4畳半で良いじゃないか?!・・・行き当たりばったりの大人 | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

4畳半で良いじゃないか?!・・・行き当たりばったりの大人 (6/11)




「環境を守る」というのは「情緒的」には理解できるけれど、具体的に一つ一つのことを考えると何を言っているのかよくわかりません。もっとわかりにくいのが「地球に優しく」というので、地球というのは人間と違いますし、誕生したときには大気はCO2が95%、温度2000℃という世界ですし、20億年は多細胞生物はまったくいない生命の活動が感じられない星だったのです。



だから、生物が生きていること自体が地球には迷惑かも知れず、もともと「迷惑」などということは地球にはないでしょう。それを勝手に「地球に優しい」などということは詭弁です。しかもそれを子どもに教えているのですから、親の世代はかなりおかしいような気がします。



・・・・・・・・・節約の多様性・・・



ところで、最近「節電」というのが「良いこと」とされていることについて、私はどうしても同意できません。かつて住宅は家族5人ほどで住むのにやっとの広さでした。居間は4畳半、寝室は一つで雑魚寝でした。それが最近では居間は10畳、家族がそれぞれの部屋を持つ時代です。



「節約」が良いことなら、日本の家屋を改造して居間は四畳半、寝室は一つにするのが良いでしょう。家に「風呂」がついている(内風呂)のは贅沢ですから、銭湯を使って同じお湯にみんながつかる方が省エネであることも間違いありません。



でも、なぜ10畳の部屋、個別の寝室、内風呂の方が「快適で良いこと」なのでしょうか? 一つは人間はより快適な人生を目指して生きていくものであり、第二に節約が大切と言ってもその時代と経済力にあったバランスのとれた生活が望ましいからです。



その点では「電気をどのぐらい使うか」というのは、第一に電気を使えば快適な生活が送ることができるので、第二に今の時代と経済力に合っているか、資源は大丈夫かなどから決まることで、「節電しなければならない」という道徳があるわけではありません。



人によっては「住宅は狭くても都会で電気をつけた明るい快適な生活」が良い人もいますし、「せせこましい都会で過ごすより、風の通るゆったりした地方の家」の方が好きな人もおられます。その人その人が自分で生活や人生を選択し、法律に違反せず、自分の価値観にそって生きるのが現代です。



多様な価値観を認める、それは別に反社会的でも何でもありません。まして、電気というのは人類が生み出した知の産物ですし、比較的クリーンで使いやすく、安全なものでもあります。「活動」には「エネルギー」が必要ですが、そのためにもおそらく現代では最適なものでしょう。



・・・・・・・・・他国との関係・・・



今の日本で「節電」が叫ばれ、アメリカでは「節電」という英語すらハッキリしない(先週、シカゴ大学の先生ご夫婦に確認しました)というのはどういうことでしょうか?



自分は大きな家に住みたい、自分はデラックスな車に乗りたい、でも電気を消すことぐらいはできるから、それで環境に配慮しているような顔が出来れば良いというのでは誠実ではないと思います。



また、どのぐらい節約するかというのは、やはりこれも「中庸」ですから、日本のように世界でもっともGDPに対してエネルギー消費が少なく、電気の消費量は国民一人あたりアメリカの2分の1という国ですから、これ以上の節電は極端すぎます。むしろ「増電」の方が正しいでしょう。



・・・・・・・・・



家、車、電気のうち、日本の将来のことを考えれば、活動を制限することになる電気の節約がもっとも日本を痛めることになるでしょう。



エネルギーは活動の源です。無駄に使うことは良くないことですが、電気の消費量を減らすのは日本の衰退につながります。子どもの議論ではなく、エネルギーと社会の関係を良く理解し、「贅沢」と「活動源」を区別して、「贅沢」の方から削減していくことが大切です。



それに「節電」は電力会社の経営の失敗、国の原子力安全の失敗、それに国が膨大な税金を原発にだしていたことの失政をカバーする行為であることも同時に知る必要があります。


(平成24年6月11日)




--------ここから音声内容--------




えー、「環境を守る」という言葉はですね、まぁあの「情緒的」に捉えれば割合簡単なんですけども、具体的に考えると非常に難しいわけですね。その中で一番、今まで欺瞞的(ぎまんてき/欺瞞=騙すこと)だったのは、「地球に優しく」と言うもんですね。この地球に優しいったら、もちろん地球が誕生したときは大気の95%が二酸化炭素(CO2)ですし、温度が2000℃ですからね。ま、むしろCO2ばかりで温度が2000℃の方が地球には良いかもしれません。





「地球に優しい」なんて言葉は無いことはですね、それはもう、ちょっと常識のある人はほとんど分かってるわけですが、しかし、それでもこれを子供に教えたりしているんですよ。「地球に優しい団体」なんてあってですね、ほいで何か「こういうのが地球に優しい」という風に自分で勝手に考えて、それで儲けようとしてる人たちですね。これはもちろん、儲けようとしてるわけですから明らかなわけですけども、そういうようなことを言う、と。こういう「ごまかしの時代」ということになりますね。





その一つが、実は「節電」なんですよ。節電というとですね、みなさん「良いこと」だという風に思いますけども、これも非常に変なんですね。これはまぁ東京電力の失敗、電力会社の経営の失敗をいかにしてごまかすかということで、政府・NHKなんかが考えたことですね。





例えばこういう風に考えましょうか。家族5人で生活するつったら、居間はですね…リビングルームですね、これは4畳半で良いんですよ。寝室は一つでみんなで雑魚寝で良いわけです。ところが最近は、居間は10畳とか15畳で、家族がそれぞれの部屋を持ってるわけですね。「節約」が良いなら一番(効果が)大きいことは、家を小さくする事なんですね、これはまぁもちろん一番良いんです。それから「風呂」が今付いてます、これは「内風呂」と言うんですけど、今はもう内風呂という言葉もありませんが。昔は銭湯に行くのが普通でしたから、家にあるやつを内風呂と言ったわけですけどね。これはもう銭湯で、みんなが同じお湯につかる方が省エネになること、これは間違いないわけですよ。





じゃ、何でリビングルームが10畳になり、個別の寝室があり、家の中に風呂ができたかつったら、これ「快適だから」なんですね。人間はですね、快適なことを目指していってるわけですよ。そいからもう一つは節約とのバランスを取るということですね、これがまぁ非常に重要なわけですね。ですから木材が全然無くなっちゃったら家は小さくせざるを得ないわけですけど、木材が充分にあれば家は大きくても良いわけですね。これはもう、その時の木の生え方だとか、資源のあり方でバランス良く決めるっていうことですね。





で、電気ももちろんそうで、電気を使って快適な生活をするということは、決して悪い事ではないわけですよ。電気を使ってはいけないけども、居間は広くて良いというようなことはないんですよ。車は軽自動車で十分ですね。例えば私はヴィッツって車に時々乗ったんですけども、非常に良い車ですよね。ガソリン消費量はもうリッター当たり35キロぐらい、中、結構大きいし、回転半径は小さいし、乗り心地は良いし、もう申し分ない車ですよ。それなのにレクサスなんて乗ってるわけですね。レクサスが決して悪くないっすよ、だって快適ですもん、レクサス乗るとですね。





で、これはですね、やっぱバランスが要るんですよ。例えば人によっては、「住宅は狭くても電気を充分につけて明るい生活」が良いと言ってる人もいるし、ある人は、まぁ「せせこましい都会で電気つけるよりか、風通しの良いゆったりとした大きな地方の家」が良いって言う人もいるわけですよ。地方の人が環境が良いって限りませんよ、それだけ木を多く切ってるわけですから。つまりその人は、自分で人生を選択して、法律に違反せず過ごす、と。





この多様な価値観っていうのは、決して反社会的ではありません。今節電をしないと反社会的みたいなことを言うんですけど、これは「電力会社にゴマをすれば」という前提が付きますね。だって日本の電力はアメリカの1/2しか作ってないわけですから、電力会社がサボってるだけなんですよね。





で、まぁこの前、シカゴ大学の先生のご夫妻が来られたので、「アメリカでは『節電』という言葉はありますか?」とお聞きしましたら、「無い」と言ってましたね。「節電なさってますか?」 「いえ、もう全然そんなことは考えてない」、それはそうです、だって電力会社は電気を一所懸命作るんですよ、アメリカでは。「どうぞお使いください」と。で、アメリカ人は好きなだけ電気使うわけですね、電気代は日本の1/2ですから。安くて十分に使えて、快適な生活が送れるんですね、何にも悪いことないんですよ。





これはあの、大きな家に住みたいとか、デラックスな車に乗りたいというのと一緒ですからね。だから、これを文句言うんだったら、例えば鳩山さんなんか「鳩山御殿」住んでますけど、「あなた、何やってんの?」って言わなきゃいけないんですよ。だけどそれ、ちょっと言い過ぎなんですよね。やっぱり、その人は自分のお金を自由に使うのは許されてるわけです。





そいで、それを供給する側ですね、「大きな家に住みたい」つったら、「いや、住んじゃいけません」と、「デラックスな車に乗りたい」つったら、「そういう車は生産することは禁止されてます」っていう社会は歪んでるんですよ。電気だけは何か、うんと使うと文句言われたりですね、電力会社がですね、「できるだけ電気使わないでくれ」なんて、下らないこと言ってるわけですね。





それからもう一つはやっぱりバランスの問題あるんです、さっき言ったように。日本は世界で最もGDP(国内総生産)に対してエネルギー消費が少ないんですよ。電気の消費量は、国民一人当たりアメリカの1/2という、まぁ極端な国なんですよ。





例えば、「日本はウサギ小屋に住んでる。住宅が小さいんだったら、大きくしよう」って、みんな言ってるわけです。大きい家って現実に売ってるんですよね。ほいで、大きい家を買ったからって文句言う人いないんですよ。車もそうですよ、2000cc、3000ccの車買って、「あなた何で・・・『節車』してないじゃないですか!」なんて言う人いないわけですよ。





「節車」「節家」「節電」と全部やるんなら別ですけどね。じゃ、何のためにやるのか?と、「人生暗く過ごすためだ」ということないわけですね。むしろ節電じゃなくて、「増電」ですよ。日本では今のところ、まだアメリカにぐらいは追い付いて良いんですね、「アメリカに追い付け!」なんですよ。





それからもう一つはですね、「電気」はこの、家とか、車・・・まぁちょっとそういうとこあんですけど、家とか車とは違ってですね、「エネルギー」なんです。エネルギーっていうのは「活動の源」なんですよ。だから「節約する」ってうのは、エネルギーが一番最後じゃなくちゃいけないんですね。まずは活動の源にならないものから、一応減らすとしたら減らさないと、日本の子供の発展にはつながらないんですよ。





日本を発展させようと思ったら、本当の無駄ですね、「本当の無駄」っていうのは、活動には関係ないけども一応その方が良いってやつです。例えば広い・・・「6畳で良いけども、12畳欲しい」と。これは、まぁもちろん12畳の方が良いんですよ、良いんだけども6畳でも12畳でも同じ活動ができるんですよ。





ところが電気とかそういうエネルギーは違うんですね、使えば使うほど活動量は増えるんです。使えば使うほど活動量が増えるってやつはあまり制約しないで、もしも節約しようとしたらですね、活動量に関係ない家の大きさ・・・ここの例ですと家の大きさ、次に車の大きさ、車もですね、まあレクサスでもヴィッツでもあまり活動量は変わらないかもしれないですけど、少しは変わりますね。





それから電気ですよ、電気が最も節約しちゃいけないものですね、活動量に比例しますから。だから現在の「節電」っていうのはですね、国とNHKの宣伝にやられて・・・もちろん後ろには電力会社あるわけです。日本の電力会社の経営の失敗ですね。何たってアメリカ8億キロワット、日本1.8億キロワットですからね、もうこんな事になっちゃったってのはどうしてか?ってことですよね。それから原子力政策の失敗、それから原発に膨大な税金を出した事によるエネルギーの歪み。





こういったですね、「今までの電力会社と国の間違った事をカバーする」ことを国民に今求めてて、今度は国民同士が「お前、節電してないじゃないか!」と、こういうこと言ってるという。これはですね、日本国のため、もしくは子供たちのために、ものすごく大きな禍根(かこん=災いのもと)を残しますから。





やっぱり原理原則をしっかり考えて、その時その時のいい加減な判断ではなくて、ちゃんと日本国の将来はどうするか?と、もし節約する必要あるとしたら何から節約するのか?と、私は節約する必要は当面あんまり無いと思いますが。あるとしてもですね、やっぱりまず他人の価値観に手をつけないこと、それから活動量減らして日本の将来をダメにしないこと、この二つをですね、やっぱり前提にするべきだと思います。


(文字起こし by danielle)