自分の子供を餓死させるのは健全な行動ではない (4/27)
原発事故を境にして多くの日本人が「何かおかしい。このままでは日本はダメになってしまうのではないか?」と感じています。でも、1990年頃から日本の大人は少しおかしくなったのかも知れません。
それまでのように単純な「右上がり社会」・・・つまり高度成長路線を走っていたときは何も考えなくても良かったのですが、バブルが崩壊して自分たちで方向を決めなければならなくなると、人生観、世界観が重要になり、方向性を失いました。
その結果、「もったいない」、「節約」、「自然との共生」など部分的な正義はあるものの、全体のつじつまがとれない言動にでました。その間に、年金騒動、赤字国債の大量発行、やっていないリサイクル、温暖化騒動と架空のなかで右往左往してきたようです。
資源の方面で次のような話があります。
「子供が20人いるとして、パンが100ヶあるときには子供にゆっくり食べさせて良いが、パンが10ヶになったら先に取らせろ」
これは「どんなにパンが少なくても、我が子を餓死させて、他人の子供を助けるのは健全な考えとはいえない」ということです。これはこの世の矛盾についての一つの指針です。本当はパンが十分あることが必要なのですが、もしもない時には、やはり我が子を救おうとするのは仕方がない。それが結局、集団の最も良い状態をもたらすということです。
これを「石油がなくなりそうだ」ということに当てはめると、「みんなで石油を節約しよう」と呼びかけるのは良いのですが、「石油が枯渇しそうな時には先に石油を取った方が勝ち」というのも同時に正しいのです。
それでは日本政府が「石油が枯渇しそうだから、節約しよう」と言うのは正しいのでしょうか? もちろん、私たちの日本にとっては間違っています。かつて中東から日本へタンカーで運ばれてきた石油は、日本に来るまでに東南アジアや中国に向かっているということだけなのです。
日本が国際的に孤立し、無謀な行動(石油などの節約)にでたのは、「我が子を餓死させる思慮の足りない親」だったからです。
そして、少し高度なことになりますが、石油が社会のドライビングフォース(活動の源)になっている時に「脱石油」をするためには、「せきゆを使わざるを得ないから、石油を使った方が勝ち」ということです。つまり、もし脱石油には今の都市を「脱石油型」に変えなければならないとすると、石油を使った自動車や建築機械を使わざるを得ないことも私たちは考えなければなりません。
かくして日本社会は1990年代から不景気になり、リストラが進み、就職率が下がり、国際競争力を失い、規制でがんじがらめになり、経費はかさばり、何でも自粛するようになり、ますます形式化して、それが今回の大震災(地震予知の虚偽)と原発事故(安全神話)になったのです。
親の責任は大きいと言わざるを得ません。私たちの目標は贅沢ではなくても、額に汗して働くことができる社会、老人になって突然、哀れにならない社会だったはずです。
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別の機会に書きますが、「人生や家庭は節約するほど幸福になるけれど、競争社会は節約したら衰退する」ということなのです。
「競争社会では哲学者は死ぬ」というのも事実で、「人格高潔、戦争を好まない民族」は、かならず「利害優先、好戦的民族」に滅ぼされてきたというのが歴史です。
このような関係を解消しようという理想に燃えて第二次世界大戦後に国連ができたのですが、まだ、その域には達していません。それどころかイラク戦争や温暖化騒動などを見ると、むしろまだ人類は国連の場を利用して競争社会での利害を追求している段階です。
「理想に燃えて飛び跳ねたことをすれば、結局は次世代に大きな災厄をもたらす」というのも歴史の示すところです。人間の心は一人ずつ過去を引きずっているので、現状を打破したいという希望はあるものの、それは多くの人の心の変化に沿ってしか進まないのです。
未来の理想に対して強固な信念を持ち、それに向かって突き進むのですが、現実は徐々にしか変わらないという事実を認める胆力も必要とされます。
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現在の日本の「もったいない、節約」という考え方は、官僚の天下り先を作る利害と、理想を追う庶民の心を巧みに操作したもので、世界の進歩と隔絶しているという点では日本は衰退の方に舵を切っており、それは私たちの子供や孫が世界から取り残される結果となるでしょう。
大震災と原発事故は私たちに、東大教授や霞ヶ関のお役人の個別の利害のために現実を見失い、子供たちに被害を与えてはいけないという点で大きな教訓を残しました。今こそ、私たちは日本の常識は世界の非常識であり、子供たちは衰退に向かって進んでいることを知らなければなりません。
ところで、東大教授や霞ヶ関の高官が現在のように極端に自分の身だけを大切にして、社会的責任を果たさなくなったのか、このことについてはまた別の機会に書こうと思っています。とにかく、彼らが仕組む「日本人の美しい心」につけいる方法について私たちはよく心得ておく必要があるでしょう。
(平成24年4月27日)
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ええと、今、日本ではですね、この「石油が足りないから節約する」っていうような話もあったり、それから「枯渇する資源は節約しないといけない」ていうのがあるんですけども、これもうほんとに当然のように言われてるんですけどね。当然のように言われてることは、実は違うって言うか、違うのが当然・・・標準的なんですね。
これは例えば、「子供が20人いるとしてパンが100個あるときは、子供にゆっくり食べさしても良いけども、子供20人いるわけですからパンが10個になったら、先に取らせろ」と言われるわけですね。これはあの「我が子を餓死させても他人の子供を助ける、という考え方は健全ではない」ってことですね。やっぱりこの世の中には矛盾が色々あるんですが、その矛盾のときにですね、やっぱり健全な考え方ってのはあるわけですね。
やっぱり自分の子供を助けるっていうのは非常に重要なことで、自分の子供のために食料を確保する、っていうのも非常に重要なことなんですね。そのときにあまりに全体を見てですね、例えば鳥がですね、自分のヒナに虫を持ってこようと、で空を飛ぶと。「いやぁ、虫にも命があるんだから可哀想だ」と言って、虫を殺さずにヒナを殺すと、自分のですね。それはやっぱりあの、不健全なんですよ。で、この健全なのはどこか?ってことなんですね。
もしも・・・人間の場合ですね、「石油が無くなりそうだ」ということを当てはめますと、「みんなで石油を節約しよう」と呼びかけるのは良いんですよ、これ。世界に向かって、みんなで石油を節約しようと呼びかけるのは良いんですが、同時に、「石油が枯渇しそうなときには、先に石油を取った方が勝ち」って言うのもほんとのことなんですね。
そういう点ではですね、まぁ他の国、アメリカも中国もどこもですね、この、健全な考え方、「パンが10個しかないから、先に自分の子供に取らせる」って方法でやってるんです。で、日本がですね、「石油が枯渇しそうだから、節約しよう」って言うのに対してはですね、やっぱり考えなきゃいけないわけですよ、“ほんとかな?”と。私たちはおそらく子供をダメにしようとしてるんですよね。
で、もう一つ、これ難しい問題はですね、石油が世界のドライビング・フォース、活動になってる時にはですね、「脱石油」をするとダメになっちゃうんですよね、代えられないんですよ。例えば、もうエレベーターが使わなくなるからってなると、ビルをこう、背の低いビルに建て替えないけませんね。それはね、やっぱり石油を使うんですよね。ま、そういうことで、ま、ここんとこもう少し考えなきゃいけない、ということですね。
それで、これはですね、おそらく家庭とか人生は節約が大切ですから、それと競争社会と混合したわけですね。で、これ「競争社会では哲学者は死ぬ」ということですね。つまり「人格が高潔で、戦争を好まない民族」っていうのは、今まで必ず「利害優先で好戦的民族」に滅ぼされてきました。
もちろん、これは今後ですね、国連などを作って改善してかなきゃいけませんが、まだ到底そういう理想的な領域に達してないんですね。むしろイラク戦争とか温暖化騒動とか見てるとですね、むしろ人間は国連を利用してまだ力の社会でやろうとこう、してるわけですね。
まぁ、この前の北朝鮮のミサイルがいい例で、アメリカいくらでもミサイル持ってるのに、中国も。自分が持ってる国が、「北朝鮮がミサイル持っちゃいけない」つってるわけですからね。じゃ「何で?」つったら、「いや、北朝鮮は力が弱いから。小さい国だから」つってるわけですね。
これはもう力があったらですね、女性を殴っても何でも良いよと、こういうことになるわけですからね。いやその「暴力でやっちゃいけないよ」と言ってる人がですね、「アメリカと中国は大きな暴力持ってる、北朝鮮は暴力持ってないから」ってこう、「ダメなんだ」ってこう言うわけですね。
ま、こういったことはもう少し深く考えて・・・ま、現実的な政策は要りますよ? ええまぁ北朝鮮に対してもし言うんだったらですね、「いや、あなたの言い分は良く分かる。」と、「どの国も同じ権利を持ってる」と、「だけどもまぁ、それもちょっとね、理想論過ぎて、まずは、ま、アメリカとか中国のものを全廃するっつうのは、彼らはわがままだからできないから、我々小さい国の方が先に止めて、『止めろ』と大きな国に言おうじゃないか」と、ま、このくらいだったら良いかもしれませんね。まぁ、そういうことですね。
えー実はその、「もったいない」とか「節約」というのは、もう完全に今、官僚に利用されちゃってるんですよ。それで天下り先を作るとかですね、ま、そういう風なこと、つまりあの耳障りの良い言葉を言ってですね、そいでまぁ官僚がお金を取るという、まぁそういうのに利用されてるわけですね。で、それがまぁただ利用されてるだけだったら良いんですけど、我々の日本の将来を非常にダメにしたり、そいから子供たちとか孫たちがほんとに貧弱な生活になっちゃいますからね。やっぱり私たちは、本当にそれが正しいか?ということを考えてみるべきだと思います。
ええと山口県宇部市の偉人にですね、渡辺祐策(わたなべすけさく)さんっておられますが。この人は炭鉱を持ってましたけどね、えー、「炭鉱を節約するのは良くない」と、こう言っておられますね。えー、「将来に向かって、子供たちが夢のある社会を作んなきゃいけない。そのためには現在自分が掘っている炭鉱を節約すんのは良くないことなんだ」と、ま、このブログにも一回書きましたけど。
えーやっぱり正しく考える人はですね、江戸時代にも明治時代にもおられたわけで、えー今がもったいないという心が無いとか、そういう問題ではありません。我々の頭があまり単純になったと、ま、そんな風に言えるんじゃないかと思います。
(文字起こし by danielle)