結婚相手を選んでいる? 理想の相手?? | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

結婚相手を選んでいる? 理想の相手?? (5/19)




バラの花は実に美しい。私が男性だからかも知れないが、特に深紅のバラが好きだ。なんでこんなに美しいものがこの世にあるのかと思うほどだが、科学者でもある私はすぐ疑問がわく。




もともとバラは人間に美しいとみられたくてあんなに美しくなったわけではない。昆虫が自分のところにやってきて蜜を吸い、その代わりに花粉を運んでくれるためだ。人間の手によって改良されたバラもあるけれど、野菊やタンポポのようにあまり人間の手で改良されていない花も美しい。




昆虫は昆虫の異性に魅力を感じるが、人間でゴキブリに魅力を感じる人は少ない。ハチのオスが魅力を感じるのはハチのメスとタンポポだから、人間が昆虫に魅力を感じないで花を美しいと思うのは実に奇妙である。




この謎を解決しようと、今まで「昆虫の目で見た世界」をコンピュータで示したものや、「バラはなぜ美しいか」を美学の専門家にお聞きしたりしたけれど、まったく解明できない。それなのに、人間はバラを美しいと思い、クレオパトラを美人という。



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男性は結婚相手に美人を選ぶ。でも美人というのは顔が美しいとか、プロポーションが良いとか、可愛らしいとかいうものだから、「人間としての女性」そのものではない。つまり単なる見かけである。その見かけも「バラが美しい」と思うような判断基準だからきわめて怪しい。




「幸福な結婚生活」と「バラが美しい」との関係を理論的に説明できる人はいないだろう。ということは、「男性は結婚相手を選んでいない」と言うことでもある。「選ぶ」というのは「自分に似合っている人」だが、まさか「美人が自分に似合っている人」などというはずもない。




つまり、男性は結婚相手を選んでいるわけではなく、単に「美人」という遺伝的判断基準を持っているに過ぎない。ただ、自分の遺伝子を残すチャンスが多いという生物学的な点で言えば、美人と結婚すれば美人の子どもが生まれる可能性が高く、その子どもも結婚のチャンスが多いから結局、美人を選ぶと言うことだけである。




つまり、男性は「結婚生活が幸福になるような、自分にふさわしい人」を結婚相手に選ぼうとしているのではなく、自分の遺伝子を残したいので美人を選ぶに過ぎない。だから、結婚生活の幸福という点では全く「相手を選択していない」と言うことになる。




女性が「お金持ち、力持ち」を選びたいというのと、男性が「美人を選びたい」というのはいずれも動物学的に遺伝子や優れた子孫を残そうと言うことで、結婚生活の相手を選んでいないと考えられる。そこに現代の婚活や結婚生活の問題点があるように思う。




現代の結婚には二つの意味がある、一つが子孫を残すこと、一つが知性的に幸福な結婚生活を送ることだが、まだ結婚に当たって、この二つを満足する指標(美人とか何とか)を探すことが出来ないので、離婚に至るケースが多い。つまり、現代人は精神的な満足を求めているのに、未だに動物学的は判断だけで結婚相手を選んでいることになる。



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ところで、子孫とは別に結婚生活に適した相手を見つける指標、それは第一に運命、第二に遠い人ではないかと思う。この世には運命というものがあり、人はそれに従って生きている。だから結婚のチャンスがあったと言うだけで相手とは何らかの運命のつながりがあり、それは一つの大きな条件になるだろう。




もう一つは、遠い人である。結婚生活は二人で新しい生活を作っていくのだが、それには「相手は違う人」という感覚があった方が成功する。あまりに近いと、相手の考えていることがわかり、それが自分と違うとうまくいかなくなるが、思い切って環境が違うと元々違う同志が一つの生活を作り上げていくのだから、うまくいく。




でも、どんなに近くても男性と女性、年齢も違うのだから、いずれにしても遠い人であるのは同じだ。遠い人でも近い人でも遠いと思って結婚生活をするのが良いのだろう。


(平成24年5月19日)




--------ここから音声内容--------




昔、変な事に悩んだことありましてですね、それはその、バラはなぜ美しいのか?と、ま、ふと思ったわけですね。私はバラが好きで、バラの花を見るとほんとにこう、心奪われるって言うかですね、「綺麗だなぁ・・・」と思うわけですね。もちろん私、ちょっと男性だからかもしれませんけども、深紅のバラのようなですね、バシッとしたものが好きで、本当に綺麗だと思うんですね。





ところが、バラっていうのはあれ、人間のために美しく咲いてるかっていうと、やや疑問でですね、昆虫のために咲いてるって言った方が良いわけですね。ま、人間の手で改善されることはずいぶん改良されるんですけども、それでもタンポポとか野菊とかコスモスとか野に咲いてる花ですね、それも非常に美しいわけです。





だけど、ゴキブリがですね、ゴキブリのメスとかオスに魅力を感じるわけですね。ですから、その昆虫が魅力を感じるバラをですね、私が魅力を感じるというのはどうもおかしいわけですよね。で、これがまぁ何とか自分としても納得したいと思いまして、「昆虫の目から見た世界」というのをコンピュータで示したものを探して、それを見たりですね、美学の人と会うと、「美しいというのはどういうことでしょうか?」と色々聞いたりですね、してきたわけなんですけど未だに解決してないわけであります。えー、バラを美しいと思って、クレオパトラを美しいと思うっていうのは実に変でですね、そんなことあるはずないのに、どうも一緒に見えるというのがですね、私の疑問なわけですね。





ところで、男性は美人を結婚相手に選ぶ事が多いわけですね。しかし美人っていうのは、顔が少し美しいとかプロポーションが良いとかですね、可愛らしいってことであって、決して「人間としての女性」そのものではないわけで、見掛けですよね。しかも「バラを美しい」と思うわけですから、ま、昆虫のメスを美しいと思ってるようなもんでですね、何の意味も無いじゃないかっていう気もするわけですね。





つまり、「幸福な結婚生活」つうのが精神的なものであるとしますと、幸福な結婚生活をするために「バラが美しい」と思う眼で相手を選んだ、そしたら幸福になるなんてそんなこと、あり得ませんからね。そうすっと、男性はね、おそらく「結婚相手を選んでない」んですよ、その意味では。自分と結婚して幸福な人生を歩むという意味での相手を選んでるわけじゃなくて、単にあの、美人という判断基準を持っているわけですよね。





この「美人」という判断基準は、美しいとは関係ないんです。ええと、何でも良いんです、一つの判断基準があれば。何故かって言いますと、ええと、例えば美人という風に決めると、自分が美人と結婚すれば生物学的に子供が美人になる可能性が高く、従ってその子供がまた結婚するチャンスが高い。美人であること自体に意味があるんじゃなくて、一つの判断基準があるということに意味があるわけですよね。





で、つまりですね、私はですね、男性はですね、「結婚生活が幸福になるような人、例えば自分に合った人、相応しい人」を選ぼうとしてんじゃなくて、遺伝子を残したい人を選んでるに過ぎないと感じがしますね。そういう意味では女性が「お金持ちとか力持ち」を選ぶのと一緒で、単に動物学的な問題であると。





そうすっとですね、しかし現代の人間の結婚生活っていうのは、やっぱり二つの意味がありまして、一つは子孫を残す事、一つは知性的に幸福な結婚生活を送るっていうことですね。えー従ってですね、まだ片方しかない、だから離婚が多いんじゃないか?っていうのが僕の感じなんですね。





ちょっと前は違ってたんですね、親が選んだ相手と結婚する、これは何かって言いますとですね、これはあの、ある判断基準に基づいた結婚で、後は結婚生活を自分たちで作っていくという、そういう考え方なので今と違うんですね。つまり、昔も今も相手を選んではいないっていうことですね。





私はですね、あの実は結婚相手を見つけるっていうのは、一つは運命じゃないかと思うんですね。二つ目は遠い人ではないかと。つまり、この世には運命つうのがあってですね、人はそれに従って生きているわけですよ、ええ。これは人間が見えないだけで。で、まぁあの結婚のチャンスが二人にあるということ自身がまぁ何らかの運命の繋がりがあるわけで、ま、これは一つ非常に重要じゃないかと思いますね。





もう一つは結婚生活が、二人が遠い人であれば、まぁ生活から何から違うわけですからね、なかなか相手の考えてる事が分からない、それをですね、調和させて二人で新しい家庭を作っていこうと、こう思うわけですよ。これはね、一つの作り方なんですね。





ところであの、最終的な私の感じなんですが、どんなに近い生活をしてても男性と女性はすごく大きく違うんですね。違うからこそ、結婚生活っていうのは良いんですよ、ええ。「ああ、なるほど。相手はこういう風に思うんだな」 「こういう時、女性っていうのはこういう風に思うんだな」と思うから良いんで、ええと、同じ考えっていうのはあんまり良くないですよね。





私、最近あの「ガリレオ放談」で、“「正しい」とは何か?”っていうのを言ってるんですけども、相手が自分と違うときに相手を正しいと思う、「相手の考えが自分と違うときに、相手を正しいと思う」、これですね。これがやっぱり結婚生活を幸福にする、一つの大きな、あの…転換点って言いますかね、道ではないかと、ま、そんな風に私思いますね。





その点では、美人とか、力が強い人、お金持ちの人っていうのは、単なる生物学的な判断基準ですから、それで判断して結婚生活が破綻するのは、ま、言ってみれば当たり前って言うかですね、当たり前と言ってはなんですが・・・ええっと、生物学的な理由で結婚して子供を作って離婚する、っていうのは割合と普通ですね。全く何の問題もありません、えー形どおりっていうことですね。





ですから、ほんとに結婚生活が幸福になるためには、我々は生物学的な指標以外の指標ですね、ここで言ったのは一つは運命であり、一つは二人で結婚生活を作り上げていくということ。それにはやっぱり自分が、間違っていると思う相手が、「相手の(方)が正しい」と言って、自分が間違ってることを“あ、(これで)正しいんだな”と思うこと、このことなんでしょうね、そんな風に思います。


(文字起こし by danielle)