日本の子どもに贈るもの(3) 核廃棄物 | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

日本の子どもに贈るもの(3) 核廃棄物 (6/7)




日本の大人は、自分たちは原発の電気を使い、電気をおこせば必ず出来る核廃棄物を処理して、しまおうとしていません。なぜ、電気は欲しいのに核廃棄物は知らない顔をしているのかというと、「得はしたいけれど、危ないものは子どもに任せる」ということです。



私がこれまで知っている日本人的な考え方というのは、「命をかけても田畑を守る(たとえ俺は死んでも、子ども達には田畑を残す)」というもので、原発の場合はどちらかというと「核廃棄物は俺が処理するから、子ども達には豊富な電気を」という方向に考えると思います。



長く自民党政権でしたが、その中でも「原発からでる核廃棄物をそのままにして、原発の電気だけもらい、核廃棄物は子ども達の世代に任せる」ということは「反対が多いから」という理由で手がつけられていませんでした。



原発再開問題で、経団連会長(誇り高き日本経済会のトップ)は「電気がいるから再開して欲しい」と言いましたが、核廃棄物には触れませんでした。今までもそうで「電気は欲しいが、核廃棄物は俺たちは知らない」という態度でした。



日本は「政治三流、経済一流」と言われてきました。政治的な力で核廃棄物の貯蔵が出来なくても、経済界が一流なら「政治はどうか知らないが、日本の経済界は原発の電気を使うから、核廃棄物も引きうける」と言わなければならなかったのです。



原発を始めて40年ほど経ち、新しい原発が次々と建設されるなか、「今度、増設するなら核廃棄物の貯蔵所を作ってから」という考え方がまったくだされず、核廃棄物問題が片づかないのは原発反対派のせいとしていたのです。



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今、日本には130万本の使用済み核燃料があります。福島原発4号機に1500本の使用済み核燃料があると言っても、それに比べて約1000倍のものがあちこちにあるのに福島4号機の核廃棄物だけが問題になるのはどうも感心しません。



「見えないから問題にしたくない」、「あれは子ども達の任せたものだ」、「今、俺たちが危険なものだけ問題にする」ということでは無責任です。私たちは「自分たちの安全」より「日本の将来」により多くの関心を持たなければならないと私は思うのです。



このままでは私たちの子どもの時代の日本は、

1)石油、石炭、天然ガスを獲得できない、

2)貧弱な電気量で活動ができない、

3)親の残した核廃棄物が満載、

という状態になるでしょう。何という日本を引き継ごうとしているのでしょうか?



未来はどうしても視野に入りにくいので、普段から「このことは子どもの時代に何をもたらすのか?」を繰り返し考えなければならないと思います。



核廃棄物問題では、「私たちはこれまでの核廃棄物を処理して格納し、今後は電気をもらったら核廃棄物を引き取る」という原則を確認し、まずは東京に核廃棄物貯蔵所を作ることが「原発再開の第一条件」としなければならないでしょう.


(平成24年6月7日)




--------ここから音声内容--------




子供を大切にしなきゃいけないということはみなさん、まぁ合意できるわけですが、ちょっとこの核廃棄物の問題、少し重たいんですよね。日本の大人は「自分たちが原発の電気を使えば、必ず核廃棄物が出てくる」ということは分かっているのに、「電気は欲しいけど、核廃棄物は知らない」 「得はしたいけども、危ないものは子供に任せる」ということを続けております。





これまでの日本人はそうでもなかったんですね。「命を懸けても田畑は守る」っていうことはどういうことかって言うと、「俺が死んでも、子供たちには田畑は残す」っていうことですね。これを原発の場合に当てはめると、「核廃棄物は俺が処理するから、子供たちは安心して核廃棄物の貯蔵所もあるので、原発をやっても良いよ」っていうのは、まぁ一つの考え方ですね。





しかし、これは長い自民党政権の中で、「原発から出る廃棄物をそのままにして、電気だけ貰う」と、「核廃棄物は子供たちに任せる」と、こういうような政策を採ってきました。私が4号機の使用済み核燃料(への懸念)に対してちょっと批判的なのは、もちろん4号機もそれとは関係なく科学的に検討しなきゃいけませんが、4号機の使用済み核燃料は1500本でありますが、日本に今残されている、今まで使ってきた電気の核燃料はですね、実に130万本に近いわけですね。





で、この130万本も若干古いものはある程度安定になってますが、何しろセシウムとかストロンチウムの半減期が30年ですからね。ま、日本の原子力始めてからのものも、どんなに少なくても1/2になってるっていうぐらいなんですね。ですから危ないわけです。それが“130万本”ですからね、今の福島の4号機の約1000倍あるわけです。





で、こういったことを知っていながら経団連の会長がですね、「電気が要るから、原発を再開して欲しい」と言ったわけです、ええ。これは今までも経済界はそういう態度をとってきました。「電気は要るけども、核廃棄物は知らない」 「これは政治の問題で、俺たち知らない」、もしそう言うならですね、経団連は政治的な問題には、一切口を出して欲しくないわけですね。ほんとに経済界が一流であれば、「政治はどう反応するか知らないけども、日本の経済界は原発の電気を使うから、核廃棄物も経済界で引き受ける」と、「金を出す」と、こういう風にですね、やっぱり言わなきゃいけない。





つまり、「増設をするならば、核廃棄物の貯蔵所の問題を片付けなきゃいけない」というのが全然出てこないで、「核廃棄物問題が片付かないのは、原発反対派のためだ」という風に責任を転嫁するわけですね、ええ。まぁあの、これは非常に問題だろうと思います。で、4号機とその130万本の問題も、「見える方は問題だ」と、「見えないのは(問題にしなくて)いい」と、「子供たちに任してしまえばいい」と、こういうようなものはいけないんじゃないかと思うんですね。





これを考えますと、今まで私、「子供たちに贈る日本」ていうのをやってきたんですけども、

1) 石油・石炭・天然ガスを獲得できない日本、

2) 貧弱な電気量で活動できない日本、

3) それなのに核廃棄物だけは親の残した150万本ぐらいになりますかね、そういったものを引き取るということになります。


これが子供の社会なんですよ。それを我々は子供に引き継ごうとしている、ということですね。





ですから私は、「原発再開の第一条件」はですね、やっぱり「我々が原発を使ったら、その核廃棄物を処理する」ということを少し苦しくてもですね、少なくともその原則を確認して、そして原発の電気を使うところで核廃棄物を貯蔵すると、つまり、まず第一に東京が核廃棄物の貯蔵所を作る必要があると、こういうことですね。地下300メートルですから、上に人が住んでても構いません。「自分の住んでるところの下に、原子力廃棄物があるっていうのは気持ち悪い」と言うんであれば、やはりこれはですね、「原発を再開できない」ということと全く同じだと私は思います。


(文字起こし by danielle)