原発再開の最低条件(5) 国民の合意 | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

原発再開の最低条件(5) 国民の合意 (5/24)




体調管理に失敗し、皆様にご心配をおかけしました。まだ本格的ではありませんが、今日から助走に入りたいと思っています。ところで、臥している間に北九州で瓦礫の焼却がはじまりました。日本人にとってこの事件は深い傷になるでしょう。



事故の前、少し乱暴な言い方ですが、「安全な原発を目指そう」という人はほとんど見られず、「どうしても原発を運転する」という人たちと、「どうしても原発を阻止する」という人たちのいがみ合いでした。事故の後も同じような感じです。



私は「原発は安全でなければダメになってしまうから、推進派も反対派も同じはずだ」という立場でしたが、事故前も少数派、今でも少数派です。



なぜ、同じ日本列島に住んでいるのですから、他人の意見を尊重して話し合いのテーブルに着かないのでしょうか? かつての推進派の考えは「どうせ、反対派と話しても意味が無い。なんでも反対だし、もともと科学のことなどわからないのだから。原発が安全だということがわからないし、日本の国際競争力がどんなものかもわかっていない」ということで、政府要人、東大教授、原発関係者などがこのような考えでした。



でも、この考えの中で、1)原発が安全だ、ということと、2)もともと国際的には日本の電力は高いので考え直さなければならない、という点について、今回の事件で主張出来なくなったのです。ですから、推進派の人は「反対派は科学がわからない」という考えを少し後退させて話し合いのテーブルに着く必要があるでしょう。



一方、反対派の中で「原発が安全かどうか考える必要は無い。もともと核エネルギーを人類が利用する自体が誤りだ」というということを強く言う人がいますが、それは少し後退できないでしょうか? 



人間は原始人から見ると「やってはいけない」ことを次々とやってきました。空を飛ぶヒコーキ、人間が箱の中で歌うテレビ、どこでも人の声が聞こえる携帯電話、人間の体に若干の影響を及ぼす電子レンジ、自然の水ではなく塩素を入れて殺菌する水道、食料の6割を輸入してそのうちの半分を捨てる日本人・・・一つ一つを採ってみると「そんなことしないほうが良いのに」と思うものでも、全体として必要なものとして受け入れてきました。



もちろん、これらのものは人間の文明を破壊する可能性もありますが、大きくは日本人が合意して日常生活に取り入れているものです。反対もありますが、民主主義ですから全体で合意して、部分的には手当をするという感じです。



ところが原発については、「最初に結論ありき」で対立するものですから、有意義な対話ができません。でも、民主主義というのは、お互いの「違い」について「同意する」のではなく「違いがあることを認める」ことから始めて、「どこが違うのか」を確認し、「それが克服できるものか」を議論し、「克服できなければ多数派の意見を取り入れるが、少数派にも配慮する」というプロセスを守ることです。



2010年だったと思いますが、私は原子力委員会の研究開発部会で「原子力関係者は原発が安全だと思っているが、国民の多くが危険だと思っているのだから、「危険だ」という立場で研究費を出したらどうか」と発言したことがあります。この発言は採用されませんでした。



日本にはまだ「自分と違う考えがある」ということ自体を認める習慣がないように思います。原子力委員会は原発推進(原子力利用)の立場ですが、原発が危険であれば推進できず、国民の不安を取り除くことが大切だからです。



私の提案に対して、委員長が「広報活動をやります」とお答えになったので、私は「広報活動ではありません。私たちが原発は危険だという前提に立つのです」と説明しましたが、理解されることはありませんでした。「原発は危険だ」というのは「科学」ではなく「思想」の問題とされたのです。


・・・・・・・・・


いろいろな反論があると思いますが、今回の原発事故は私たち大人が「我を張っている」間に原発が爆発し、その被曝は子ども達が受けています。今回の北九州における瓦礫(低レベル廃棄物)の焼却は、その狂気が続いていることを示しています。



素直に考えれば、放射性物質で汚染されている瓦礫を東北から遙か九州に運び、そこで焼却するなどということは考えられません。私の知っている東北の人は震災の被害でも他の地域や国から多くの援助をいただいたことに感謝しています。原発も自分たちが受け入れたことは間違いないので、それについての判断に責任を持とうとされています。



決して、東北の人が他の地域に被害を与えようとしているのではないと私は思うのです。この際、東北の人から「他の地域の人がいやがっているのだから、自分たちで処理する」と言ってください。



九州に瓦礫を運んだ第一の理由は、政府のメンツ、第二の理由は九州にお金が行ったということと思います。この二つははたして日本の将来を明るくするものなのでしょうか? 私は瓦礫を運搬するのに携わった「瓦礫運搬派」の人にもう一度、考えてもらい、九州にも汚染を心配している人がいて、その人達は「考えが足りない人たちではない」と思ってもらいたいと願います。


(平成24年5月24日)




--------ここから音声内容--------




えー、体調管理にちょっとやや失敗いたしまして、皆様にご心配をお掛けしました。まだ本格的ではないんですけども、今日から、まぁ助走に入りたいと思っております。





えー、私がちょっとこう臥(ふ)しておりましている間にですね、まぁ北九州で瓦礫の焼却が始まったわけですが、この問題はですね、日本にとって非常に深い傷になると思います。事故の前ですね、少し乱暴な言い方をしますと、「安全な原発を目指そう」という人はほとんどおられずですね、「どうしても原発を運転する」っていう人と、「どうしても原発を阻止する」っていう人たちのいがみ合いでしたですね。





えー、事故の後も同じような感じで、この瓦礫の問題もですね、「どうしても瓦礫を運ぶ」と、「お前たちは恩を知らないのか」、こう言う人たちとですね、「瓦礫の運搬はダメだ!」と、「子供たちが被曝する!」と言う人たちの、まぁやっぱりこれも「いがみ合い」になってるように思うんですね。私はあの、「原発は安全でなければダメだから、推進派も反対派も同じ考えのはずだ」という立場ですが、事故前でも私はちょっと少数派でしたし、今でもそうなような気がします。





瓦礫についてもですね、私はみんなの考えは同じだと思うんですよ。「瓦礫は片付けなければならない」、「だけども、だからと言って子供たちが被曝してはいけない」、この二つだと思うんですよね。それはほとんど全員の日本人が合意できんじゃないかと思うんですね。何故しかし同じ日本列島に住んでいるのに、他人の意見を尊重して話し合いのテーブルに着かないのか?と。





これについての、かつての推進派の考え方はですね、私よく知ってるんです。こういうことなんですね、「どうせ反対派と話しても意味がないんだ」と、「何でも彼らは反対だし、どうせ科学の事なんて分かんないんだから、大体いくら説明したって原発が安全だってこと分かんないんだよ」と。「それから日本の国際競争力が何に根ざしてるのか、それも知らないんだから」と、「霞を食ってんだ」と、こんな感じがですね、政府の要人とか東大の教授とか、原発の関係者、経済関係者に多かったんですね。





でこの中で、「原発が安全だ」ということと、「元々国際的には日本の電力は高いのでちょっと考え直さなきゃいけない」ということについてはですね、今回の事件でやや主張できなくなったと思うんですね。ですから私は原発推進派の人がですね、「反対派は科学が分からない」という考えを少し後退させてですね、話し合いのテーブルに着く必要があるんだろうと思うんですね。





それから一方、反対派の人の中ではですね、「原発が安全かどうか考える必要は元々ないんだ」と「元々、人間が核エネルギーを使うってことが間違いだ」ということを強く言う人がいるんですが、これはまぁ思想ですからね。思想は、もちろん思想の自由ですから。思想の自由っていうのはですね、自分が思想を持つのも自由ですが、相手も思想を持つのが自由なんですよ。ですからですね、相手の思想も・・・自分の思想を持てるということは、相手の思想も尊重しなきゃいけないってことなんですよね。





元々ですね、人間はですね、おそらく原始人から見れば「やってはいけないこと」を次々とやってると思うんですよ。空を飛ぶ飛行機とか、人間が箱の中で歌うテレビとか、どこでも人の声が聞こえる携帯電話とかですね、若干人間の体に影響があるんじゃないかと思う電子レンジとか、普通は自然の水を飲むのが良いのに塩素を入れて殺菌する水道とかですね。ま、日本なんかですと、食料の6割を輸入してそのうち半分を捨ててるとか、一つ一つを取りますとね、「いや、本来そんなことすべきじゃない」ってのが多いんですよ。だけどまぁ、一応全体としては受け入れてきたわけです。





えー、もちろんこういったものは人間の文明をですね、破壊する可能性はありますけどね、だけども我々は日常の生活の中でそれを合意しながらやっていくと、ま、いうことじゃないかと思うんですね。で、原発をやれとか、そういうんじゃないんですよ。原発については、「最初に結論ありき」ということで対立するわけですから、まぁ話し合いにならないわけですが、民主主義という下でですね、自分の意見を主張する人、例えば「原発が必要だ!」と主張したり、「瓦礫の処理が必要だ!」と主張したりですね、逆に「原発が絶対ダメだ!」と言ったりですね、そういう人たちはですね、「自分の意見を述べるっていうことは、相手の意見も聞かなきゃいけない」ってことなんですよ。





お互いに「違いについて同意するんじゃない」んですよね、同意は直ぐにはできないんですよ。「違いがあることをまず認める」わけですね、それから「どこが違うのか?」、「その違いは克服できるのか?」、「どうしても克服できなければ、多数派の意見を取り入れるんですが、少数派にも配慮する」ということですね。





今度の瓦礫の問題なんて、割合簡単なんですよ。例えば瓦礫のうち放射線で汚れてない分、例えば1キロ100ベクレル以下、今までの低レベル廃棄物に含まれないものは引き受けると、それ以外は空気を汚さないような処理施設をですね、宮城とか福島に造ってそこで処理するということでですね、簡単に合意できると思うんですよね。





えー、私はですね、実は2010年のことだったと思うんですが、原子力委員会の研究開発部会でですね、「原子力関係者は原発が安全だと思ってるけども、国民の多くが危険だと思ってるんだから、『危険だ』という立場で研究費を出したらどうか?」ということを発言したことがあるんですが、もちろん採用されませんでした。これはですね、「自分と違う考えがある」ということを認めることの習慣がないんですよね。





原子力委員会は原発推進の立場なんですけども、原発が危険であれば推進できないんだし、国民の不安が多いわけですからやっぱりそれやるべきなんですが、それに対して委員長はですね、「広報活動をやります」とお答えになりました。私はですね、「いや、違うんです」と、「広報活動ではないんです」と、「我々が『原発は危険だ』という立場に立つんです」と、こう説明したんですが、それは理解される事はできませんでしたね、ちょっと今の日本ではまだ難しいかもしれません。





つまり、「相手の言うことを一応理解して、行動をする」ということなんですね。そうじゃないんですよ、今は。『自分が原発が安全だと思ってたら、原発が危険だと思うことができない』という考えなんですね。「原発が危険である」というのは「科学」の問題ではなくて、「思想」の問題だとされたわけですね。





私はこの、今度の福島の原発事故の問題で、やっぱり原発は危険か安全かという問題は、科学の問題だったという風に思うんですね。ですから、やっぱり「科学的立場に立って解決をしていく」ということが責任ではないかと思うんですね。その意味では、私のこの話には多くの反論があると思いますが、今回の原発事故、私たち大人がですね、「我を張ってた」間にですね、原発が爆発し、その被害が子供が受けている、と。





今度の北九州もですね、同じように大人たちが我を張ってる間に、子供たちが放射線のやや高いところで生活するというような狂気が続いているという風に思いますね。素直に考えれば、放射性物質で汚染されてる瓦礫を東北からですね、トラックで延々九州まで運んでですね、そこで焼却するなんてことは考えられないですよ。





もう一つは、東北の人たちはですね、結構きちっとしてる人たちなんですよ、本当に。これゴマするんじゃなくて。やっぱり東北の人っていうのは純情で、寒いとこで頑張ってますからね。私はね、東北の多くの人が今度の震災で、震災は確かに自然災害ですけどね、だけども自分たちの問題なんですよ、東北の人の問題なんですよ。それにですね、関東とか他の地域の人がずいぶん協力してですね、感謝してますよ、東北の人はほんとに。私が会う東北の人はみんなそうです、ええ。





それから原発もですね、非常に強い被害受けちゃったし、東電にごまかされたことは確かなんですけども、それも含めて東北の大人たちの責任なんですよね、それも分かってます、東北の人は。だから私は東北の人がね、瓦礫の運搬で他の地域に被害を与えようとしてるんではないと思うんですよ。私はね、まず東北の人が反対して欲しいですよ。「瓦礫の搬出について他人に迷惑を掛けるんなら、私たちは嫌がる人のいるところには瓦礫は出しません」って言って欲しいですね。





というのは、九州に瓦礫を運んだ第一の理由はですね、政府のメンツなんですから。第二が九州にお金が行くっていうことなんです。だけどこの二つは、日本の将来を明るくするもんじゃありませんね。もう一度、瓦礫の運搬に携わった、「瓦礫運搬派」の人に考えてもらい、九州で汚染を心配してる人はですね、馬鹿ではないんだと思って欲しいんですよね。「お前ら、馬鹿だ!」と、そういうこと言って欲しくないと思いますね。





それから東北の方からも、「もう瓦礫の搬出は止めて欲しい」と、「自分たちは、他人に迷惑をこれ以上掛けたいと思ってるわけではない」と言って欲しいですね。それで、原子力の…例えばこれからのことをですね、みんなで日本列島に住んでる日本人として話し合いをしたいと、私はこういう風に思います。


(文字起こし by danielle)