社会寸評:日本男児・少年法・セクハラ・・・ひどい社会ですね! | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

社会寸評:日本男児・少年法・セクハラ・・・ひどい社会ですね! (6/20)




●日本男児:  かつて日本は混浴だった。なぜ混浴でも女性が困らなかったと言うと、お風呂で日本男児は決して女性の方を見なかったからだ。だからといって性欲がなかったわけではない。



風呂でチラチラ見える女性に刺激されて「おい、吉原に行かないか?」と横の男に声をかえた。でも、風呂場で女性の方を見る男性は殴られたものだ。当時、女性が着替えるときに部屋に鍵をかけるということはなかった。女性が着替えるのを見ようとするような男性はこれも殴られたからだ。



「してはいけないことはしない」というのが日本人のもっとも特徴的で高貴な規律だ。貝塚のモースは明治初期にこの日本文化を高く評価している。それは今でもそうだ。



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●少年法:少年法というのがある。最近、「いくら少年でも凶悪犯は名前を出すべきだ」ということも言われるが、よく考えなければならない。子供のころ、私たちは間違いを犯すものだ。もう、体は一人前でも心は成長期であることが多い。



わたしのように教育を担当していると、何か事件が起こったときに社会が「そんなことは許されない」というのに違和感を覚える。私たちが相手にしている生徒や学生は「未完成だから教育を受けている」のであり、その未完成の部分を直すのが私たち教師の役割だ。



「そんな学生は止めさせてしまえ!」と言われることもあるが、私はかつて「大学修道院説」を唱えて学生を教授会の処罰から守ったことがあった。退学させてしまえばその学生は落ちていくだけだが、せめて大学に留まってくれれば更正の可能性を残す。



私たち大人は成長期の子供を暖かく守る必要がある。



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●セクハラ セクハラというのは単に体を触ったとかいう具体的なものだけではない.この世に男女がいる限り、いろいろなことが起こるが、男女だからといって何か特別な不利を被らないようにというのがセクハラの防止だ。



女性の場合、男性より「男女のつきあい」で女性の方が傷つく。時には一生の問題になり、人生を失う女性もいる。セクハラというのはそう言う陰湿なことも含めて「性で不当な損害を受けないように」という私たちの願いである。



男女が共同で社会を作っていくときには、男女それぞれの人権、立場、社会的慣習、性的区別をハッキリさせて、明るい社会を作っていかなければならない。



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●事件と考え方  最近、日本男児にあるまじき(暴露した男性)、少年法の思想にあるまじき(週刊誌)、そしてセクハラ防止にあるまじき(週刊誌とその後の報道)ことが報道され、19才の女性が大きな被害を受けつつある。ある報道では「男女のつきあいをばらしたのも問題だが、過去を隠していたのもいけない」と言っているファンの声を紹介していた。



私は次のように思う。


1)男女のことを暴露した男性は日本男児ではない。まして相手の女性が高校生の時のことだ。卑劣この上ない、


2)このことを取り上げた週刊誌は日本の週刊誌ではない。週刊誌は社会の指導的立場にある。それを止めるなら出版をしないことだ、


3)このことを取り上げた週刊誌、報道、ネットは大人ではない。尻馬に乗っただけだから許されるわけではない、


4)人を評価するときに、その人の現在であり、過去を問題とか本人が回復せざることについて、誹謗中傷することは絶対に許されない、


5)教育関係では、高校時代の男女というものや、大人になって高校時代のことを暴露するということについて、法律面や日本文化という意味でどのような教育をするか、


6)女性の男女関係を本人の同意無く明らかにすることは、セクハラであり、犯罪であり、それを報道するのも犯罪幇助である。社会の約束は文面より精神が大切だ。


だから、まず、暴露した男性は謝罪し、週刊誌は記事を取り消して報じた週刊誌を回収し、ネットの記事も削除し、女性の所属する団体は処分を取り消し、あるいは暴露した男性、週刊誌などを犯罪および犯罪幇助で取り調べる必要がある。



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まずは、犯罪面で西洋的に考えた後、私は「してはいけないことをしない」という日本の最大の倫理を思い返し、大人がこの日本の文化を守るという決意をしなければならないと思う。高校生のセックスもこのような悲劇を生むことも教えて行く必要がある。



また、ネットなどでは「男子として恥ずかしい」ということが主体だが、私は同時に、少年法、セクハラなど私たちが作ろうとしている「善良な日本社会」について、もう少し踏み込んで声を上げるべきと思う。また教育界もコメントを出すべきだ。



日本の子供の大半はまだ日本の優れた文化を継承している。それを社会の指導層の一つである週刊誌が壊してはいけない。お金がすべてではないし、この日本が「売れれば良い」というような文化に犯されてはいけない。


(平成24年6月20日)




--------ここから音声内容--------




えー、今日はあの、社会寸評というかですね、今色々言われている事件についての私の見解をですね、お話をしたいというふうに思います。




『日本男児』、まずこのキーワードですね。かつて日本は混浴でした。なぜ混浴でもよかったかって言うとですね、女性は勿論、裸をジロジロ見られるってこれ嫌なわけですね。それに応じて日本男児っていうのはですね、混浴でそちらの方…女性の方を見なかったというですね、そういう非常に強い文化がありました。





これはですね、多くの…幕末に来られた多くの外国の人がですね、非常にビックリしております。正常なセックスというか、そういう活動とですね、それから普段の生活での女性がお風呂に入るとか、女性が着替えるといったことについてのですね、男性側の規律といいますか、そういったものがですね、非常にキチッとしてるってことで、これは多くの書物がありますので、おそらくそうではないかと思いますね。





で、それじゃあ男性はお互いにそういうことをどうやって守ったかっていうと、だいたい殴ってしまうっていうようなですね、ちょっと乱暴な…「お前そんなケチなことやってどうすんだ」ってなことでですね、殴られるという。まぁそういう「してはいけないことはしない」。ま、今流で言えば、「TPO」って言うんでしょうかね。場所とかそういうものによって、ちゃんと自分を律するということがですね、日本男児が出来たということは、特筆すべきことなわけです。





特に有名な貝塚のモース(大森貝塚を発掘したアメリカの動物学者)はですね、女性が道端で湯浴み(ゆあみ)をしているシーンを描写しながら、「我々はついそちらを見てしまうけれども、我々を引いていた人力車の人夫は全くそっちを見なかった」ということで、高く日本文化を評価しております。
文化というものは、法律とはちょっと違いますので。





その点ですね、今度の事件、19才くらいの女の子がですね、非常に社会で活躍してたにもかかわらず、高校時代に付き合っていた男性に、高校時代のことを暴露されることによって、一遍に奈落の底に落ちるというような非常に酷い、かわいそうな事件が起きたわけですね。これを勿論、日本文化という点から見(ら)れますし、また近代法律という点でも見えると思いますね。





これは少年法というものがありますが、これは最近ですね、「少年でも凶悪犯は名前を出すべきだ」というふうによく言われますけども、私は教育を担当している者として、必ずしもそうではないと思いますね。あまり程度の酷いものは別にしますと、子供のころはですね、間違いを犯すんですよ、ええ。それをね、一生背負って生きるということは人間できません。やっぱりですね、教育中の事故、事件っていうのはですね、「本人の(が)成長の過程にあった」というふうに見なければいけないと思います。





この点で私がですね、思い出すのは、ある大学で監理をやっている時ですね、逮捕された学生がおりました。勿論学則ではですね、明記されておりまして、そんな逮捕される学生はですね、「学生の本分にもとる」ということで「退学」というふうに決まっておりました。つまり、簡単に言うと「逮捕されれば即、退学」というのがですね、それまでのやり方でありました。





私は実は、教授会を前にしてですね、監理としては「大学修道院説」というのを打ち(ぶち)ました。「もしもこの学生を退学させてしまえば、もう社会で生きていく所は無い。しかし、もし大学に留まってくれれば、その学生に更生のチャンスを与えることができる」と。「学則はよく分かってるけれども、是非退学させないでくれ」と教授会に頼みました。教授会もそれを認めていただいてですね、数人の内一名は確か退学したと思うんですけども、残りの人はですね、一応卒業までもちました。その学生が今どうなっているか分かりませんが、その内の一人でもですね、キチッとした社会人としてもし育ったならばですね、それは教育者としては大変満足すべきことであります。




もう一つは『セクハラ』ですね。セクハラというのは大分浸透しましてですね、最近男女関係では、昔のように女性が一方的に泣き寝入りをするということの数が少なくなってきましたね。男女だからといって特別な不利を被らないということです。特に女性の場合は男性よりですね「男女のつきあい」で傷つく度合いが深いんですね。それは“妊娠”という面もありますし、今度の事件のようなですね“評判”という意味でもあるわけですね。





で、セクハラというのはですね、簡単に言えば、具体的な体のどうのこうのもありますけどね、「性を原因とした不当な損害を受けない」というのが我々の願いなわけですね。男女が共同社会を作っていくときに、それぞれの人権とか立場、社会的慣習、そういうものによってですね、変に区別されないようにするということですね。これはですね、ほんとに大切なことだと思います。





私は総じて言えば、今回の事件は日本男児にあるまじき男がいた。それから、週刊誌はそれを取り上げるべきではないのに、少年法の思想にあるまじき取り上げ方をした。その後の報道も、セクハラ防止にあるまじきことがあった、と。19才の女性がですね、大きく傷付いたわけであります。





この事件の中で、「男女の付き合いをばらしたのは問題だけど、過去を隠したのもいけない」というファンの声を紹介してます。全くもう私にはナンセンスに見えます、ええ。そんなのはですね、誰にでもあるというか、誰にでも高等学校、中学校時代の傷というのはあるんですよ。それを隠したからっていうのはですね、あまりにも過酷であります。まぁあのう、男女のことを暴露した男性は日本男児ではない。卑劣この上ないですね。このことを取り上げた週刊誌は、日本の週刊誌としてはもう出版をしないで欲しいと思いますね。それから、実名で取り上げて面白半分に報道したその他の機関もですね、尻馬に乗っただけですから、やっぱりダメですね。





それから、人を評価するときには、その人の現在を評価するっていうことですよ。過去に問題があったとか、本人が回復せざることについて、それを持ち出すということは非常に卑劣であるというふうに思います。非常に残念ですね。残念であります。そして、教育関係者も考えなきゃいけない。物事(が)起こったこと自体あまりいいことじゃありませんので、高校時代の男女というものを教育せんといかんし、暴露するということも教育する。日本文化だけではなくて法律面もキチッとやるべきだと思いますね、ええ。





それから、セクハラについてはですね、やっぱり女性の同意無く男女関係を暴露する…お互いの了解無く暴露するって、これはやっぱり犯罪ですね。これ何かですね…何かやらなきゃいけないと思います。男女関係の暴露ってしょっちゅうあるんですけども、「これは犯罪である」ということをですね、ハッキリさせる必要があると思いますね。「人権の侵害である」ということですね。暴露した男性は謝罪が必要であり、週刊誌はその記事を取り消して回収する必要があります。ネットの記事も削除し、女性の団体がどうも処分したかもしれませんが、そういった処分も取り消し、全員で反省する。「反省すべきは被害を受けた女性ではなくて、周りである」ということもハッキリさせたいと思います。





犯罪面で西洋的に考えるっていうのは非常に大事でありますが、同時にですね、日本文化としてこの問題を考える。両面からですね、バランスよく考えて、この歪んだ(ひずんだ)日本社会をですね、もう少しちゃんとした社会に取り戻すということが大人には必要なんではないかと思います。それから度々指摘されるんですが、週刊誌が自由な報道をするっていうのは非常にいいんですけども、その「自由」っていうのはですね、やっぱり公序良俗にあまりにハッキリと反するものはダメだと思いますね。





今度の報道は、有名週刊誌でありますが、これがですね「売れれば良い」ということで、こういうですね、人権だとかセクハラとか、まぁ日本文化とか、こういったものを基本的に壊すということを知っていながら、この記事を載せたとしたらですね、本当に興味本位、本当に俗の週刊誌、と。俗の中でも本当に俗中の俗。もうアウトサイダーっていうかな…えー、もうアウトローの社会のように私は思います。週刊誌がアウトローになってはいけません。「報道の自由」と「アウトロー」とはもうハッキリ違いますので。そこも、週刊誌の良心を取り戻すように、他の週刊誌もですね、この事件を考えてもらいたいと思います。


(文字起こし by haru)