土はさらに有効に使用できる。
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資源もあり、お金もあり(日本の貿易収支、対外純資産は世界有数)、円高、技術力ありなのですべての条件が整っている。でも、一つ足りないものがある。それは「私たちの国土をよりよくして子供達に引き継ごう」という前向きの気持ちがすっかり萎えてしまったことだ。
鎖国政策をとれるならこのままでも良いが、世界との競争があるので、このままの国土では私たちの子供の時代は持たないだろう。日本がこれまで繁栄してきたのは「効率的」だったからで、今後も事故や天災をできるだけ少なくし、移動などの時間を効率的にすることが子供達へのプレゼントの一つになる。
それに加えて、明るい社会を作ることは、直接的ではないにしろ、学校教育も良い方向に進むのは言うまでも無い。今、余りに悲観的になった日本は「自然をどの程度、改善できるか?」という議論をすることすら根気や勇気を失っているように見られる。
この原因の一つが、政府や自治体の20年続いたご都合主義と、マスコミの誤報によるものだが、そんなものに負けてダメな日本を次世代に引き継ぐようなことがあってはいけないと思う。政府が決めたことに疑問を挟むのを「ださい」と言い出したころからの現象だが。
(平成24年7月25日)
--------ここから音声内容--------
この前ですね、豪雨がありまして、それで九州地区を中心に非常に大きな被害を受けました。私も熊本に行くチャンスがありまして、災害を受けた自治体の方に直接お会いしたりいたしましたが。それもありますし、それから小学生が痛ましい交通事故に巻き込まれる報道が続いたりしました。その度に「運転手が悪い」というようなことが言われるんですが。
そしてテレビの画像にはですね、細い道を車と接するようにして児童が通ってる様子が出てきます。「規制したらどうだ」と「車を追放したらどうだ」と、まずそういうふうなですね、いわゆる後ろ向きの対策がテレビのコメンテーターなんかから盛んに言われます。しかし、もう一つはですね、「車と小学生の通学を分離できないか」と「双方とも安全に、また快適に生活ができないか」という方向で考える必要があるんではないかというふうに思うわけですね。
先程話しました豪雨についても同じでありますけども、梅雨の終わりってのは必ず豪雨があるわけです。諫早(いさはや)豪雨、長崎豪雨で代表されるように、九州ではだいたい30年に一遍非常に大きな豪雨があり、10年に一遍ぐらい割合中規模な豪雨があります。今年の豪雨についてですね、「過去に例がないほど」というような大げさな言い方がなされておりましたが、私も「そういうことは無いだろう」と思って調べてみましたら、過去の豪雨のいずれも1時間あたりでも、1日あたりでも「2分の1以下」であるということであります。
つまり、豪雨で事故が起こるのは「豪雨」自体ではなくて、直接的には「防災対策の遅れ」であり、間接的っていうか基本的にはですね、「日本社会の弱さ」にあるわけですね。土砂崩れが起こるところとか、洪水が予想されるところはですね、長い経験で分かっているわけですね。今度の津波でも同じですが。そこに日本の資源と土木工事を集中して日本を安全に住める列島にする必要があるわけです。場所によっては山を削んなきゃなんないこともあります。その土で新しい国土を、海を埋め立てて作る必要もあります。
かつてですね、埋め立てがなぜまずかったか?っていうと、まぁ勿論、環境のことをよく考えなかったってのが一つと。もう一つは、「不要となった汚染された土で海岸を埋める」ということをやったからでありまして、「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹くの類」とよく言いますけれども、かつて悪いことをしたから、もともと良いことを控えるというようなですね、まさに衰退した社会の論理に巻き込まれないようにしなければいけないと思いますね。
日本列島ができたときに、そこに日本人が1億人も住むことを予想して自然が「最適な国土」を作ったわけではありません。たとえば、日本は山野の面積が67%ありますけども、だいたい「通常の文化的生活を送るためには、山野の面積は国土の40%ぐらいが最適だ」と言われておりまして、日本の場合は30%ぐらい山を削ってもですね、それが「自然のまま」であると言えるわけですね。
よくあの、「人間がすることは自然ではない」と言いますけども、それは傲慢な言い方ですね。恐竜がすることは自然の一部であり、人間のすることも自然の一部であります。たとえば珊瑚礁というのはサンゴの死骸ですけども、それによって地形は大きく変化しています。海の色もかつては物凄く汚かったわけです。人間の感覚で汚かったんですね、緑色だったわけです。ところが生物が吐き出す酸素…これも廃棄物ですが、この廃棄物とこの汚い緑色の物質…ま、鉄の二価ですけど、それが結合しまして現在の綺麗な海になりました。
つまりですね、我々が「自然を破壊する」というふうに言うときですね、そのほとんどは「自分が生まれた時を自然とすれば」ということに過ぎない場合があります。ですから、必ずしも「『本当のそれが自然である』とかいうことではない」ということですね。20億年前に私達が生まれていれば、汚い緑色の海を「綺麗だ」と思うでしょうし、珊瑚礁を見たらですね、「あれは汚い廃棄物だ」と見えるでしょうね。現在の珊瑚礁を私達が見ると非常に美しく見ます。しかしあれは死骸であり、廃棄物であると。まぁ、こういうことですね。「何が自然であるか」っていうようなことは、単なる感覚だけでは無く、じっくりと物を考える必要があるというふうに思います。
それからもう一つは、やっぱり今、日本人がすごくシュリンク(shrink/収縮)して小さくなってますので、「高速道路網がダメだ」と「国土に手つけちゃダメだ」っていうのが非常に強くありますけども。ドイツは今から80年前にアウトバーンを敷きまして、高速道路網を整備し、アメリカは50年前に全国に高速道路網を作って無料にしました。日本はそれに比べてですね、ほとんど同じような経済力がありながら、山陰、和歌山、九州西部、北海道など高速道路網が貧弱でほとんど無いし、新幹線も北陸、羽越、山陰、和歌山、四国、九州西部、北海道なんかにはまだ敷設されていない状態ですね。
今東京とか大阪に全ての権限が集中しておりますけども、これは中途半端な交通であるからと、ストロー現象(都市に人を吸い取られる)が起きますけども、本当にきちっと整備してですね、権限を分散して、国土をさらに有効に使用するようにするべきだというふうに考えます。現在日本はですね、貿易収支、対外資産という点でも世界有数であり、その意味でお金もあり、資源もあり、円高であり、技術力があるということで、すべての条件が整ってるわけですね。
何が足りないか?っていうと、「意志」ですね。「私たちの国土をよりよくして子供達に引き継ぐ」という前向きの気持ちがすっかり萎えてしまっているんではないかというのが私の感じであります。特にこの水害とか、打ち続いた子供の交通事故なんかを見るにつけですね、「あー、残念だな」と「せっかく我々には出来る能力があるのに気持ちが少し後退してるんだな」というふうに思います。
私はですね、この「明るい社会」っていうのは、生物にとってはやっぱり「前進」を必要とするんですね。前進する社会というのは、ある意味では明るくなります。学校教育の問題がありますけど、やはりこれはですね、社会が沈滞していて学校教育を良くするのは非常に難しいんですが、社会が前向きになればですね、学校教育もまた勢いを取り戻すんですはないかと、私はそういうふうに思いますですね。
その点でですね、私は議論をする根気とか勇気が日本に無くなったと。つまり政府や自治体がですね、20年間ご都合主義を続けてきて、マスコミは誤報が続くということによってですね、「まぁいいじゃないか」と、政府が決めたことやってること、みんながやってることを疑問を挟むのは「ダサいんじゃないか」ということを言い出したころから、日本の衰退が訪れてるんではないか。
これはですね、技術が劣るとかいった問題じゃなくて、単に自分達の「意志」の問題でありますから、この際元気を出して明るい社会を作るようにしていく必要があると私はそういうふうに思います。
(文字起こし by haru)