男と女の深い関係(4) できた愛と作られる愛 | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

男と女の深い関係(4) できた愛と作られる愛 (6/23)




ロミオとジュリエットは純愛であるが、竹取物語はややふざけた男女の恋愛です。そうじてヨーロッパの恋愛と日本のそれとを比較すると、ヨーロッパは愛を純粋に高めたものと、やや性的衝動に重きを置いたものが見られます。



愛と性を描写した文学作品はあまりにも数が多いので、何を取り上げたら良いのかわからないぐらいですが、純愛では「椿姫」、やや性的衝動という意味では「ボヴァリー夫人」が思い起こされます。私がこのような小説や実際のヨーロッパでの体験などから考えますと、ヨーロッパの恋愛は、1)生物的衝動を人間の頭脳で非現実的なものに昇華したもの、2)それでも性的欲求の強い白人の性質から生まれたもの、の2つと思います。



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もともと生物的衝動の性には「愛や恋」などがあるとは考えられません.単に「優れた子孫を作る」ための本能の動きです。一部の哺乳動物は頭脳活動が見られますが、ほとんどの生物は脳からの指令では動かないからです.



つまり簡単に言うと、「愛」とか「恋」というのは、動物的衝動を幻想によって人間が頭脳で作り上げたもので、「美しいもの」でも「あこがれるもの」でもなく、どちらかというと「人前では露骨に示すのが恥ずかしい感情の動き」であると考えられます。



このように言うと、強い反撃が来ると思います。なにしろ「純愛」というように「男女の愛」が「恥ずかしいこと」というと「人情がわからない」と言うことになるからです。



竹取物語の話は、還元主義で愛を作り上げたヨーロッパと違って、日本人は俯瞰的に愛を観察すると、「どうもいい加減なものらしい」ということになったからと思います。



つまり、求婚した5人の貴族がかぐや姫に恋したのもいい加減なアプローチですし、まして「塀によじ登ってチラと見えたかぐや姫に一目惚れ」などというものに人間の知性など感じられないからです。



人間同士の崇高な愛なら、男女が出会ってからしばらく、人生を語り、生物学的な性欲を語り、誕生してくる子供を思い、考えが一致してから恋愛になるはずだからです。



「一目惚れ」とか「美人だから」などということ自体、人間の知性を感じません。これは私の独自の考えではなく、日本では昔からそのように考えられ、男女の愛を「人間的ではない、軽いもの」としていました。



日本のお見合い結婚、それも親が決めるお見合い結婚では、初めて会う男女がそのまま結婚しました。結婚式で初めて会う男女というのも多かったのです。これは、もともと「男女」や「家庭」というものが、生殖と育児であることをわきまえて、それに調和した制度を作ったとも言えるのです.



竹取物語はその一つの例を示していますし、ヨーロッパのドンキホテも「幻想のとらわれた騎士」を持ち出して、およそ「理想の貴婦人」ではない女性をしたてあげています。古今東西、「男女関係はそれほど崇高なものではなく、所詮、たまたま一緒になったようなものだ」という考えだったように思います。



つまり、最初がいい加減でだんだん本物になる「日本型育てる愛」と、最初から興奮してそれを何とか維持しようとする「継続努力型愛」というヨーロッパ型があると思われるのです.「継続努力型」ですと、最初の異常な興奮を継続しなければならず、その原動力は無いのですから、毎日、キスが必要で「愛している」と言い続けなければならないという悲惨な状態になります.



それと全く違う日本の男女の愛は、1年から3年までが男女の恋愛、そして3年以後は夫婦(家族)の愛に変化します。「3年目の浮気」とはよく言ったもので、この時期に男女の恋愛から家族の愛に変わらない人は浮気、不倫、離婚といった暗い人生に突入します.



日本の「育てる愛」がどんなものか、それを次回に書きたいと思います.ヨーロッパ風の純愛や継続努力型愛で苦しんでいる人には参考になるかも知れません.


(平成24年6月23日)




--------ここから音声内容--------




えー、『男と女の深い関係』も4回に入りまして。実は3回目に竹取物語なんか書いたものですからですね、多くの読者から「なんであんなこと書いてるの?」って話があったんですね。実はですね、第4番目に入るためにはどうしても必要だったんですね。例えば、ロミオとジュリエットは純愛であるが、竹取物語はややふざけた男女の恋愛ですね。





これはまぁ言ってみれば、ヨーロッパの恋愛の考え方(は)、日本とはちょっと比較することができるわけですが、ヨーロッパは「愛」と「性」なんですよ。「純粋な愛」と「性的衝動」。これがですね、ヨーロッパの愛とか恋、性というものの特徴なんですね。まぁ愛と性を描写した文学作品っていうのはですね、ものすごく(数が)あるんで、何て言いますかね、何を取り上げて良いか分かんないし、何か取り上げると文学者に文句言われそうな感じなんですが、私がパッと見るヨーロッパの文学から選べば、純愛と言えば「椿姫」。これはあの、娼婦と若い青年との恋なんですよね。それから、やや(性的)衝動的という意味では、今度は今で言うまぁ熟女っていうんでしょうかね。「ボヴァリー夫人」と青年の恋っていうのがあってですね、両方とも思い起こされるもんであります。





ヨーロッパのこの恋愛というものはですね、生物的…本来生物的な衝動である性と愛を、人間の頭脳で非現実的なものまで昇華したものですね。あのー、「昇華」というのはちょっと難しい言葉ですが、「高めた」というんですかね…まぁそういうんであります。それでもですね、やっぱり白人は性的欲求が強いもんですから、それが色濃く残ると、そういうことですね。





ここでですね、考えなきゃいけないのがですね、もともと生物的衝動における性というものはですね、「愛」とか「恋」とかは関係無いんですよ、ええ。
単にですね、何ていうんでしょうか、「(優れた)子孫を作る」と、そういうことですからね。まぁ一部の哺乳動物には若干の頭脳活動が見られますけれども、ほとんどの生物は脳からの命令で動くわけではありません。





つまり、私の考えはですね、「愛」とか「恋」っていうものはですね、動物的衝動の性を幻想によって人間が高めたもの…「愛」とか「恋」とかに高めたものであって、「美しいもの」でも「あこがれるもの」でもない。どちらかというと「人前では露骨に示すのが恥ずかしい感情の動き」でないかと思いますね。





いや、こんなこと言いますとですね、現在の日本は非常に強いヨーロッパの文化の影響がありますから、だから「純愛」というものをですね、「恥ずかしい」というようなことを言うとですね、「お前は科学者だから」と言われると思いますが、日本ではですね、「男女の愛」はやっぱり「恥ずかしい」ことだったんです、実は、ええ。





だから竹取物語の話はですね、還元主義…つまり、分解して人間の頭で考えるということで愛を作り上げたヨーロッパと、日本のように全体を見て「いったい愛っていうのはどうなのか?」と、「どうもいい加減なものだね」と、こんな感じなんですね、ええ。まぁ竹取物語を例にとりますと、求婚した5人の貴族がかぐや姫に恋に落ちたわけです。いやまぁいい加減なアプローチですよ。それから5人以外にもですね、「塀によじ登ってチラッと見たかぐや姫に一目惚れ」なんてのは、全然人間じゃありませんよ、そりゃね。知性など感じられませんから。





つまり、人間同士の、もし本当に崇高な愛っていうのがあればですよ、男女が出会っただけじゃダメですよね。人生を語り、(生物学的な)性欲を語り、誕生してくる子供を思い、考えが一致してるから恋愛になるはずです。だから「一目惚れ」とか、まして「美人だから」なぁんつってですね、恋愛が成立するっていうのは勿論、「美しい」とか「純粋な」っていうもんじゃないですね、ええ。





そういうことで、日本人はですね、ヨーロッパよりかずっとまともなんですよ、実は。竹取物語がまともなんですね。男女の愛というのは、「人間的ではないもの、軽いものだ」ということになってるわけですね。日本のお見合い結婚、親が決める結婚。ま、初めて結婚式で会うっていうようなことは不合理のように思いますが、実はそうじゃないわけです。もともと「男女」というものと「家庭」というものはですね、生殖と育児でありますから、これに調和した制度を作るってことですね。





まぁあの、竹取物語のついでにちょっと例を示したドンキホーテ…これはですね、もしかするとドンキホーテの作者は非常に洞察力が鋭いですから、「幻想にとらわれた騎士」というわけですね。まぁあの、ドンキホーテをが「理想の貴婦人」としてる人はですね、ちょっと風采の上がらない人なんですよ。まぁそういうことですね。そう言いますとね、ドンキホーテをあげれば、古今東西、「男女関係はそれほど崇高なものではなくて、所詮、たまたま一緒になったようなものだ」というような考えもあったということですね。





そこで、日本が優れてる…日本の男と女の関係が非常に優れているのはですね、最初がいい加減でだんだん本物になるっていうのが「日本型育てる愛」なんですよ。ところがヨーロッパはですね、最初が興奮して、それを何とか維持しようという「継続努力型愛」なんですね。これがヨーロッパ型なんです。だからヨーロッパ大変なんですよ。「継続努力型」ですから。最初は異常な興奮ですけど、これは続かないんですね。だからしょうがないから毎日キスをするとか、「愛している」とか言い続けるっていうことが必要なんで、悲惨な状態になっちゃうんですね。





えーまぁ、日本の愛はですね、1年から3年位までなんとか続くんですが、3年後は夫婦の愛…つまり家族の愛に変わるんですね。「3年目の浮気」っていうのはよく言ったもんでですね、実は夫婦から家族へ変わる、その分かれ目を言ってるんですね。まぁそこんとこでちょっと失敗しまして、浮気とか不倫とかしちゃうとですね、暗い人生に変わるわけですね。





実は私がこの『男と女の深い関係』を書き出したのは、戦後の男性と女性の役割とか、社会的地位の違いから入りました。竹取物語に進んだのはですね、実は日本には「育てる愛」があるんだということが理解できないとですね、実は日本の男女関係とか社会における男と女の関係がハッキリ理解されないんですよ。





今は日本はですね、実はその「ヨーロッパ風の純愛」とか、「継続努力型愛」が支配してて、それとですね、実は戦後の「廃人工学」との波に洗われてですね、非常に苦しんでる人…特に女性が多いんですよ。で、この日本とヨーロッパの違い…「継続努力型愛」か「作り上げていく愛」か、日本とヨーロッパの違い…もしくはそれはですね、実は性欲のような動物学的なものにも深く関係しております。この問題はですね、男女の深い関係を切り込んでいこうということなので、第4回はここで終わりにいたします。

(文字起こし by haru)