戦後教育の確信(1) 国家と教育 (4/23)
なぜ、戦争が起こったのだろうか? なぜ、310万人も犠牲になったのだろうか? その一つの原因として「教育が国家に押さえられていた」ということが戦後日本の反省だった。そして、「国家から独立した教育制度」ができ、教師の独立性が目指され、民主教育が叫ばれた。
この原理はどこにあるのだろうか?
大人の世界は汚れる。汚れの原因はある時には権力、あるときはお金、そして恨みや衝動だけのことすらある。権力を握った人間は初心を忘れ、国民を尊敬せず、地位にしがみつく。
その時間をできるだけ長くするためには教育は実に魅力的である。裁判官が人に死を宣言できるように、医師が他人の体を傷つけられるように、教師は子供の心に手を入れることができるからだ。
権力者は教師を手なずけようとするのは自然の勢いで、教室で事実とは違うことを教えるように強要する。やがてその子供たちは自分の奴隷になり、自らの子供を次の帝王につけることになるだろう。
かくして、戦争が起こり310万人が死んだ。戦争の原因は教育だけではないが、教育も一役買ったと考えられた。戦後の民主教育は日教組だけが進めたわけではない。東大の文化系学部もこぞって民主教育を支持した。
しかし、今、私たちが目指した民主教育は完成せずに終わりを迎えようとしている。すでに教育委員会というシステムは権力側にあり、子供を最優先する校長先生も絶滅寸前にある。あの元気だった先生方は今ではすっかり文部省に飼い慣らされ、疲れ切り、ただノルマを果たすだけのロボットと化した。
ただ、現在、教育を支配しているのは権力者(内閣)でも政治家でもない。官僚群である。官僚の論理は明確で、「国民の平均頭脳レベルは我々より劣るので、我々が国を経営しなければならない。だから税金をできる限り高くして、我々の自由になるお金を増やす必要がある。しかし、国民はお金を払いたがらないから、「税金が足りない」という状態を作らなければならない。それはばらまき行政だからお金をもらう国民は喜ぶ。つまり、「ばらまき行政→税金不足→赤字国債→将来のツケ→増税→ばらまき行政」というサイクルに入れば良いと言うものである。
私の分野でも、「ばらまき行政」と「教育現場での洗脳」は見事な連係プレーで進んでいる。「リサイクル教育→1年5000億円のばらまき→天下り組織設立→ほぼ全量を焼却→リサイクルしていると子供に教育」で子供に事実に反することを教えている。
現場の先生は「これまで子供にリサイクルを教えていた。今更、リサイクルが良くないとは教えられない」というジレンマに陥っている。「紙のリサイクル、割り箸忌避、ダイオキシンの毒性、地球の気温の変化、温暖化と南極の氷の増減」など、この20年間、もったいないとか節約という思想問題を科学に置き換えて、間違った科学を子供たちに教えてきた。
教学社というところが出版している高等学校社会の教科書に「温暖化したら南極の氷が融けて、ツバルという南方の島が沈んでいる」との記載があった。私は電話をして「科学的にも間違いで、事実と違うことが書いてあるので著者と話してみたい」と言ったら、「著者はご紹介できない」と言われるので、「それではこの文章の基礎となった文献を教えて欲しい」というと「環境白書」だという。
そこで、「教育は政治とは切り離されていなければならない。環境白書を参考にして教科書を作るのは良くない」というと、「ご意見は承りました」と言うだけだった。
教科書に記載されていることが事実かどうか、この作業は主として東大の先生が行う。東大には国立環境研究所などの文部省傘下の研究所などから多くの教授が送り込まれていて、いくら事実と異なっていても官僚の通りに記述された教科書ができあがる。
戦後、民主教育と検定教科書の問題が何回かあったが、不当な検定があったと言っても、思想の問題だった。でも、温暖化と海水面などという「純科学的なこと」でもごまかして子供たちにウソを教える体制は完成しているのである。
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御用学者が原発を解説するのも影響が大きいが、それは一時的なものに過ぎない。これに対して、{文部官僚―教科書会社―東大教授}が組んだチームは、学問的に正しいかどうかなど関心はなく、文部官僚は天下りを、教科書会社は売り上げを、そして東大教授は研究費をもらうために、子供たちにウソを教えてはばからないのである。
しかし、文部官僚も元はといえば純情で日本のために働こうと思った若者だったし、教科書会社は売り上げは必要だが、その基本は「良い知識を子供たちに」というのがもともとの目的だ。そして東大教授は自らの学問に厳密で忠実でなければならない。
お金と権限のため、老後のために魂を捨てる人たちではないはずだが、すでにダメだったのだろう。
これを正しくするのは、保護者の力と教師の自覚にある。戦後教育の確信が「国家は汚れるが、その汚れを子供につけてはいけない」というものなのだから、それを原発事故を契機に、もう一度思い出す時期だろう。
(平成24年4月23日)
--------ここから音声内容--------
えー戦争に負けて、310万人の日本人が、ま、死んだわけです。大変な災厄だったわけですね。これをもたらしたのは何かと、ま、色んな原因があるわけです。その一つに戦前教育というのが言われたわけですね。何故、戦前教育が悪かったか?それは教育勅語が悪いとかですね、そういうんではなくて、やっぱり「政府の言いなりの教育」になったってことですね。それがやっぱりいけないんじゃないかということになりまして、いわゆる民主教育、えー文部省から独立した、「国家から独立した教育」というのをですね、目指すのが一番良いと、ま、こういうことなりましてそれがスタートしました。
これは大変に良い計画ですね。何故かって言いますとですね、やっぱり子供は我々の宝なんですね。じゃ子供に何を教えるか? 正しいことを教えたいわけですね。正しいことを知らなければやっぱり、新しい日本、発展する日本を作ってくことできないわけです。
ところが、やっぱりどうしても大人の世界は汚れるんですね。ま、権力とかそういうものがありますから。で、このですね、現実を見ようっていうことなんですよ。本当は、政府が正しければ政府の思うように教育やった方が良いんですね。例えば一人一人の先生とか、それから地域の教育委員会が考えるよりも、日本全体で考えた方が良いと、これは確かなんですよ。
ところが、それはですね、形式主義なんですね。あの、国連に安保理があるようにですね、国連総会全体で決めるよりか、やっぱり世の中は現実を見なきゃいけないということで安保理があります。また共産主義、これはま、理想的ですね。みんなの幸福を願って一所懸命働く。ところが現実には共産主義をやると官僚が威張る、ということで、ま、現実に即さないものはやっぱりいけないってことですね。
で、この現実路線を取ったのが民主教育でありました。つまり、もう文部省が汚れるのはしょうがない、これは内閣が汚れるのは権力者だからしょうがないんだ、とこういうことで文部省から独立した教育を作ったのが戦後教育であります。これは、「子供は貴重である。大切である」、「教育は正しくなきゃいけない」、えー、「権力は腐敗するんだ」という、そういう原理原則から決まったものですね。
えー現在ですね、ま、政治家はそれほど強い力持ってませんが、実は官僚群がですね、非常に強い力持ってるわけですね。官僚の最も重要なことは天下りであります。ていうのは、ま、国家公務員試験受かって官僚になればですね、一応人生は定年までは大丈夫…定年ちゅうか辞職までは大丈夫、辞職した後が問題なんですよね。ですからまぁ、えー固いバインドを組んでいかに天下り先を作るかってことが、ま、官僚群の最大の問題になるわけですね。そうしますと、ま、とにかく税金を確保すればいいわけです。
それから税金の配り先がある程度、この…何て言いますか、色が付いてるって言うんですかね、ま、役人が支配するようなものがある、ということはどういうことかって言うと「ばらまき行政」ですね。えー税金は自分の金じゃありませんが自分が自由になる、官僚としては。これをばらまいて、それで「ばらまくことによって税収が不足しますからね、それで赤字国債を出す。赤字国債と出すと、まぁこれはもう将来のツケになるからといって増税する、またばらまき行政する」というサイクルに入ればいいわけですね。年金制度も、ま、そういうことで崩壊したわけですが、必ずそういう風になるわけですね。
で、この「ばらまき行政」とあの、教育現場の子供たちの洗脳っていうのは、非常にはっきりしてますね。例えば、「リサイクル」がそうです。「リサイクル教育をする、と。そうすっと1年5千億円のばらまきができる、天下り組織がいっぱいできる。しかし、現実はリサイクルしないで全量を焼却する、しかしリサイクルしていると子供に教育する」という、ま、こういったものですね。ま、これは先程から言ってるように、リサイクルばかりじゃなくて温暖化も年金もですね、色んなものがこれに当たっているわけですね。
ところが、現場で先生方はですね、だんだんこう文部省の言う通り教育指導要綱なんかを使ってましたので、自ら考える力が無くなってきましてね。そのためにえー、リサイクルの場合も…私よく質問されるんですけども、「リサイクル教えられないってことになると、何を教えたら良いんでしょうか?」と。「紙のリサイクルもウソ、割り箸の忌避運動もダメ、ダイオキシンの毒性もダメ、地球の気温の変化もダメ、温暖化と南極の氷の増減もダメ」で、ダメっていうのは何かって言うと、学校で教えてる他の教科の内容と相反するっていうようなことですね。
例えば、教学社というところがですね、高等学校社会の教科書に「温暖化したら南極の氷が融けて、ツバルという南の島が沈んでる」という、まぁアレ(記述)があるわけですよ。それで私電話してですね、「こういう科学的に間違ってたりするものは止めた方がいいんじゃないんですか?」と言ったら、「著者をちょっと紹介して下さい」って言ったら、「著者は紹介できない」って言うんですね。
で、「この文献を教えて欲しい」って言うと、「環境白書」だって言うんですよ。私がですね、「あれ? あのー、それは憲法違反じゃないですか?」と、「政治とあの…一応ね、教育を切り離すっていうのが、この新しい教育の根本思想ですから、環境白書っていうのは政治的なものですから、それを使っちゃいけないんじゃないですか?」と言ったら、ま、「ご意見はお承りました」ということですね。
ま、実際にはどうなってるかったら、官僚は東大の先生にお金を配り、えー、それで潤(うるお)ってる東大の先生が文部省の教科書の鑑定をやる、と。だから、官僚の思う通りに教科書が書かれるという、ま、戦前と同じ状態になっちゃったわけですね。ま、これはやっぱり良くないんですよ。
これはね、あの一部の人がこういうこと私が言いますと反感を持つ、「何で武田言ってんだ」、いや、それはね、やっぱ僕その人に言いたいんですよね。「やっぱり日本の将来考えて下さい」と、ね。「やっぱり文部省が入らない方が良いというのが、我々の反省だったじゃないですか」と。「それはあなたにとっては困ることだと思いますよ」と、「我々は自分が困るよりか子供のこと考えましょう」と、いうのがですね、私の考えなんですよ。
実は文部省に入った人も東大の教授も、若い頃はもしかしたら理想に燃えてたかもしれません。しかし、自分の地位ができ、ま、自分の退職後の生活が気になるに従ってですね、やっぱりその理想を捨ててしまうというのもですね、人間なんですね。これは共産主義が崩壊したと同じような人間なんですね。
それから東大の先生なんか、ま、55歳ぐらい超えますとね、頭ん中は勲章を貰えるかどうかで頭一杯なんですよ。ですからまぁ変なこと言うと、官僚ににらまれて勲章貰えないと・・・ま、勲章っていうのはですね、普通の人から見たら「何か勲章貰うために頑張ってんの?」って感じですが、私なんかまぁそういう風な世界にいましたから、えーみなさんがですね、勲章でビリビリしてること良く知ってるんですね。
勲章がですね、ほんとに天皇陛下がお選びになったんなら良いけど、違うんですよ、ええ。その周りのですね、官僚が選んでるわけですからね。ですからあの、まぁやっぱりそれは、あのやっぱり子供のためには良くないと思います。
これをじゃあ現実的に正しくするのは、まぁ文筆活動もありますけど、保護者の力と教師の自覚ですね。やっぱり戦後教育の確信というのはですね、「国家はどうしても汚れるが、その汚れを子供に付けてはいけない」ということですからね。ま、これをやっぱり原発の事故を契機に、一回思い出す時期ではないかという風に思います。
(文字起こし by danielle)