福島原発事故の回顧・・なぜ事故が起こったか(1)安全設計 | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

福島原発事故の回顧・・なぜ事故が起こったか(1)安全設計 (6/26)




福島第一の原発事故の原因調査が行われているが、マスコミで報道される内容から判断すると「工学的ものに対する安全に対する考え」が学問的にかなり低いように感じられる.原発ぐらいの難しい工学的産物については、安全に関する高度な認識が必要だと考えられる。



つまり、事故原因の解明には次のような要因を順序よく検討していかなければならない。



1)もともと安全設計が存在したのか?

2)安全設計は安全を保つのに充分だったか?

3)異変が起こったとき自動的に事故にならない設計はあったのか?

4)施工は安全設計を反映していたか?

5)訓練は設計を実現するものだったか?

6)事故時の行動は設計にもとづいていたか?



すべてがOKでも事故が起こったのなら、安全設計に問題があり、もしそうでないなら人的要因や事故当時の行動が問題になる.たとえば「菅首相とベント」がたびたび新聞などを賑わせるが、これは1)から5)が明らかで、6)の問題であることを言っているが、報道から見るところ、1)から5)を確かめずに議論されていると考えられる。



たとえば、事故当時、「ベントを明けるべきかどうか?」という判断が必要という事になると、「安全設計に問題があった」と言うことになる。電源が切れて冷却が止まり、崩壊熱で原子炉内の温度が上昇し、水がジルコニウムと反応して水素を発生し、ガスによって炉内の圧力が上がった場合で、その圧力を外に逃がしてやる必要が生じる・・・このシナリオは電源が落ちた場合、一直線で進むものである.



だから、ベントには自動弁がついていて人間の判断の余地が入らないはずだからだ。水素圧力があがり、原子炉が内部から爆発する危険を生じた場合、それは大事故になるから放射性物質の放出を覚悟してベントを明けるか、ベントの先に大きな袋がついていて、そこにガスを退避させなければならない。



このぐらいは普通の安全設計に入っていて、多くの化学工場ではラプチャーディスクなどの非常時用の機器が備えられているし、そこから毒ガスが出る場合は、出る先に処理設備を持っているのが普通である.



つまり、もし今回の事件の「原因」がベントのタイミングであるとすると、それは「ベントのタイミングを間違った」ことが事故原因ではなく、「ベントのタイミングを人間が判断しなければならないという間違った安全設計」の問題である.



・・・・・・・・・



この結論がどちらかはきわめて大切で、もし安全設計の問題なら、全国の原発の再開では、設計変更が大切であり、判断ミスなら訓練をやり直すということになるからである.

事故調査は論理的でなければならず、学問的に高度であり、さらに誠実、公開などが必須要件である.実に怪しい??


(平成24年6月26日)




--------ここから音声内容--------




えーと、福島第一(原発)事故の原因追究が大分進んでおりますが、マスコミから報道されるものを読んでますと、これマスコミの報道が間違ってればいいんですが「工学的に事故なんかを考える時の安全に対する考え方」としてはかなりレベルが低い感じがするんですね。このような、もし事故の原因調査が行われてるとしたらですね、大変に問題であると思いまして、ちょっとここに整理をいたしました。





事故が起こった時の、この原因追究はまず「安全設計」ですね。

1)もともと安全設計というものが日本の原発に存在したのか?と。

2)安全設計は安全を保つのに充分だったのか?と。これまず一つですね。事故が起こらないようにするってことですね。で、事故は起こってしまった。つまり、

3)異変が起こってしまった時に、自動的に事故にならない設計はあったのか?と。これがまぁ基本的には「安全設計」というものですね。それから、

4)その安全設計に沿った施工ですね、工事。これはちゃんと(安全設計を)反映して造られていたのか?それから「人的な影響」ですね。

5)訓練はちゃんと設計通り行われていたのか?それから、

6)現実に事故が起こった時に、事故時の行動は設計にもとづいていたか?と、まぁいうことですね。





まず、安全設計自体がちゃんとしてたか?っていうことですね。それから、それを反映して原子炉が造られ、訓練が行われていたか? それが全部分かったら、6)ですね。事故後の行動っていうことになります。もしも全てがOKで、事故が起こったんならば、安全設計に問題があったわけですね。もしそうでないならですね、人的要因とかまぁ色々な行動の問題があります。





例えばですね、報道を見ますと「菅首相がベントをどうした、こうした」というのが度々新聞に出るわけですが、これはですね、実は、1)から5)までが明らかであって、6)だけ問題があったということなんですね。で、ところが私が報道に接する時には1)から5)までは確かめてられませんね。事故当時、「ベントを開けるべきかどうか?」という判断がもし必要だとするとですね、それ自体がもう「安全設計に問題があります」。





つまり、電源が切れて冷却が止まり、崩壊熱で原子炉内の温度が上昇し、水がジルコニウムと反応して水素を発生して、ガスが炉内に充満して圧力が上がって爆発する。そうなりますと、どうしても圧力を外に逃がしてやる必要がありますね・・・これはまぁ別に電源が落ちた時に起こる普通のことですので、何ら難しくないんです。





ということは、ベントには自動弁がついてた筈ですね。つまり、水素圧力が上がって、原子炉が爆発する危険が生じたら、勿論これ大事故になりますから、放射性物質の放出を覚悟してベントを開ける、もしくはベントの先にですね、大きな袋だとか何かついていてですね…吸収物とか、そこにガスを退避させるってことですね。





これは普通、化学工場でもすぐあることで…ラプチャーディスクなんかありますけども、圧力が上がった時どうするかなんてことはですね、これやってなければ大変ですからね。それから、そういうとこから毒ガスが出るっていうような場合もあるんですが、そういう時は、出る先に処理設備を持っとく…これは常識ですね。





ですから、「ベントが問題だった」とかね、「ベントのタイミングを間違った」というのがもし事故原因として検討されるならば、最初からですね「ベントのタイミングを人間が判断しなければならないという間違った安全設計」の問題なんですね。「菅さんがどう」とかそんな問題じゃないんですね。非常にこれ重要なんですよ。つまり、「安全設計の問題」なら、全国の全原発は同じ状態ですから再開が出来ないですね、設計変更しなきゃいけません。





それから、もしも判断ミス…つまり安全設計はされていた、ベントは自動的に開閉したんだけど、それを何か菅首相が止めたとか、なんか…原発の中入ってって腕力で止めたとかいうことになるとですね、今度はこれ「訓練のやり直し」とか「システムとしての問題」になります。事故調査っていうのは非常に論理的じゃなくてはいけないので、学問的にも高度でなくちゃいけないんですね。さらにその検討過程が誠実であり公開されることも必要であります。





実は事故調査が公開されないとかですね、それからディスカッションが…議論が大っぴらではないっていうようなことはですね、全然事故の原因調査とは関係無いんですよ、ええ。原因調査に必ず何か変な政治的なものが入りますね、西日本の事故もそうでした。これもう本当に悪い癖ですね。事故が起こった時は、その事故調査は絶対にオープンで誠実でなければいけません、当たり前ですけどね。人間にとって「事故が起こった」ということはですね、深く反省しなきゃいけないですね。犠牲者も出たり、色々しますから。物凄く反省しなきゃいけないんです。その反省はですね、やっぱり「誠実であること」、「公開すること」が重要ですね。





それから「学問的にしっかりすること」ですね、論理的に。その福島原発事故が「安全設計」に問題があったのか?っていうことですね。つまりその、ベントの問題だとしますとね、ベントを人間が開けるっていうことになってたのか?これは勿論、全く安全設計失敗ですね。っていうのは、「人間がヘマをしても事故が起こらない」、これが基本ですからね。





「人間がヘマをしても事故が起こらない」。これはどういうことかって言いますと、まず第一に、ベントの開閉タイミングというのがもしあればですよ、それは自動的に判断されなきゃいけません。もし人間が判断するなら、自動的に判断するやつを確認する動作っていうのはありますけどね。まぁベントの問題では一回もですね、「ベントは本来どうなければいけないか?」 「福島ではどうなっていたか?」 「施工は充分だったのか?」っていうことが議論されないで、ほんとにこう素人議論っていうのがですね、物凄く行われてる、と。これはきわめて気になりましたので、ここにちょっと整理をいたしました。


(文字起こし by haru)