日本にも科学者がいるのか?・・・頭脳活動と行動 | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

日本にも科学者がいるのか?・・・頭脳活動と行動 (4/30)



連休に入って時間の余裕ができると、いろいろなことが頭を巡ります。「事実と幻想」、「科学の役割」が今の一つの課題でもあります。


ポアンカレという数学者は次のように言っています。
「私たちは、事実がどんなに残酷なものかを知っている。だから、幻想の方が事実より心の安まるもの、力づけてくれるものなのだ。私たちに信頼感を与えてくれるのは実は幻想にほかならない。でも、幻想は消え去る。その時に人は希望を失わず、そのまま行動する元気をもち続けることはできない」


幻想は甘い汁ですが、やがて消えていきます。そのときに冷酷な事実に力強く立ち向かうことができるのは事実そのものでしょう。人間は辛いことを正面から見るのは大変で、ダーウィンも「勇気を持てば事実が見える」といっています。まさに被曝と健康、福島の人の避難などに当てはまるでしょう。


また東大総長の浜田純一先生は訓示で次のように言っておられます。

「人間が陥りがちな弱さに自らも陥らず、そして人をも陥らせない役割が科学に携わる者には求められています。科学は精神安定剤ではないのです。人々の期待に力の限り応えながら、同時に期待の圧力に屈しない知的廉直が科学には求められます。科学の世界に生きる者に求められているのは、今の科学で出来ることと出来ないこととの区分を明確に示すとともに、その限界を乗り越えるために苦闘している姿を率直に見せることです。」


東大総長からこのような言葉がでるところに、今の日本の科学の脆弱さがあります。つまり東大の御用学者も頭ではこのこと、つまり科学は人間が陥りがちな弱さに陥らず、精神安定剤ではなく、期待の圧力に屈しない知的廉直さなのです。でも頭でわかっていることが実行できない悲しさを東大教授は持っています。それが国民を苦しめているのです。


地震予知が始まった1970年代。東大の地震の先生はお金が欲しいので「東海地震が先に来る」と言い、阪神淡路と東北で犠牲者26000人の原因を作りました。まさに「出来ることと出来ないこと」の区別が明確に出来なかったのです。


福島原発事故による被曝が始まると東大教授は「大丈夫」と言いました。被曝と健康の問題は法律で1年1ミリと決まっており、それをさらに明らかにしようと「苦闘している姿」だったのです、それは政府のいいなりになって科学を捨てました。


「わかっているのにやらない、わかっているのに違うことを言う」という自らの利益だけを考えた精神的疾患は、東大教授に著しく、日本のインテリに共通した病状です。これは日本人のある意味での限界を示したもので、特に宗教的基盤の薄い日本に顕著です。人間は頭でっかちですから、宗教やヨガという精神的基盤や鍛錬なしに厳しい現実に向かうことが出来ないのでしょう。

(平成24年4月30日)




--------ここから音声内容--------




連休で、ま、時間の余裕が少しできまして、ま、色々考えを巡らしますとですね、えー現代の日本に非常に重要な問題ですね、ま、「事実と幻想」の問題、「科学の役割」の問題といったことに、ま、心が及ぶわけであります。





えー、ポアンカレという、ま、有名な数学者がいましたけども、この人は、事実と幻想について、ま、次のように言ってるわけですね。えー「私たちは、事実がどんなに残酷なものかを知っている」と、「だから、幻想の方が事実より心が休まるもの、力づけてくれるものなんだ。私たちに信頼感を与えてるのは実は幻想に他ならない、しかし幻想は消え去る。その時に人は希望を失うと、そのまま行動する元気を持ち続けることができない。」





幻想は甘い汁です、今を楽にしてくれます。従って、どうしても人間はそれに頼ってしまいますが、それはやがて消えていきます。そのときに冷酷な事実に力強く立ち向かっていくことができることが事実なわけですね。えー、これはダーウィンもですね、「勇気を持てば事実が見える」と、まぁこう言ってるわけです。





正に、現在の「被曝と健康」ですね。えー福島の人、他の人にとってみれば「被曝は大丈夫だ」という幻想がですね、自分たちを楽にしてくれます。子供たちが例えばガンになるにしてもそれは10年後でありますから、「ま、いいよ」と、こう言っとけばですね、当面が楽なことは間違いありません。しかし、それは幻想ですね。ですから、えーやがて冷酷な事実に立ち向かったときに、耐えることはできません。





今、冷酷な事実に立ち向かっている人も多くいます。ま、その人たちは被曝を避け、食材に注意し、まぁ苦労しながら何とか、えー子供の被曝率を下げています。これは正にですね、このポアンカレが言うように、ま、「事実は残酷なものだ」と、「しかし、そこから目をそらして幻想に頼ることをすればですね、やがてその幻想が消え去ったときに、希望を失わずに人生を送ることはできないんだ」と、ま、こう言ってますね。





えー、東大総長の浜田先生が訓示で言われた言葉、「人間が陥りがちな弱さに自らも陥らず、そして人をも陥らせない役割が科学に携わる者には求められてる。科学は精神安定剤ではないのです。人々の期待に力の限り応えながら、同時に期待の圧力に屈しない知的廉直さ(れんちょく→心が清らかで私欲がなく、正直なこと)が科学には求められます。科学の世界に生きる者に求められているのは、今の科学で出来ることと出来ないことの区分を明確にすると共に、その限界を乗り越えるために苦闘している姿を率直に見せることです」





まぁ、この言葉がですね、東大総長から出るというところに、まぁ今の科学の問題があるんですね、日本の科学の。つまり東大の先生方はですね、頭ではこのことを全部分かっております、口でも言えます。えー科学は人間が陥りがちな弱さに陥らないこと、精神安定剤じゃないこと、過度な期待に応じないこと、知的廉直さっていうのは難しい言い方ですが、えー分からないものは素直に分からないと言うこと、これは東大の教授は持っているんですが、実行できません。





例えば二つの例を挙げてみますと、えー1970年代に地震予知が始まりましたが、東大の地震の先生がお金が欲しいので、東海地震が先に来ると言いました。その結果、阪神淡路と東北で犠牲者2万6千人を出したわけでありますが、何しろ今から地震予知の研究を始めるんですから、東海地震が先に来るかどうか判らないことぐらい、それは分かっておりました。つまり科学が「出来ることと出来ないこと」を知的廉直さに基づいて発言するという勇気が、東大の教授に無かったんですね。





ま、今度の福島原発事故でもそうです。東大教授は「大丈夫だ」と言いました。この『大丈夫』というのはですね、何に反するかと言うとですね、私たちは学問でなかなか低線量率の発ガン性を調べることが難しいわけですね、そこに“苦闘”してるわけです。その苦闘の数字が1年1ミリであります。





えー従って、この東大総長が言うように、もしも東大教授がですね、分かってることと分かってないことを区別し、世の中の過度の期待に応えず、科学者が苦闘してる姿を見せるというんであれば、「いや、我々ははっきり分かんないんです。しかし、5年後10年後に子供たちがガンになるのを防ぐためには、我々の苦闘してる姿そのもの、つまり1年1ミリというのを当面守っていただく以外にありません。私たちはそれしか出来ないんです」と言うべきでした。





このように、「分かっていることにやらない、分かっているのに違うことを言う」という、いわば心理的な統合失調症の症状っていうのは東大教授に著しいんですが、日本のインテリには共通した症状ですね。ま、新聞もそうですし、ま、色んな評論家、もしくは日本の論壇関係の重要な書籍・雑誌っていうのはですね、あらかたこの統合失調症症状を呈しております。





ま、これは私が考えるにですね、ま、人間の精神的欠陥の一つでありますが、特にそれを補うために登場したと私が思う宗教とかヨガとかいった精神的鍛錬のない日本においてですね、この知的な知識を得た人たちがですね、余計にその人間の精神的欠陥を見せるということになってるんだろうと思います。





えー、ま、この連休時にですね、少しでもこういうことがですね、理解され、科学がですね、むしろ社会に害をなすともいう、これまでの傾向が無くなることを、ま、期待しております。




なお、この録音はですね、最初の録音が音が飛んでおりましたので、再度録音してみました。ま、これもまた音が飛んでるかもしれません。


(文字起こし by danielle)