追補・・・「空気を事実とする」+「利権を事実とする」 | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

追補・・・「空気を事実とする」+「利権を事実とする」



10年ほど前から沖縄で「藻類の急速培養」の研究をしていて、その関係で沖縄によく行っていました。ある時、機会があって沖縄の最北端に行き、そこでのんびりした時間を過ごした帰り道、私たちの車の前を有名なヤンバルクイナが横切ったのです。



私はびっくりして初めて沖縄の北の森に来たのに、そこでヤンバルクイナに出会うのはとても幸運だと思ったのですが、その車に乗っていた沖縄の方が「本当はヤンバルクイナは多くいるらしいのですが、そう言うと研究費が来ないので、希少動物になっているという話もある」と言われたのです。



この話が本当かどうかわかりません。むしろ問題なのはその車に乗っていた人が「そう言うこともあるだろう」と思ったことです。これは現在の学者が「研究費のために事実と別のことを言う可能性が高い」と思っているからです。恐ろしい!!


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名古屋でCOP10という生物多様化国際会議があった時です。私は現在(新生代)は生物種が多すぎて問題があるのではないかと思っていましたが、世間では「環境破壊によって生物多様性が失われる」ということだったので、名大の生物の先生に「生物種が多すぎるのに、なぜ生物多様性が問題になるのですか?」とお聞きしたら、「もちろん、生物界としては問題はありません。ただ、人間、つまり研究者にとっては、今まで研究していた生物が絶滅すると困るということだけです。絶滅した生物の研究となると研究費が出ませんから」と言われた。


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松代群発地震が起きた後、日本では「地震予知は大切である」と言うことになり、東海地震が来るから静岡を中心として観測網を充実させ(税金=研究費)、民間では避難訓練や日常の備えをしてきたのです。



ところが、論理的にもわかることですが、「地震予知をこれから始める」というのに「東海地震が先にくる」ということがわかるはずもありません。地震予知というのは不安定な岩盤がいつ偶然に崩壊するかということですから、1970年代の学問で原理的にもわかるはずもないのです。



現実は阪神淡路、新潟、東北と来たわけですが、順序が変わったのは「東海地震が来ることが学問的にわかっていたわけではなく、東大地震研がお金をもらったから東海地震が先に起こることになった」と言うことです。


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このような状態は今回の福島原発でも顕著でした。原発は「多重防御、固有安全性を持っている、地震も津波も予想は完璧、一般人被爆1年1ミリ、クリアランスレベル1年20マイクロを守る、遠くに逃げろ、メルトダウンしていない、福島の風向きを発表するな、被爆しても安全、子供は1年20ミリでよい、給食は1年17ミリ(セシウムだけで5ミリ)でよい・・・」など学問的にはむちゃくちゃなことを言い続けました。


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でも、こんな状態が続くと、国民はなぜ学者に「学問の自由」という特権を与えた(憲法で与えた)のかと残念に思うでしょうし、学者は学問の自由を与えてくれた恩返しに、自分の利得ではなく、学問の結果をそのまま社会に発信することが義務でもあると思います。もし、学者の言うことが信用できず、国民が正しい判断ができなくなれば、それは戦前に日本が大失敗したように、また日本は打撃を受けると思います。



先生という職は貧乏でもよいし、お金がなくて研究ができないことを嘆くぐらいの方が頭を使う時間があってよいのです。日本の研究者が「武士道」を思い起こし、「お金より自分の学問の真実」をあくまでも大切にしてほしいと希望します。

(平成24年3月30日)



--------ここから音声内容--------




えー、前にですね…今、一つ前にですね、えー、空気を事実にする、と。みんなが思ってることが事実であり、ま、科学的事実は二の次だと…まぁいうふうにお話しましたが、ちょっと追加しましてですね、利権を事実とする、と。ま、これもそうですね。えー、この例を少し話してみたいと思います。えー、少ししつこいようですけども、しかしここをはっきりしないとですね、えー、日本再生っていうのはできないと思いますが。



ま、10年ほど前からですね、私、沖縄で海藻類ですね、それの急速培養っていう研究を、まぁ、していたわけですが、ま、その関係で沖縄によく行っておりました。ある時にそういう機会の中でですね、沖縄の最北端に行きまして、ま、そこでのんびりとした時間を過ごした帰り道ですね、えー、車の前を有名な、この…ヤンバルクイナってのが横切ってですね、いやぁ、みんなで「運がいいな」と。





初めて、えー、沖縄の北の森に来たので、ヤンバルクイナに出会ってほんとに幸運だった、と…まぁいう話をしたらですね、その車に乗ってた沖縄の方が「いや、実はヤンバルクイナっていうのは多くいるらしいんだけど、そう言うと研究費が来ないので、希少動物になっているという話もありますよ」と、こう言われたんですね。





えー、この話がほんとかどうかちょっとわからないんですが、私がここで問題としたのですね、そこの車に乗ってた人がですね、「そんなこともあるかなぁ」と思ったっていうことなんですよ、実は。えー、つまり、みんなが「いや、そんなはずないだろう。学者がそんなことを、ウソ言うはずない」と言わずにですね、「どうも、学者が研究費のためには事実と別のことを言う可能性が高い」と思ったわけですね。恐ろしいことですよ。





えー、名古屋でCOP10という生物多様化国際会議があった時ですね、私はちょっと疑問に思ってたんですね。現在…ま、新生代ですね。あの、古生代、中生代、新生代、と…ま、だいたい6000万年前ぐらいから始まった今の新生代ですね。ま、ちょっとこう生物種が多すぎるんですよ。あの、恐竜のいた、あの中生代はですね、だいたいまあ、あー、割合と良かったんですよ。それがどんどん増えてきまして。





で、世間ではですね、環境破壊によって種が絶滅して生物多様性が失われるということだったんですが、私は逆だと思ってたんで、名大(名古屋大学)の生物の先生にですね、お伺いしたんですよ。「こんなに生物種が多すぎるのに、なぜ生物多様性が問題になるんですか」と、まぁ、お聞きしたらですね、「いや、もちろん、生物が絶滅してもね、今の生物が絶滅しても生物界としてはなんの問題もありませんよ」と。




もちろんこの…生物がすごく繁栄してた中生代はもっと種が少なかったわけですからね、全然。その先生、こう付け足しましたね、「ただ、人間にとっては具合が悪いんですよ」と、「研究者にとってはね、今まで研究していた生物が絶滅すると困る」っていうんですよ。絶滅するとね、その生物の研究費っていうのはあんまり出ないらしいんですね。




つまり、生物多様性が困るっつってんのは、自然界が破壊されるんじゃなくて、その生物を研究してた先生の研究費が出ないからだ、と、この生物の先生ははっきり言われましたね。「いや、生物多様性が壊れて生物界がおかしくなるなんてことは、まぁ、研究もないし、別にそうは考えられません」と言いましたね。





三つ目ですね。これはもうすでに話しましたが、松代のですね、群発地震が起きた後ですね、日本では地震予知が大切であるということになって、東海地震が来るから静岡を中心として観測網を充実させて…つまり充実させるってことは、アレですよ、あのー、お金をウンとそこにかけるってことですね。それで民間では、まあ避難訓練とか日常の備えをしてきました。




ところが論理的に考えたらわかることなんですけども、地震予知をこれから始めるという時に、東海地震が先に来るとわかるはずないんですよ。地震予知っていうのはですね、非常に不安定な岩盤がほんとにちょっとした偶然のことで崩壊するわけですから、えー、まだカオス(カオス理論・カオス力学)とかそういうのがよくわかっていない1970年代の学問でですね、えー、東海地震が先に来るってこと原理的にわかるはずないんですね。





ま、結局現実は、阪神淡路、新潟、東北、ま、十勝なんかもあります…と、来たわけなんですけども、こんなに大きく順序が変わったのはですね、東海地震が来ることが学問的にわかっていたわけではなく、東大地震研がカネをもらった、と。その地盤が、あー、東海地震だった、と…まぁ、いうことですからね。ま、これで犠牲になった人はほんと、悔しい思いをしてますよね。もっと他のとこと真面目にやってたらですね、今度の東北大震災の犠牲者も少なかったようですからね。





えー、これはもう、福島原発ももちろんです。これはもう…上げる…上げられないぐらいですね。多重防御してる、固有安全性を持ってる、地震も津波も予測は完璧だから安全だ、えー、それに、一般人は被曝、1年1ミリ。クリアランスレベル1年20マイクロを守るんだ、と。




事故は起こってみると「遠くに逃げろ」、と…これウソですね。「メルトダウンしていない」…これもウソでしたね。「福島の風向きを発表するな」…これ、気象学会ですね。えー、「被曝しても安全だ」と、「子供は1年20ミリでいいよ」と、「給食は1年17ミリでいい」っていうふうにですね、もう…むちゃくちゃなことを言い続けたわけですね。





えー、もう学問なんかどうでもいい、と…いうことが学者の態度だったわけです。しかしですね、えー、我々学者には学問の自由が与えられています。学問の自由っていうのは、学問として話をすれば、えー、それがたとえ社会に反することであれ、政権に反することであれ保護されるということを、日本国憲法で国民から与えられとります。




私はですね、学問の自由という特権を私は得てるのだから、その恩返しとして社会には常に正しいことを発信する…と、まぁ、こういうふうに言ってるわけですが、もしもそうじゃなくて、学者がお金のために言うことを変えて信用がなくなったら、これは国民が正しい判断ができなくなり、日本の衰退につながると思いますね。





えー、まぁ、私はですね、えー、学者の方、もしくは大学の方、あー、研究者の方がですね、学問の自由ということを守るならば…我々学問の自由がほんとに大切なんですよ。どういう研究テーマを選び、どういう研究をし、何を発表するかということに対して制限を受けちゃいけないんですね。





その点ではちょっと私がですね、えー注意していただきたいと思うのは、学者に対するバッシングをですね、人格的にやっては絶対いけないです。これ憲法違反なんですよね。我々は…学者の人がおとなしく…私なんかは割合と頑張れる方ですけども、頑張れない気の優しい学者の方もおられるんですよ。そういう人がですね、えー、自由に研究されるようないい環境を作ってあげないといけないんですね。




ま、学者は貧乏でもいいんですよ。お金がなくて研究ができない…と嘆いてですね、頭を使うっつうのもいいわけですね。私はこの際、えー、日本の研究者がですね、武士道を思い起こして「お金より自分の学問が真実である、学問の真実が大切である」ということをですね、これを、まあ…貫いてほしいと希望したいですね。




それから世間の方、特にマスコミの方なんかも含めまして、えー学者がですね、自分の考えにもとづいて言ったことは、そう簡単にですね…特に人格攻撃なんかはやっぱりやめてもらった方がいいと思いますね。私は、ま、平気です。私が平気なのはですね、性格上ちょっと…「まぁそんなのはどうでもいいよ」っていうタイプなのと、もう一つはやっぱり私、年をとってますからね、大丈夫なんですが、若い人がですね、私ぐらいのバッシングを受けたら、やっぱり活動をしにくくなると思うんですね。




ま、その点では日本社会もですね、えー、学問の自由に対して尊重してもらいたい。これがですね、日本の将来、日本の子供たちのためになるっていうのは、私たちの日本国憲法の信念ですから、ま、そこにもう一回返ってもらいたい、と…まぁこういうふうに思います。