エネルギーはどうしたらよいの?(3) 教科書の危険な筋道
学校の先生は「誠実」でなければなりません。それは先生という職業は「他人の心、それも子供の心を左右する」仕事ですから、尊敬され、誠実でなければならないのです。医師が他人の体を傷つけ、裁判官が他人の自由を奪うように、これらの職業は「聖職」なのです。
その「誠意」とは、「みんなが言っているから」とか「常識だから」というだけでは不十分で、自分自身の魂に聞いて見なければならないからです。
今度の原発の事故がそうですが、影響の大きいことに携わる人は「まじめ」でなければなりません。この「まじめ」とは「間違っていることはわかっていても、社会がそう言っているから」とか「空気の通りしておけば無難だ」というのではなく、「自分の専門性から考えて何が正しいか」という魂が必要です。
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今の教科書を見ると、エネルギーや電力のことは、「石油・石炭は近いうちになくなる」→「それに石油石炭を焚くとCO2がでて地球が温暖化する」→「温暖化すると南極の氷がとけてツバルが沈む」→「だから節約して、原発か自然エネルギーにしなければならない」→「もともと節約は大切なことだ」という筋道で仕上がっています。
この説明の中で、「アメリカや中国は脱石油も脱石炭もしていない」、「CO2の削減(1997年の京都会議の時を基準にしてマイナス)をしているのは世界で日本だけ」、「温暖化すると南極の氷は増える」、「ツバルの海水面は9センチ下がっている」、「アメリカ人一人あたりの消費電力は日本人の2倍で、電気料金は2分の1」、「節約は個人生活での道徳であり、科学とは違う」というような重要なことは一切、触れられていません。
「お上はそう考えている。君たちもお上に従え」と言っているのが教科書です。戦前、戦争を賛美した教科書を批判した人たち、今の政府の要人になっている日教組の人たちは何が信念なのでしょうか?
社会が利権にまみれていても、子供たちは未来の日本を作る人たちです。その人たちが自分でデータを検討せず、自分で考えず、お上の言うことをそのまま子供たちに伝える現状はきわめて危険です。
私は教育を担当している人が、もう一度、自分が子供たちに伝えているのは、世界でも特異な空気的合意をしている日本社会だけの「空気的事実」ではないか? まずは「世界の動き」、そして第二に「科学的事実」を子供たちに伝えるという魂を持ってもらいたいと思います。
「節約」は大切ですが、それは「事実」や「科学」とは違い、普通の女性を「魔女」として火あぶりにした時代の考えです。節約は人生を豊かにし、幸福にしてくれますが、それと石油が足りないとか、CO2で温暖化すると言うこととは違うのです。
また、アメリカ人が2倍の電気を使っているという事実は、節約とは関係がありません。日本の電力会社が地方独占で放漫経営を続け、その結果、福島原発を爆発させ、電気代を2倍にしていたと言うことだけなのです。
「節電は良いことだ」と子供に教え、その基本は「東電を手助けする」のではどうにもなりません。なぜ、日本人だけはCO2を削減して、節電しなければならないのか、節電は良いことでも、なぜ自分の自由意思ではなく、強制されるのか、それを考えてもらいたいと思います。
もしこのブログをお読みの方の中に学校の先生がおられたら、「思想」を重んじるばかりに子供たちに「間違った科学」や「間違った事実」をお教えていないかをもう一度、振り返ってもらいたいと思います。
かつて「北極の氷が融けて海水面があがる」という報道があり、それをそのまま教えていた先生がおられました。環境省は後に「北極というのは北極圏のことであり、北極圏にはシベリアも含む」という意味の無いいいわけをしていましたが、テレビでは北極海の氷が融けてシロクマが右往左往している映像が出ていました。
もちろん、アルキメデスの原理があるのですから、海に浮かんだ氷が融けても海水面は上がりません。もし北極の氷のことを社会科で教えていたら、理科と社会科で異なることを教えていたことになり、大きな問題です。
「紙のリサイクルをすると森林を守ることができる」とか「森はCO2を吸収する」でも理科と社会で違うことを教えていました。理科では光合成の原理を教えるので、森はCO2を吸収しませんが、社会では大人の間違いをそのまま子供に教えていたと言うことです。
エネルギー問題ついて国民の選択が大切なのに、教科書で事実と異なることをこれほど長い間教え続けていると言うことに対し、教科書を執筆したり審査したりする先生、それを使って教える先生は「国が正しいのだから」というのを捨てて、新しい憲法の下、教育の自主性を発揮してもらいたいと思います。
(平成24年4月13日(金))
--------ここから音声内容--------
えー、かなり昔のことですけども、先生という職業は聖職であるか? つまり尊い職業であるか?…ってのは色々議論されたことがあります。ま、その頃日教組というのが登場してですね、先生は労働者である、と…まぁいうことでですね、ま、色んな権利の…権利闘争が行われました。
ま、これはこれでですね、ある社会的な意義があったものと思われますが、えー実はですね、先生はやっぱり聖職なわけですね。それどうしてかって言いますと、ま、裁判官が、ま、死刑にできる…人を殺すことができる、えー医者が、足を切断することができる。えー、これと同じようにですね、先生という職業は、他人の心…それも子供の心を左右する仕事ですね。
えー、私も教育に携わっていて、えー、子供がですね、非常に大きく先生によって、その人生が決まったり性格が決まったり…性格が決まるというとちょっとおおげさなんですが、えー考え方が決まったりすることを、まぁ、目で見ております。ま、そういう点で先生は尊敬され…誠実な存在でなければならないわけであります。
えー、したがってこういった職業はですね、やはり聖職と呼ぶにふさわしいと思います。ま、こういった職業はですね、まあテレビでこう言ってるからとかですね、みんなが言ってるから、っていうことだけではですね、その発言は不十分でありまして、やはり自分で本当に納得して子供に教える、と…まぁいうことが必要なわけです。ま、その意味では、まぁ簡単言えば「真面目さ」が必要なわけですね。
例えば今度の原発のことでも、ま、一年に胸のレントゲンを400回やってるような条件を子供にしてですね、それでも大丈夫ですよとか、ま、国が言ってるから、とか言ったのは、まぁ私から言わせれば教育者ではない、と、まあいうふうに思います。えー、原発事故が起こる前は、えー、そのー、放射線は怖いんだよと教えてた先生が、ま、突然ですね、えー、怖くないんだよって言うことは、ま、子供の心にやはり間違った印象を与えるんではないか、と、まぁいうふうに思うわけですね。
えー、先生はあくまでも子供のことを考えるってことが第一で、ま、政治的なこと、お金のことなどよりかですね、やはり子供の健康・子供の成長をですね、純粋に考えてもらいたい、と。あるいは自分の身を犠牲にしてもですね、ま、子供の健康とか、子供の知恵の発達というものをですね…に、重きを置くというのがまさに先生ではないかと、私はまあ思うわけですね。
ま、そういう目で私が教科書というものを見てみると、私の分野のエネルギーのことではですね、大変に、えー、間違ったことを教えているというふうに思いますね。それは、石油・石炭が近いうちになくなる、と。えー、(そ)して、それ…だけども石油・石炭を焚くとCO2が出る、と。温暖化する、と。そうすっと温暖化すると南極の氷が溶けてツバルが沈む、と。だから節約をするとか、ま、原発とか自然エネルギーを盛んにやんなきゃいけない。ま、大体元々節電が大切…あの、節約ってのが大切なんだから、と。ま、いうようなですね、ま、筋道でできあがっております。
ま、しかしですね、えー、アメリカがなぜ脱石油をしてないのか、中国もしてないのか。えー、CO2の削減をしてるのは日本だけである、とかですね、IPCCの正式報告書には「温暖化すると南極の氷が増える」と書いてあるとか、えー、ツバルの気象庁のデータでは、ツバルは独立してから海水面は9cm下がっているとかですね、それからアメリカ人一人あたりの電力消費量は日本人の2倍であって、ま、電気代が1/2だ、と。だからアメリカ人の…は、なぜ節電してないのか、日本がなぜ節電しなければいけないのか。えー、それから地球温暖化だとか石油の寿命っていうのは科学的なことであって、ま、節約は個人生活の道徳で、それとは違うことなんだ、と…いうようなですね、本来子供に教えなきゃならないことについて、ほとんど触れておりません。ほとんどっていうか、ま、全然触れておりません。
えー、つまりですね、教科書は文部省…文部…ぅー、文部というものはですね、政府の中にありますが、政府とは一応独立してなければいけないっていうことは、もう常に言われてることです。しかし、現在の教科書は、「お上の考えてる通りに君たちも従いなさい」と…まぁいうことですから、ま、ほとんどこの…戦争の前の状態に、ま、まったく同じである、と…まぁいうことなんですね。
えー、私は一時ですね、リサイクルの副読本というのを作った時に、えー、私はリサイクルとかそういうことほとんど書きませんでした。というのはですね、まあ物を大切にするとか、それから資源に関する基礎的なこととか、人間生活と資源の消費ということはですね、子供にとってとても大切なことですが、やってもないリサイクルをですね、やってることになってるから説明する、と…まぁいうようなことはですね、ま、まずいことである、と…まぁいうふうに、ま、思うわけですね。
ま、そういうことでですね、私たちは子供たちに「空気的事実」、つまり利権だとかそういったことで作られた政策上のこととかですね、ま、そういうことで作られた…天下りで作るとか…そういうことで作られた「空気的事実」をですね、そのまま伝えてるのではないか。またですね、えー、もったいないとか、節約ということが大切であっても、それが世界的に日本はどういうところにあるのか。もしくは、それも石油の枯渇だとか、えー、それから温暖化ってのはまったく別のこと、科学的なことなのに、それを絡ませて議論をする、と。ま、そういうですね、えー、非論理的なことを子供時代に一生懸命教えるってことはですね、えー、きわめて、えー問題であります。
えー、まぁ、結果的には節電が良いことだと言って東電を助けるということになるわけですね。まぁそういうことをするということは良いのかどうか。もう一回教育関係者が、えー、振り返ってもらいたいと思うんですね。まぁ、あの、温暖化で私がずいぶん書いてるんですが、実はその…理科の時間にアルキメデスを勉強する、社会の時間に北極の氷が溶けて海水面が上がると教わるってことはですね、まったく逆のことを同じ学校で習うということになります。
えー、これはですね、えー、実は、そのー、環境問題としては全体的にそういうものは存在しますね。えー、機械工学科の学生がですね、「先生、ほんとに勉強していいんでしょうか」と私に聞いたんです。それは当然のことですね。えー、機械工学は、ま、いわば自動車の作り方みたいなものを学ぶわけですね。ま、力学だとか、えー、材料っていう面を学ぶわけでありますが。一方ですね、えーっと自動車はできるだけ減らさなきゃいけないとかですね、えー、まぁ一時はノーカーデーっていうのがあったりしまして、自動車は悪である、というようなことをですね、相当言ってるわけですね。
今でもまあ、地球温温暖化なり、えー、それをまた更にえーっと、エコカーという環境に優しい自動車というのは存在するんだという、もう一個ひねくれたわけですね。えー、私は、あの、自動車が環境を悪くするとはちっとも思っておりません。えー、むしろ我々の環境を総合的に考えた時は、やっぱり自動車っていうのは環境を良くする、と…まぁ考えられますね。
えー、まぁそう言った、あの、非常に浅いというか、まぁテレビレベルと言ったら、テレビはそれほど変ではないんですが、まぁ、なんていうんでしょうかね。えー、現在のまぁ、非常に考えの浅い評論家とでも言ってたらいいんでしょうか。そういったことで教育が行われるというのは非常にまずいと思いますね。
ま、そういうことのもう一つに、「紙のリサイクルすると森林が守れる」とかですね、もっと極端には「森はCO2(を)吸収する」と…まぁいうように、まぁ、光合成もしくはセルロースの分解反応というものと、真っ向から違うようなことを、ま、子供に教える、と…まぁいうことになります。
ま、そういう結果ですね、えー、日本のエネルギーってのは今後も非常に国民がよく考えて、えー、やっていかなきゃなんないことですね。国の…日本という国の発展、それから世界の国との競争、それから環境問題・資源問題ってのは総合的に考える力がないと、ま、日本人がエネルギーの適切な選択をしていくってことはまず無理であります。
しかし、あー、現在ですね、せっかく憲法が、あの、教育の自由をある程度保障してるにも関わらず、あのー憲法で守っても、学校の先生方がですね、それを守る気力を失っているように感じられます。これはあのー小学校・中学校の先生ではなくてですね、実は大学の先生、ほとんど制約を受けていない…例えば制約ってのはですね、何か変なことを言うと給料を減らされるとか、えー、なんかそういうことの可能性の少ない大学の先生すらですね、エネルギーがなくなるとか、ま、CO2で温暖化するとかですね、リサイクルは資源の節約になるってなことをですね、えー、ツバルとか、南極の氷が温暖化で溶けるといったですね、直接的に科学的に間違ってることをベースにして、ま、学生に教えたり、また学校の施策の一部にしたり、まあする、と。
これはですね、もしも日本社会において、大学が知の集積所であるならばですね、非常にこの…具合の悪いことである、と…まぁいうふうに思われます。ま、そういう点で、えー、文部科学省もダメかもしれませんが、少なくとも大学の学長レベル、教授レベルから始めてですね、やはり、えー日本の学問を本当に学問にしなければいけない、と…まぁいうことをですね、ここではっきりと認識する必要があるんではないか、と…私は、まぁそういうふうに思うわけです。