人間の進歩と未来(2)・・・未来を止めるものはない | お手伝いさんたちのブログ

お手伝いさんたちのブログ

中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

人間の進歩と未来(2)・・・未来を止めるものはない (7/5)




今から30年ほど前、一冊の本が日本の多くの人の思考力を止めました。その本の名前は「成長の限界」で、内容は「経済の発展には限界がある」というもので、作者はメドウスという真面目で人間の理解が不十分な数学者でした。



もともと学者でも地質学者や生物学者は人間に対する理解が深いものですが、それはこれまでの地球や生物の歴史に通暁しているからです.それに対して私も含めた物理や数学の人は理論が先行しますから、自分勝手で理屈っぽく、視野が狭いのが特徴です.



これはその人の職業がもたらすもので、どちらが悪いというようなことではありません.生物学者はお酒のみで人なつっこく、物理学者は傲慢で付き合いづらい人が多いものです。



メドウスは「1970年の世界がなにも変わらなければ」という前提で未来を計算し、「21世紀に人間の発展は止まる」と本に書いたのです.それをメディアが「何も変わらなければ」という前提を言わずに「発展は止まる」とだけをくり返しました。



なぜ人間の発展が止まるかというと「資源が枯渇し、環境が破壊されるから」とメディアは言ったのです.このこと自体に矛盾が含まれていましたが、多くの人がそれに気がつきませんでした。ちょうど、現在の日本で「温暖化が怖い。石油がなくなる」と言っているのと同じで、石油が無くなれば温暖化の原因となるCO2を出すことができなくなるので、この2つは同時には実現しません。



事実、メドウスもそれは気がついていて、彼の予想では「資源が豊富な方が環境破壊が早く来る」というものでした。資源を失えば活動量が低下しますから、資源が豊富な方が環境技術ができなければ破壊が進むのも当然でもあります。



でも、メドウスに間違いがあったわけではなく、「世界は変わっていく」のが事実ですから、メドウスの前提をよく考えなければならないのです。メドウスの結果は「仮に人間がなにも改善できなければ(人間が人間でなければ)、あと100年以内に発展が止まる」ということですから、「発展が止まると成長に限界がある(発展が止まる)」と言うことでもあるのです。



・・・・・・・・・



今から200年前には電気も蒸気機関車も鉄鋼の大量生産方法もありませんでしたし、100年前には自動車もテレビもコンピュータもなかったのです。時代は「多消費型」だけの方向に進んでいるのではなく、あらゆる方向に進んでいます。



そしてこれからも人間の改善はGDPで言えば年間2から3%ずつ、つまり100年間で活動量は7.2倍から19倍(この計算はそれほどの精度がないので約10倍から20倍といって良いでしょう)になるだけ進歩します。



改善は前方向に進みますから、エネルギーが豊富なら豊富な方向に、無くなればエネルギーがなくなっても大丈夫な社会を作ります。それほど難しい事ではありません。農業はほとんどが水耕栽培になり力仕事はいらないでしょうし、漁業はサカナを自動的に誘導する方法が開発されるでしょう。



楽しみのために旅行に行くことはありますが、ビジネスはすべて電子的に行われ、現在の「出張」がなくなり仕事にはほとんどエネルギーを使わなくなると考えられます。都市の形も大幅に改善され、今でもすでにドーム型都市で冷暖房に使うエネルギーは10分の1が現実になろうとしています。



すべての活動に使うエネルギーが10分の1になれば、おおよそ1000年は持つといわれている化石燃料(石油、石炭、天然ガス)は1万年になり、また別の世界になります。



・・・・・・・・・



もともと、なぜ原始的な単細胞だった緑藻類が人間になったかというと、生物は「改善してやまない性質」を持っているからです.サルが人間になり、ネアンデルタール人が現代人類になり、四大文明が現代文明になりました。すべては「すべての人間が不都合を改善し、すこしでも良い方向に進まなければ気が済まない性質」を持っているからに他なりません。



ただ、人間の頭脳は欠陥があります。その欠陥とは「頭にないことを思い浮かべることができない」というものです。電灯が発明される前、人間は夜は暗いと思っていました。電話が発明される前、人間は大声を出さないと情報を遠くに届けることはできないと思っていました。どうしても必要なときにはのろしや早馬を利用し、それはそれで社会を構成していたのです.



「成長に限界がある」というのは「自分の頭は、頭に入っていないことは思い浮かべない」と言っているに過ぎないことは、37億年の生物の歴史が如実に示しています.


(平成24年7月5日)




--------ここから音声内容--------




えー今からですね、30年ほど前に、一冊の本が日本人の多くの思考力を止めたわけですが。その本の名前は「成長の限界」というもので、内容としては「経済の発展には限度がある」もしくは「人間の発展には限界がある」というもので、作者はメドウスという非常に真面目な人ですが、数学者ですから、それほどその、人間への理解があったわけではありません。





もともとですね、学者ってのは面白いもんで、地質学者とか生物学者っていうのは、自然に対する理解が深いので、やっぱり同時に人間に対してもとてもよく理解してるんですね。それに対して、私なんかそうですが、物理とか数学を勉強した人はですね、どうしても理論が先行して自分勝手で理屈っぽく、視野が狭いっていうのがまぁ特徴なんですよ。これはまぁ、仕方がないものでしょうね。職業がもたらすものです。





だいたい生物学者っていいますと、お酒飲みでですね、陽気で人なつっこいんですが、物理学者ってのはだいたい傲慢で付き合いにくいんですよ。これはまぁ専門が成せることだからまぁそれほど仕方ないんですよね、これね。「野球選手は大雑把になり、卓球選手は繊細になる」ってよく昔言われたもんですが、やっぱりこれも扱う球の大きさだとかそういったものによってしまうんですね。人間はそういうものです。





えー、ところで、メドウスは「1970年頃の世界がなにも変わらなければ」という前提で未来の地球を計算し、「21世紀に人間の発展が止まる」という本を書いたわけですね。これでみんなビックリしちゃったわけです。特にメディアが「何も変わらなければ」という前提を言わずに「発展が止まる」ということだけを繰り返しました。私もそれに騙されました。なぜ人間の発展が21世紀に止まるかというと「資源が枯渇して、環境が破壊されるから」と本に書いてあり、メディアがそのまま伝えたわけですね。





で、このこと自体にもう矛盾があったわけですが、多くの人は報道された時にそれに気が付きませんでした。ちょうど今ですね、日本で言っていること、「温暖化が怖い。石油がなくなる。だから自然エネルギーだ」なぁんて言ってますけども、石油が無くなればもともとCO2が出ませんから、温暖化しないんですね。むしろ寒冷化するわけですよ。ですから、「石油が無くなるなら温暖化は怖くないし、石油があれば自然エネルギーはいらない」というこういうことになってですね、なかなか難しいんですね、考えるのが。





メドウスはこれには気が付いておりまして、「資源が豊富な方が環境破壊が早く来る」というふうに結論しております。当然資源を失えば活動量が低下しますので、資源が豊富な方がですね、環境技術ができなければですね、破壊が進むということになりますね。これはですね、私の先生がその当時…みんながですね「資源が無くなる。環境破壊が来る」というふうに言っているのを、私の先生がですね、「武田君、このグラフよく見てくれよ」と、メドウスのグラフを示していただきました。それにはですね、「資源が無くなれば活動量が減るので、環境破壊が無くなる」というような傾向が書いてありました。「なるほど」と思ったことがあります。しかしそれは多くの人は気が付きませんでした。





ところでですね、メドウスに間違いがあったかっていうとメドウスに失礼なので、メドウスは間違っていない、と。しかし、「世界は変わっていく」というのが事実ですから、メドウスの本が良い本かどうかっていうのは、ちょっと疑問なんですね。ま、例えばメドウスは「止まればこうなる」ってことを示しただけだと言うんであればですね、それはまぁ遊びとしてはいいけど、まぁ社会的に影響があるというのはちょっと考えもんですね。





例えば今から200年前には、電気も無く、つまり夜があり、蒸気機関車が無く…つまり足で歩く、鉄も無かったと、こういうことですね。大量生産も無かった。100年前には自動車も無く、テレビも無く、コンピュータも無かったわけですね。「進歩」というのは、みなさんですね、なんか「消費が増える」方向にいくというふうに思ってらして、そんなことはなくて、消費が増える方向もありますけど、あらゆる方向に進むわけですね。ま、GDPで1年に2%って言われますが、科学技術も含めますと3%ぐらい、つまり100年間で活動量っていうのはだいたい10倍から20倍になるわけです。





この活動量が10倍から20倍になるっていうのは、これはしょうがないことなんですね。しょうがないっていうか、人間っていうものはそういうもんなんですね。平安時代のことと今とを比べますと随分違いますよね。着ているものから平均寿命から生活から全く違うんですが、これは人間が変化するからなんです。しかも改善は必ず前の方向に進みますので、エネルギーが豊富な時は豊富な方向に進みます。無くなれば無くなってもいいように進むわけですね。





例えば「エネルギーが無くなったら何もすることできなくなるじゃないか」と、そんなこと全然ないんですよ。エネルギーがあれば農業はエネルギーを使う方法になりますが、エネルギーが無ければ農業は多分水耕栽培みたいになりまして、漁業はですね、サカナを自動的に誘導する方法になるでしょうね。これはどうしてかっていいますと、エネルギーがいっぱいあって船が出せれば、その方が面倒くさくないんで船で行くっていうだけのことで、船を動かせなければ、それなりにまた方法があるわけですね。





旅行も楽しみでは行くようになりますが、ビジネスは全部電子的に行われますね、現在のいわゆる新幹線に乗った「出張」ってのは無くなるでしょう。都市の形も大幅に改造されて、冷暖房も随分減るでしょうね。今それがやられないのは、まだエネルギーがあるからなんですね。で、もうこういうふうに変わってエネルギーの使用量が10分の1になれば、今1000年持つと思われてる化石燃料(石油、石炭、天然ガス)は1万年持つことになりますから、また別(の世界)になるということですね。





これを更に長いスパンで考えますと、我々は昔は原始的な単細胞だったんですよ。緑藻類(りょくそうるい)が我々の先祖ですね。これが人間になったのはどうしてか? それはまぁ、8億年も10億年もありましたからね。そのくらいあれば、緑藻類が人間になるんですよ。緑藻類が人間になるくらいですからねぇ、まぁそれはかなりの進歩なんですね。





生物は「改善してやまない性質」を基本的に持ってるわけです。だから、緑藻類がバージェス動物群になり、三葉虫になり、恐竜になり、そして人間になるっていうふうに、もう全然違うものになっていってるわけですね。最近でもサルが人間になり、ネアンデルタール人が現代人類になり、四大文明が現在の文明になると。こんなふうに変わってるわけですね。





「全て生物っていうのは…人間はですね、不都合を改善して、少しでも良い方向に進まなければ気が済まない」んですよ。これもう宇宙が爆発して、エントロピー増えてますから仕方ないんですね。同じとこに留まっていることができないわけです。ですから、社会は進歩していくわけですね。だから、進歩を考えなかった…これはあの、わざとだかどうか、ちょっとハッキリもう一回よーく読んでみないと分かりませんが、メドウスに非難をすることはできなくて、えーまぁ、「人間は発展するのでメドウスの本は意味が無い」とこう言った方がいいわけですね。将来を推定するには意味が無い。





もう一つ、人間の頭脳に欠陥があります。それはですね、「頭にないことを思い浮かべることができない」というわけですね。これはですね、当たり前じゃないかって言われるけども、そうでもないんですよ。電灯が発明される前は、人間は夜は暗いと思ってたんです。電話が発明される前は、人間は大声を出さないと情報は遠くに届けることはできないと思ってたわけですね。早馬とか、のろしを使わなきゃいけないと思ってたんです。だからそれを元に将来を見るんです。未来を見るんですよ。だけど、電話ができた途端に、人間は小さな声でも遠くに意志を届く(届ける)ことができるということが分かるんですね。それからそれを考えるんですよ。





だから、「成長に限界がある」というこのメドウスの本はですね、「自分の頭は、頭に入っていないことは思い浮かべない」 「人間は進歩しない」ということを前提にしているということですね。非常に不都合であるということが言えると思います。しかし、日本の特に知識人ですね、知識人はこれに囚われましたね。で、えーとまぁ、メドウスのことを言うと「いやぁ、人間に成長の限界がある」とか、最近では「地球にやさしい」とかそういうことを言わざるを得ないような感じになってるわけなんですね。





今でもテレビで時々そんなことを言ってますよ、ええ。「人間は進歩しない」とかですね「今までの歴史は全部無視する」とか言ってますけど、必ずしもそうではないんですね。そこんところをですね、我々は考えて、未来というものを考えなければいけない。未来は必ず今とは違うということが前提であります。


(文字起こし by haru)