軽い話題:「素直に納得できること」の危険性・・・親が子供にできる教育 | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

軽い話題:「素直に納得できること」の危険性・・・親が子供にできる教育


科学、それも基礎科学を長くやっていると、自分の判断力や自分が正しいと思っていることがいかにいい加減なものか、たたき込まれます。そんなことは当たり前と言えば当たり前で、科学の研究は「今、正しいと考えられていることを覆す」のが主たる仕事ですから、自分が判断したり正しいと思ったことが間違っている方がむしろ研究の意味があるので、良いのです。



でも、このようなことは科学ばかりではなく、日常的な生活の中にも多く見られます。その一つが家庭の教育です。「家庭の教育が子供の人格に影響を及ぼす」と言うことはかなり頻繁に言われていて、多くの人がそれを信じています。



特に小さい子供を育てているお母さんは、一所懸命、子供を立派にしようとして怒りすぎたり、褒めすぎたりして失敗し、悔やむことが多いようです。確かに「親の教育が子供に大きな影響を与える」というのはわかりやすい話ですが、最近の研究ではどうもそうでもないようなのです。



犯罪などの社会的な問題を起こした人や、反対に社会的に尊敬されるようになった人の小さい頃の家庭教育との関係を調べた研究を見ると、最近の研究になるに従って、子供の正確に及ぼす親の教育の影響がかなり小さいと指摘されています。その子供の人格を決めるのは、一にも二にも遺伝的影響が強く、それも小さいときばかりではなく、その人の全人生に大きな影響を与えるようです。



どうやら、親の責任は「良い環境を作ること」、「何か習慣として身につくことをさせること」ぐらいしかなく、「良い人柄にする」などの人格に影響のあることは、親の教育と言うより遺伝的素質や、その子供を取り巻く全体の環境によるもののようです。



つまり小さい頃、よく本を読んであげたとか、スポーツする習慣をつけさせたというような具体的なことは身につくのですが、性格自体はなかなか家庭環境や学校の教育では変えられないということです。



「子供の性質は親の責任」というような誤解が蔓延するのは、それがわかりやすい話であることと、教育関係者にとっては「教育は意味がある」と言うことはとても聞きやすいことであり、その方向の話を多くの人が同意しやすいと言うことのようです。教育関係者がどのぐらい「損得勘定」を旨に持っているかは別にして、自分の職業の影響を大きく見積もりたいというのは自然の勢いです。

つまりここでも「空気的事実」がいつの間にか常識になっている傾向があります。



また、「遺伝的気質が多くの正確を支配する」という結論はあまりにも夢がなく、がっかりしてしまいます。つまり「教育で改善される」というのは多くの人の希望であり、「遺伝だけ」とすると夢も希望もなくなると言うことでも空気的事実が形成されやすいのでしょう。



最近の研究によると、遺伝的影響は歳を取るとともにむしろ強くなっているという報告もあります。「考えやすい方」は「小さい頃は遺伝的気質が強く影響し、経験を積むとともに大脳の影響が増え、遺伝的影響は小さくなる」と考えがちですが、そうではない、反対だ。むしろ80歳ぐらいになってもまだ遺伝的影響が増えているというのです。



一度、そういう結論が得られると、「その通りだ。遺伝子の活動は、遺伝子にどのように指令があると言うだけではなく、その遺伝的影響が出るためにはスイッチが入らなければならない。だから歳を取ってスイッチが入るものが多ければ、不思議では無い」などという解説をつけられると、今度はそっちが本当になってしまいます。



人間は直感的に「これだ!」と思うことがありますが、私のような科学者で長い間自分の直感が間違っていて痛い目に遭っている人から見ると、人間の直感ほど当てにならないものは無いと思ってもいます。


(平成24年4月8日(日))




--------ここから音声内容--------




知識というのは面白いもんですね。えー、色々な本を読んでますとですね、今まで自分が長い人生で、えー、「こうだ」と思ってきたことが「あ、そうか、違うんだなぁ」と思うことがですね、ずいぶん最近でもあります。えー、私はあの、基礎的な科学を長くやってきましたので、えー自分の判断力とかですね、自分が正しいと思ってることがいかにいい加減かってことがよくわかってるんですけども、まぁ科学はですね、今正しいと考えられてることを覆すわけですから、ま、当然と言えば当然なんですが、それでも「なるほどねぇ」と思うことがあります。





ま、最近私がつくづく思ってるのはですね、えー家庭の教育が子供の人格に大きな影響を及ぼす、と…まぁいうことが、もう多く言われておりまして、私もそういうふうに信じておりましたし、あー、みなさんそうですね。えー特に、まあ小さいお子さんを育てておられるお母さんがですね、まぁお子さんを立派にしようと一生懸命になり、怒りすぎたりして「失敗したなぁ」と、えー悔やんだり悩んだりしてるお母さんが多いわけですが、えー、どうもそうでもないような感じがしますね。





えー、犯罪など社会的な問題を起こしたり、えー、社会的に尊敬されるようになった人の小さい頃の家庭教育との関係を調べた研究を見ますとですね、どうもあんまり大きくないようで、えー、人格というものを決めるに、やっぱり一にも二にも遺伝的傾向で、それも、あの、小さい時ばっかりにそれが出るんじゃなくて、年取っても出る、と…まぁそんな感じですね。





えー、どうやらですね、親の責任ってのはそういう意味では、「良い環境を作る」とか、「何か習慣をつける」ということは意味があるようですが、「良い人柄にする」っていうのはどうもですね、えー、全体の環境は影響ある、と。友達、学校、住んでるところ、ま、そういう全体の環境は影響あるんですけど、親が具体的にどういう教育をしたっていうこととはちょっと違う感じがします。





えー、例えば、あー、よく本を読んであげるとか、スポーツする習慣をつけるっていう具体的なことは、もちろんあの、家庭教育で大きな影響があるんですけども、性格自体はですね、「あー、子供があんな性格になっちゃった。あれは自分の責任だ」っていうことはないようですね、どうも。





しかし、「子供の性格、親の責任」っていうのは、どうもそういうのはですね、わかりやすいし、それから教育関係者が、まぁそういう本を多く書くわけですが、えー、教育が意味があるということは、教育関係者にとってはとても望ましいことで、同意しやすいですね。それからまぁ、損得勘定を計算してるわけじゃありませんが、ま、それでもですね、やっぱり自分の職業のことですから、やっぱりそれを大きく見積もりやすいということはあるわけですね。





それでどうも、えー、「子供の性格は親の教育が関係がある。大きな影響がある」っていうような「空気的事実」がですね、常識となってる可能性が強いですね。えー、遺伝的気質っつうのは、非常にあの…大きな影響を及ぼすようですけども、これはちょっと夢もないし…ですね、えー、改善できないっていうことで、ま、夢も希望もなくなる。そういう点でも「空気的事実」が形成されやすいんだと思います。





えー、遺伝的影響とその人の性格の関係の研究を見ますとですね、むしろ年を取るごとに強くなってるような、反対の傾向もあります。つまり、えーと子供が小さいころは遺伝的気質が強く影響するけど、大人っていうのは経験を積むからだんだん性格も変わってくる、というふうに思いがちなんですが、そうでも今度はないようですね。むしろ、80才ぐらいになっても遺伝的影響が増えてくるという研究もあります。





ま、こういう難しいことは、これはほんと、あの我々の科学でもそうなんですが、新しい事実が見つかると、その事実に対してちゃんとした理屈が通るんですね。これ私よく「屁理屈、屁理屈」って言ってたんですけども。つまり、新しい事実が見つかる前に理屈があるんじゃなくて、事実が見つかったら理屈が後からついてくるわけですね。





例えば今度の場合「その通りだよ」と。「遺伝子の活動ってのは、遺伝子にどういうふうに書いてあるかっていうことじゃなくて、その遺伝子のスイッチが入らないとダメなんだ」と。「だから例えば60才でスイッチが入る、70才でスイッチ入るっていうスイッチが多くなるんであれば、別にあの、年取ってから遺伝の影響は強くなっても不思議じゃない」なーんていう解説がつけられてですね、「あれっ?」っていうふうに思ってしまいますね。





ま、いずれにしても、えー人間は直感的に「これだ!!」と思うことがあるんですが、えー、私のような科学者はですね、長い間自分の直感が間違っていて痛い目に遭ってるわけですんで、どうもそうじゃないと思います。ま、最近のどうも、あの…空気っていうのはですね、えー、「空気的事実」っていうのは、えー、事実とは違うんだけど、人間が直感的に「これだ!」と思いそうなものを、「わざと」か、それとも「偶然に」か、なんか見つけ出してきて、えー、それを言うのはうまい人が…評論家とかなんか、テレビのなんか重要な人になるんでしょうかね。えー、つまり、事実かどうかではなくて、みんなが直感的に「こうだ」と思いがちなものを採用していくという、そんな感じも致します。