エネルギーはどうしたらよいの?(2) 原発再開の時期
ものごとには「原理原則」と「タイミング」があります。原理原則もとても大切ですが、あまり原理原則だけを強調していると、かえって原理原則から離れてしまうこともあります。たとえば、日本のエネルギー、電気をどうするの?という時に、何種類かの考える基準があります。
1) 石油や石炭などは究極的にどのぐらいあるの?(日本型思考)
2) 安く買える石油や石炭はいつまであるの?(アメリカ型思考)
3) 実際に自分の国が買うことができるのはいつまで?(中国型)
日本人は超まじめですから(洗脳されているからといっても良いですが)、「石油があと500年でなくなるのだったら、世界に先駆けて我慢しよう」ということになり、「石油があるうちなら使って良いんじゃない?」などと言えばたちまちバッシングです。
大型車に乗ったり、海外旅行に行ったり(航空機で燃料の石油をたっぷり使う。ヨーロッパ往復なら1回で一人あたりレジ袋300年分の燃料)していても、それを棚に上げて「節約、節電!、レジ袋追放」と叫ぶとよい子になるという日本社会は困ったものです。
「500年でなくなるなら400年ぐらい経ったら節約すれば良いし、それまでには放射線の出ない核融合ぐらいはできるだろう」とアメリカはまず考えます。事実、アメリカは自動車用輸送燃料にしても、原発にしても、また貨物用鉄道にしても、「脱石油」という政策をとっていません。
アメリカぐらいの大きな国になりますと、石油社会(正しく言うと「還元炭素系エネルギー社会」)を脱石油するには50年はかかりますし、それでアメリカはだめになるでしょう。今でも世界の自動車用ガソリンの53%をアメリカ一カ国で使っているのですから、これを変えていくのは大変です。
でも、エネルギーについてはアメリカは現実路線です。「少なくともあと500年ぐらいはあるのだから、「石油はやがて無くなる」などという概念的なことではなく、当面は石油を使っても大丈夫」という考え方なのです。
中国はさらに現実的です。発展途上にあるので、少しでも発展するためには「石油の寿命」などと言っておられません。でも、これは日本でも同じで、不景気ですし、年金は不安定、国家は赤字経営ですから、決して余裕はありません。その点では発展途上で余裕のない中国と、発展はしたけれど行き詰まっている日本はともに余裕という点では同じか、それとも日本の方が深刻ではないかと思います。
また、資源学の鉄則に「パンがたっぷりあれば子供たちにゆっくり食べさせても良いが、パンが残り少なくなったら子供たちに争って取れと言わなければならない」というものがあります。競争相手のいるときには他人の子供を助けて、自分の子供に犠牲(餓死)を強いるというのは道徳的でも倫理的でもないという考えです(今の日本人。NHKアナウンサーが人の良さそうな顔で呼びかけるのも同じ内容)。
その点、中国が石油系燃料の節約をしていないのは、「石油系エネルギーがまだあるから」、「石油系エネルギーがもう無いから」のどっちをとっても同じ政策になるからだと思います。その点では日本もアメリカも、そして中国も同じなのですから、「石油が枯渇するから石油を節約する」という考え方がどこから出てくるのか、まともな資源論からは想像もできません。
石油系燃料はやがて無くなるかも知れません。短くて500年、長くて1000年、資源学から言えば1万年というところです。そのときに、タイミングとしていつから石油を節約し始めるかと言うことで、「石油は1万年後になくなる、だから明日から節約」というのはあまりに原理原則過ぎるように思います。
ところで現在の日本では「ためにする」ということが多く行われます。「本当は**したいのだけれど、それを直接言わないで他のことを言う」という方法です。エネルギーや電力問題がややこしくなるのは、たとえば「本当は石油を節約する必要は無いけれど、省エネ技術を進めれば日本の製品の国際競争力を高めることができる」とか「人間本来、節約が大切だが、それを言っても日本人は言うことを聞かないから、石油が無いと脅かした方が良い」というようなたぐいです。
これを「大人のやり方」と言うことがありますが、私は全くそうは思いません。民主主義というのは多くの人が合意することが必要ですから、「あうんの呼吸」とか「ためにする議論」をできるだけ後退させることが必要だと思うからです。
このようにエネルギーというものをしっかり考えると、「原発再開など関係が無い」ということがわかると思います。あまりに誇大妄想、原理原則だけを考えてタイミングを失っていては大きな損失をかぶります。世界の状況をしっかりと見極めてこそ「本当の大人」としての判断が可能になると思います。
(平成24年4月8日(日))
--------ここから音声内容--------
日本のエネルギー問題っていうのは、非常にあの、我々の子供たちのためにも大切なことでですね、うっかりした方法を取るっていうわけにいかないんでありますが、えー、これはですね、えーと原発再開の時期とも関連して、非常に重要なわけですね。えー、しかしこのことについてですね、少し日本人の考えはあまりにも原理原則に基づきすぎてるように思います。えー、あまりにも原理原則に基づくとですね、やっぱりその、ちょっと離れてしまうってことありますね。えー、これについてちょっとここで検討してみたいと思いますが。
えー、「石油や石炭などは結局のところどのくらいあるの? ないから節約しよう」っていう日本型思考ですね。アメリカはまぁ「安く買える石油・石炭はいつまであるの?」っていうようなそんな感じですね。それから中国はもう少し現実的で、「実際に自分が石油買えるの?」ってこんな感じなんですね。
えー、つまり日本人ってのは超まじめですからね。これはまあ洗脳されていると言ってもいいんですけれど、「石油があと500年でなくなるんだったらば、世界に先駆けて我慢しよう」という感じなんですね。それで、えー、例えば、あー、「まあ別に石油があるんだから使っていいんじゃないの?」なんて言うとですね、もうたちまちバッシング受けちゃうんですね。だからこれはですね、ちょっとこう…感情的すぎるかなぁっていうふうに思うんですね。
それからもう一つ、そういうバッシングをする人のですね、自己矛盾っていうのは、僕はやっぱりどうしても納得できないんですよ。例えばその人大型車に乗ってたりですね、ま、軽自動車に乗らなきゃいけませんね、絶対に。それから海外旅行に行きますとね、えー、飛行機代で使う…往復…一往復しますとね、だいたいレジ袋300年分なんですよ。ですからまあレジ袋削減してもですね、一回ヨーロッパ旅行行っちゃったら終わりなわけですけどね。
ま、もちろんレジ袋削減しても、かわりにビニール袋が使われて、まあ石油の消費量かえって4,2倍になっちゃうわけですが、まあそれを別にしてもですね、ま、そういったこと全部棚に上げた人が「節電、節電」とか 「節約」とか叫ぶと良い子になるっていうのはちょっとどうかなと思います。そういうことではやっぱりエネルギー問題のように、長期的なことは考えられないんじゃないでしょうかね。
えー、「500年でもし石油がなくなるなら、400年ぐらいたってから節約すればいいし、ま、そのうちには放射線の出ない核融合ぐらいはできるだろう」と、まあアメリカでは考えます。えー、実際アメリカはですね、えー、脱石油という政策を取っておりません。えー、アメリカぐらいの大きな国になりますとですね、えー脱石油するったって50年ぐらいかかるわけですね。なにしろ(世界の)自動車ガソリンの53%を使って、道路も全部自動車用にできてます。鉄道は発達してませんしね。それから家と家は離れておりますし、北の方は寒いし。もうこの還元炭素系エネルギーがなくなったら、もうアメリカは大変ですね。しかし、それを悠々とやっているわけですね。
えー、エネルギーに関するアメリカの路線は、まあ現実的で「500年ぐらいあるんだから、まあ石油はやがてなくなるっていう、あんまり観念的なことを言うんじゃなくて、当面は石油使っても大丈夫でしょう」というのが、アメリカですね。これはまあ妥当なような気がします、私には。中国は、まあさらに現実的です。「発展途上にあるので、少しでも発展するためには石油の寿命なんて言ってられない」っていう、まあ現実的な路線ですね。
だけどこれねえ、日本でも同じじゃないかと思うんですよ。日本は不景気でしょ? 年金も不安定、国家は赤字経営ですから、余裕があるとは思えませんね。ま、中国は発展途上で余裕がない、日本は発展したけど行き詰ってる、ということで、まあある意味では日本の方が深刻かもしれません。
その意味ではですね、えー、資源学にはですね「たっぷりパンがあれば、子供たちにゆっくり食べさせても良いけども、パンが残り少なくなったら、子供たちに争って取れ」と、まあこういうのがありますね。えー、競争社会にいる時には、自分の子供が餓死するというような犠牲を強いるのは道徳的にも倫理的ではないという考え方ですね。えー、パンが少ない。自分の子供にですね、えー「我慢しなさい、あなたは餓死しなさい」というのはですね、ちょっとこれは道徳的ではないと考えられています。
今日本の大人が日本の子供にとっている政策はこれなんですね。「将来石油がなくなるから、石油は中国にあげなさい」 えー、「日本は我慢して貧乏になりなさい」っていうことですけども、これはほんとに道徳的かっていうのはですね、ちょっと問題なんですね。えー、まー、石油…中国が石油系の燃料を節約してないのはですね、発展優先してんのは、石油系エネルギーがうんとあるからと思ってるのか、石油エネルギーがもうないからと思ってるのかわからないんですよ。同じ政策になります。つまり石油がうんとあればどんどん石油を使っていいし、石油がもうないんだったら先に使わなきゃいけませんから、だから同じことになるんですね。
そうすっとこういうふうに考えますとね、日本もアメリカも中国もほぼ同じで、えー、石油を…えー、枯渇するから、石油を節約するっていう考え方はどこから出てくるのか? ま、私のように、ま、資源論から言えばですね、とても想像ができないですね。えー、石油系エネルギーがどのぐらいでなくなるか? ってことですが、だから短くて500年ぐらいでしょうね。長くて1000年。ま、資源学から言えば10000年と言ってもいいんですが。ま、そういう時にタイミングとしていつから日本が石油を節約し始めるのか、日本だけが石油を節約し始めていいのか、石油はなくなるから…石油は10000年後になくなるから、だから明日から節約っていうのはですね、ちょっとどうでしょうかね。
えー10000年じゃないと言うんであれば、またこれはこれで議論しなきゃいけません。ところがですね、どうも違うんですよ。日本ではですね「ためにする」議論があるんですよ。ほんとはなんとかしたいんだけど、それを直接言うとバッシングを受けるので他の事を言うっていうやつですね。例えば、「本当は石油を節約する必要はないけれども、省エネ技術を進めなければ日本はダメなんでそうすると言ってる」とかですね、「人間本来節約が大切だと私は思ってるんだけども、日本人は言うことをきかないから、石油がないと脅した方がいい」ということではないかと思いますけども。
こういうのを大人のやり方というんですよ。あのーようするに、ほんとのことを直接言うのは子供である、と。しかし私はそう思いませんね。民主主義っていうのは多くの人が合意をすることですから、ま、「あうんの呼吸」とかですね、「ためにする議論」っていうのは、上層部の一部の人はいいですよ? だけども、えー多くの人たちでは、やっぱり、やっぱりダメだと思うんですね。ですからこれは、まあ、あの、おそらくですね、んーと、日本はもうどうせ民主主義じゃないから、と、まあいうふうに考えてる人たちの、まあ、考えのように思うんですけども、えー、どうでしょうか。