日本だけ(2) モンゴルに勝った日本 (5/5) | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

日本だけ(2) モンゴルに勝った日本 (5/5)



日本だけの第二回目は元寇です。世界史の始まったこの頃、日本がモンゴル軍に勝ったことがその後の日本文化社会に決定的な影響をあたえ、それが2011年の原発事故に結びついています。




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(平成24年5月5日)




--------ここから音声内容--------




『日本だけ』の第二回目が、モンゴルの日本の襲来、一般的に「元寇」(げんこう)と言われますね。この事がですね、日本だけ、一つの事が起こりました。




えー、モンゴルというのはですね、13世紀にですね、急激に力をつけまして、チンギス・ハーンという極めて優れた大将がいたこともあるんですけど。歴史的に見ればですね、ある民族っていうのは、時々爆発しますね。非常に古くはエジプト人、これが爆発しましてエジプト文明っていうのを作りました。その当時は、まぁエジプトとメソポタミア、インド、そいから北京辺りに文明があったんですが、やっぱりエジプトが一番華やかだったですね。





エジプトが終わりますと、次にギリシャが爆発します。ま、ギリシャ時代。今、ギリシャの金融危機なんかを見ておりますとですね、当時、世界の文化、政治の中心だったギリシャという面影はほとんどありませんけど、その当時はソクラテスやアリストテレス、美術、全ての面においてですね、大変に、まぁ優れた国であったわけですね。





ギリシャの後、ローマが爆発します。イタリア人ですね。小さなイタリア半島からどんどん力を及ぼしまして、地中海全体を支配します。また、力が余ってですね、ヨーロッパ…フランス、ドイツというところも占領するわけですね。ローマ帝国、「ローマは一日にして成らず。すべての道はローマに通じる」というような世界を作ったわけですね。その後、600年代にはマホメットが出てきましたので、アラビア半島が大きく成長します・・・大きくなりますね。





えー、それからまた、このモンゴルが13世紀、非常に大きな国になります。もちろんその間にチムール帝国とかですね、色んなものが出現するんですが、ま、モンゴルほど大きくなったところっていうのはないんですね。えー、中国を獲り、ずーっと西の方に行きまして、ロシア全体を獲り、アラビア半島の方まで行き、やがてキエフ、更にはポーランドまで侵入をいたします。





「世界史はモンゴルから始まった」。確かにその通りで、えー、モンゴルの前は日本もですね、世界とは一応、切り離された国でしたね。しかし、モンゴル帝国ができますとですね、「世界制覇」でありますから、日本も当然、その標的の一つに入るわけですね。そこで、13世紀の終わりぐらいになりますと、モンゴルの支配下に入った中国および朝鮮の部隊とモンゴルの兵隊が、日本を襲ってきます。これが2回に渡る「元寇」というもんですね。





ま、これに対して日本もですね、博多の港んとこに防波堤を作ったり、みんな御家人(ごけにん)とかですね、侍(さむらい)を集めたりしまして、防戦をいたしました。その当時、日本もですね、鎌倉幕府が始まって直ぐでしたから、まだ武士も相当強くてですね、頑張ったわけですね。





えー、一般的には元寇っていうのは「神風」・・・ま、2回もこう…軍が襲ってきましたが、2回ともですね、運悪く…蒙古軍にとっては運悪く台風が来たので、船がひっくり返ってしまいましてですね、大敗して帰りました。従って、もしモンゴルがそのまま無傷で日本に上陸したら、もう日本はひとたまりもなかったであろうという話もあります。





しかしですね、私はあの、元寇の時の日本軍とモンゴル軍の戦いを見てますと、必ずしも日本軍がそのまま、どんどんやられてしまうっていう状況じゃありませんでした。ま、言ってみれば「一進一退」、なかなか厳しい戦いが続いたということですね。





従って、もしも博多が破られて太宰府が獲られて、そしてモンゴル・中国・朝鮮の連合軍がですね、山陽道を上ったにしてもですね、そう簡単に日本軍がですね、やられるとは考えられません。ま、しかしそれは歴史のことですから、“もしも”ということですから、あまり深く追求しなくてもいいんですが。





いずれにしても、神風なり、鎌倉武士の奮闘なり、どちらに原因を求めてもいいんですが、モンゴルが負けたことは事実なんですね。モンゴルはそれ以来、日本侵略を諦めました。もちろん中国もその後、宋・元・明・清と続くんですけど、「日本はちょっと強敵だから、なかなか日本まで行くのは嫌だな」と、そういうような雰囲気をですね、作っていったわけですね。





これ以来、あまりにもその神風の威力が強かったということで、日本は戦争に負けそうになると必ず「神風が吹く」と、こんな風にも言われましたが、それはちょっと言い過ぎなんでありますけども。いずれにしてもですね、世界史が始まった途端、モンゴル兵が襲ってきた日本はですね、それを跳ね飛ばした、ということになりまして、これもですね、日本が独自の文化を更に形成していくのに大きな力になったと、ま、そういう風に考えられます。





歴史というのは非常に面白いもんで、先ほど、モンゴルもですね、13世紀に爆発してものすごく大きな国になったんですが、その後のモンゴル人はそれほど活躍しておりません、それを悪く言うことはできないんですね。エジプト人もイタリア人もギリシャ人も、それからアフガニスタン辺りも一度ものすごく力をつけたことがあります。また、モンゴル人もそうですね。




歴史的にものすごい勢いで発展した後は、やはり民族が疲れるんでしょうか、ま、暫くはじーっとしてですね、2千年、3千年経って、またその民族が勢いを盛り返すかもしれません。ま、その歴史的な一つでした。




しかし世界史的に見れば、モンゴルの事で世界史が誕生しました。その時に日本はモンゴル兵を・・・モンゴルを破ったので、結果的に日本はですね、独自の発展を遂げると、ま、こういう風になった。それがですね、現在まで実は続いておりまして、2011年の原発の爆発事故という遠因を探ればですね、モンゴルが日本に襲ってきた時にあると言っても過言ではありません。





えー、碁を打つ人とか非常に名人はですね、「碁の端の方に打った石が、碁の逆側の盤にも影響を及ぼす」という実感を持っとりますが、この歴史なんかもそうで、広ーい空間、長ーい時間の中にですね、それぞれ一つ一つの事が、実に深く関係していると、ま、いう風な感じがしますね。


(文字起こし by danielle)