時事寸評 言うことを聞かない子をどうするか? (7/14)
中学校や高等学校の教育はとても難しいのですが、大学でも時々「講義もできない」という状態になることがあります。
ワルの一団が教室にいて、講義を始めてもワイワイガヤガヤ、まったく講義を聴かずに大騒ぎをしていることがあります。小さい頃から「何をしても良い」という「優しい教育」を受けてきたので、自分では歯止めが効かないのです。
私が彼らの机の横に行って「聞きたくない学生は出て行ってくれ」と大声で言っても「フン」という顔をして、黙りません。机の上には禁止されている飲み物が置いてあり、椅子に膝を立て、横を向いて6人ぐらいで大声で話すのを止めないのです。
「前を向けっ!」、「出て行けっ!」と大声で怒鳴りますが、私は柄は小さいのですが、迫力、根性はある方で学生がどんなに私をにらんでもまったく意に介さずに怒鳴りますが、気の良い先生や女性の方の場合はなかなか難しいとおもいます。
教育のご経験のない方では「そんなのは無視していて良いじゃないか」とか「合格させなければ良い」などと言いますが、機械の小さな音を聞かせることもあれば、静かな環境で聞いてもらわなければならない講義もあります。
さらには「落第が何%以上になると補助金を切る」という文科省の変な指導もあり、落第もさせられず、暴れる学生を止めることもできず、教師はどうにもならないという状態になるのです。
いわゆる「ゆとり」の前は「高校の時に携帯電話を持っていたら取り上げられる」という教育を受けているので、「授業中に携帯を使っては行けない」ぐらいは知っているのですが、ゆとりの世代は「なんで携帯で電話しては行けないの」ということから始めなければならないこともあります。
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このような状態を打破するのは、第一にムチ、第二に立たせておくというような体罰以外に方法がないのですが、それはできません。すでに「教師のムチ」がなくなってからかなりの年月が経っていますので、「立っていろ!」と怒鳴っても腰を上げませんし、腕をとって背の高い乱暴な男子学生を立たせるのはかなり大変です。
日本の知識人、マスコミ、文科省はこのような「困難な教育環境」をどのように解決するのか、まったく知らん顔で、「難しいことは現場に押しつけて、なにか問題が起こると現場の責任にする体制」だけを作るのに熱心です。つまり「教育には興味が無い。子供に愛情がない」という人たちがテレビでワイワイ言い、制度を作っているということです。
一言で言えば、文科省がいじめの元を作り、テレビが他人ごとのように報道し、現場はなにもできずに呆然とし、そして中学生が死んでいるということなのです。
私が最初のこのシリーズで教育委員会に「ウソをつかない」事を求めたのは、自殺を防ぐことができない中学校の現場の状態を素直に記者会見で言って欲しかったという事だったのです。
(平成24年7月14日)
--------ここから音声内容--------
学校教育ではですね、言うことを聞かない子どもをどうするか?っていうのは、非常に難しい問題があるんですよ。昔はもうこんなこと無かったんですけどですね。まぁ大学の私ですらですよ、これはまぁ中学校、高等学校はもっと酷いんですが、大学の私ですら、時々「講義もできない」という状態になることがあるんですね。例えばワルの一団がですね、教室にいてですね、講義を私が始めてもワイワイガヤガヤやってるんですよ、6人ぐらいで。まったく講義も聴かないで大騒ぎしてるわけですよ。
で、これはですね、昔はそういうことなかったわけですね、先生が聖職でしたから、「オイ、コラ!」と言えばですね、黙ったんですが、今そうじゃないんですよね。「オイ、コラ!」と言ったら、なんか「侮辱した」なんて言われる時代ですからね。で、まぁ、その学生が悪いか?って言うと、これは難しくてですね、小さい頃から「何をしても良い」という「教育」を受けてるんですよ。で、「優しい教育」って言いますかね、こう「何でも子どものことを認める教育」っていうのが行われているわけですよ。
で、学生自身も自分では歯止めが効かないんです。これもう生徒はもっと酷いですね。中学校、高等学校あたりの成長期の生徒はもっと酷いですよ。どんな感じか?って言うとですね、彼らがあんまりワイワイガヤガヤやって講義できないもんですから、そこに(彼らの机の)横に歩いて行ってですね、「聞きたくない学生は出て行け」とこう言うわけですよ。そうするとね、みんなね「フン」っていうような顔をしてるんですよ、全然しゃべったままなんですよ。それで、机の上にはまぁ、持ち込みが禁止されている飲み物が散乱してて、本人は2,3人椅子に膝を立てて横を向いて話すという、こんな感じなんですね。
で、ええと、社会の普通の人はですね、そういうことが行われてないと思ってるんですね。例えば、私あの、社会に出て、「そこんとこ、こうですよ」と言えば、「あっ、すいません」って、これが普通なんですが。それでしょうがないから、「前を向けっ!」とかですね、つまり、黒板の方向いてないんですから、後ろ向いてんですからね。あんまり聞かなかったら「出て行けっ!」とこう言うと、大声で怒鳴るわけです。私は小柄なんですけど、迫力、根性ありますからね、頑張って言いますけども、学生も私を睨み返してくるわけですよ。「なに言ってんだ?」と「別にいいじゃないか、俺たち話してても」と、こうですからね。ですからこれで、気の良い先生とか、優しい先生、女性の人はどうするんですかね?
で、それに対して、こんなこと言う人いるんですね。「そんなのは別に無視して良いじゃないか」とかですね、「落第させれば良いじゃないか」と言うんですけど、そうはいかないんですね。一つは、例えば、その講義ではビデオなんかを使って、機械の小さな音を聞かせるっていうようなこともあるんですよ。静かな環境でないといけないってことは、しょっちゅうですからね。まずそれはダメなんです。それをほっといて講義したって何の役にも立たないんですよ。
それからもう一つは、文科省がヘンな指導するんですよ。「落第が何%以上になると補助金を切る」って、ま、こう言いましてね。文科省の誰かに問い合わせたら「そんなことしてませんよ」って言うでしょうね。これ非常に複雑な規則なんですよ。「1年から4年までの間の定員が、何%以上になってはいけない」っていうことで、別に落第なんて何も言ってないんですが、その「1年から4年までの定員に対して何%以上になっちゃいけない」っていうのを具体的にやろうとすると、「落第させられない」っていうことなんですよね。
つまり、要するに、官僚っていうのは常にそういう、言い逃れの方法をとって、実質的に教育を破壊するっていうやり方をしてくるんですよね。で、教師はもうどうにもならないわけです。つまり、「引きずり出せない」 「体罰はできない」 「落第もさせられない」 「講義はできない」と。「教育もできない」と、こういうのに追い込まれるんですね。普通の教師だったらばそこで諦めて、「まぁいいや」と、「どうせこれが規則なんだからしょうがないや」と言って諦めるんです。
つまり、第一に、「ムチ」のようなのが無くなったわけですね。第二に、立たせとくというような「体罰」が今できないんですよ。これ、できないわけでは…できないっていうかね、ほんとにできなくなっちゃったんですよね。教師のムチっていうのも無くなって、ムチをピシッと打つのは手のひらでも、手のひらをパシンとするのが無くなったんですよ。そうすると、「立っていろ!」と怒鳴っても、立たないんですよ。今立たないですよ。もうそんなこと…「キミ、立ってろ!」って言われてもですね、立ちません。そうすると、腕をとって、背の高い乱暴な男子学生を立たせるのは結構大変なんですよ。私なんかそれやるんですよ。殴られるの覚悟ですよ、こっちもね。
で、日本の知識人…マスコミとか文科省はね、このような現実の教育環境を全く見てないんですよ。知らん顔なんですよね。「難しいことは現場がやれ」と、「とにかく現場の責任だ」と。で、マスコミに「ありゃあ先生が悪いんだ」と言やぁそれで終わりなんですよ。「学校が悪いんだ」と、「学校の管理責任だ」とか言やぁ終わりなんですよね、ええ。つまりね、知識人とかマスコミとか文科省はですね、「教育にはあまり興味無いんですよ。愛情が無い」んです、子どもにね。それがですね、ワイワイガヤガヤやったり、制度作ったりしてるわけですね。
私、今度の事件、非常に複雑な事件なんですが、それでまぁ充分に考えなきゃいけないんで、警察が入ったからもうこれで終わりとかですね、いうようなことではなくて、またあの今度警察が入ればですね、ある程度、親御さんも「警察に逮捕されちゃうぞ」ってことでですね、かなりのセーブ要因にはなりますけど、やっぱり教育はですね、あくまでもやっぱり現場の努力、先生の努力なんですよ。しかし先生が、手を奪われてはダメなんですね。死んでから捜査に入るってのはダメなんですよ、やっぱり教育は。やっぱり死なないようにしなきゃいけないんですね。
その為に、ここではですね、まず第一に、「教育委員会はウソ言っちゃあいけませんよ」って言ったのはですね、「実は学校はどうにもならないんだということ」を素直に記者会見で教育委員会が言ってほしかったんですよ。それから、先生方は聖職だということを社会が認め、正義感溢れる学校ができていればですね、命を落とさずに済んだんではないかと、まぁそういうふうに、非常に残念であるということですね。このシリーズ、とりあえず4回やりました。思わずシリーズになっちゃったんですけども。
我々は子どもを守るってことは大切なんですね。今、原発の事故が起こってですね、ほんとに酷いことになりましたね。「我々は原発の電気が欲しい。だけども、核廃棄物はイヤだ」と大人が言ってると。そうすると、核廃棄物は全部子どもの時代になってしまう。子どもは小学校で1年20ミリシーベルトを浴びるけど、大人は2ミリシーベルト、1ミリシーベルトだと。こうなっちゃったと。
この教育の問題もそうなんですね。我々今、大人はですね、「自分たちを守るために、子どもを犠牲にする」。ま、教育委員会の記者会見を見てそう思った方もおられたようですが、「いったい子どもを救えなかったのは何なのか?」ということよりも、「自分たちには責任が無いよ」ということに終始をする。マスコミもですね、これは仕方ないところもあるんですね、マスコミはマスコミで仕方ないところもあるんですが、「言った」 「言わない」の話に終始する。
もっと踏み込んで、私たちの社会がこのイジメを作ってるんだと。じゃあ、ここで書いたですね、暴れる生徒や学生、これどうするのか?と、社会はそれをちゃんとしなきゃいけませんね。私の経験ではですね、ある程度の体罰はやむを得ないんですよ。それは、例えば今だったら簡単ですからね、ビデオを撮っておきゃあいいんですから。教室にビデオを置いておいて、それで判断したらいいんですからね。そんなことはいくらでもできるんですよ。そして、「学校の中に正義を行き渡らせる」っていうことが、非常に重要なんですね。やっぱり「正義」、「誠実」、「約束を守る」、「ウソを言わない」。ま、これがですね、遠回りのようでもストレートですね。
私はですね、明日から、首相がまず辞任。「日本は今まで間違ってた」と。環境省をなくし、「日本は誠実で正義感でいこう」っていうふうに決めたらですね、私はもう1カ月も経ったらイジメなくなっちゃうと思いますよ。っていうことは、そういうことができにくい社会になりますからね。イジメをしたり、ウソをついたりするのは犯罪人だと、盗人だと、あいつら(犯罪人や盗人)は、それはまぁいるけどね、「(石川や)浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」(石川五右衛門の辞世の句)ですから、そりゃあ盗人はいますよ。だけどもそれは、特別な人なんだっていうことになりますね。
今は逆なんですよ。盗人が普通の人で、真面目な人がダメなんですね。私またここで苦情を言うんじゃないんですよ。すぐこれを思い出すわけですよ。「法律で被曝が『1年1ミリシーベルト』」に決まっている」と「法律」の解説をすると、「武田は法律を守るとは何事か」と、こういうですね批判をテレビなんかが集中的に私に対してやるっていう時代ですからね、これは中学生イジメられますよ。
私は目を覚ましてほしいと思いますね。選挙公約で、減税は…むしろ減税方向、つまり、「実質減税」ですよね。増税はせずに、高速道路無料化したり、児童手当を増やしたりってことは実質減税ですよね。税金の国民への還付ですから。それを消費税5%上げて、扶養手当控除をなくして、子ども手当をやらないという、そういう状態で子ども達の教育現場がイジメが無くなるとは、私思いません。
(文字起こし by haru)