南京事件(2)・・・国民同士の信頼関係を築くために | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。


南京事件(2)・・・国民同士の信頼関係を築くために (3/25)



名古屋の河村市長が「日中友好のために、南京事件のことを明らかにしたい」と発言したことで波紋を呼び、このブログでも取り上げた。このことについて、日中友好協会愛知県連合会が「南京大虐殺が無かったと言うと日中関係がこじれる」ということで河村市長の発言を撤回するように求めている。


中国と信頼関係を築こうと希望している人たちにとってはこの問題はかなり難しい。過去の歴史の中で行われた不確かなことを「悪い方にとった方が信頼関係が築かれる」か、「良い方に考えた方が良い」かという問題である。



河村市長は良い方に考えたら信頼関係が築かれるとお考えであり、連合会は悪い方に決めて謝れば信頼関係は築かれると主張する。



本当は、事実が何らかの方法で解明できれば、それで解決するが、事実がわからないのだから、事実を争っている限りは解決はできない。科学的事実は科学で証明できるが、歴史的事実は明確な証拠が残っていなければ、過去のことなので推定せざるを得ない。だからいつまでも事実は確定しない。



南京事件を解決しようとしている人の多くは「事実を確定しよう」として努力されているが、その全容を勉強すると、諸説紛々、なかなか難しいようだ。



科学が進み、今から100年ほど前の過去を見ることができるようになればはっきりするだろう。つまり、南京事件が起こった時に地上から宇宙へ発せられた光を受け取り反射している星があるので、その反射光を分析して画像を再生することができれば過去を見ることができる。でも現在はこのような技術はない。



私の関心は「事実が確定できないときに、国際的紛争をどのようにして解決したらよいか?」ということだ。日本と中国は隣り合わせの国であり、南京事件が紛争項目であることは明らかである。だから、この問題をどうするかは日本国民として議論しておかなければならない。



解決策はいくつかある。まず、日本と中国の事実認識が違い、最後まで折り合わず、いがみ合うか戦争をするかの道。第二に中国が力(経済的政治的)で日本を屈服させ日本が心にもないにの謝って済ませる(日中友好協会の意見)、第三に中国が日本に歩み寄って南京事件を誇大に宣伝することを止める(河村市長方式)、そして、第四が、私が整理したこのブログで示したいと思う方法である。


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先回、南京事件を戦争としてみると、「兵隊が軍服を着て、戦場で戦う」という旧来の戦争(日本の関ヶ原、ヨーロッパのワーテルローなど)から、市民を巻き込んだ戦闘(総力戦:重慶爆撃、ゲルニカ、ソ連焦土作戦(6000万人に死亡)、東京大空襲、広島長崎への原爆、ベトナム戦役など)に代わる途中の出来事だったことを示した。



中国軍は市民が残っている南京に籠城し、一部は軍服を着ないで銃を持った(便衣兵)。この南京の戦いが「現代戦の最初のもの」としてとらえるか、あるいは「旧来の戦争の延長線上」とするかは、人によって違う。どちらでも解釈できるのは、ちょうど旧来から現代へ代わる途中だからだ。だから、この議論は無意味というのが私の見解である。


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第二の注目点は、「時代に応じた正義」ということである。かつて戦争に勝った方が負けた国民を皆殺ししても良いし、奴隷として連れて帰っても良いと考えられていた。皆殺しの歴史はすこしでも世界史を勉強した人ならいくつでもあげられるだろう。



同じ民族の間でも大量に殺戮されることがあった。中国では前漢の終わりに漢民族の半分が殺害され、後漢の終わりには漢民族は9割がいなくなり、1割しか存在しなくなったとされている。それ以外に、中国の広野で100万人を超える殺戮の歴史は多い。



しかし、皆殺し、奴隷、大量殺戮などを現代の道徳観、倫理観だけで考えるは不適切である。中国共産党が長春を包囲して攻略した長春攻防戦では、林彪率いる共産党が包囲戦、餓死戦をとって33万人が餓死したと伝えられている。



でも、この包囲戦を「残虐だ」と結論することは難しい。当時の中国では33万人が餓死しても共産主義社会を作るのが大切だったかも知れない。文化大革命でも同じである。



歴史は代わり、人類は進歩している。人類が進歩しないと考えると、日本人はどうしても元寇を持ち出さざるを得なくなり、それはあまり生産性のある話ではない。また、私には次のグラフが心に引っかかっている。




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このグラフはちょうど、南京事件が起こった頃、中国の覇権を狙った日本とイギリス、アメリカの投資競争のものである。19世紀の中国はまだイギリスの支配下にあり、イギリスが対華(対中)貿易のトップだったが、日清戦争で日本が主導権を握った。その後、アメリカの西に進みたいという衝動と中国が日本を牽制したいという希望からアメリカの対華貿易が盛んになり、ちょうど南京事件は日本が巻き返しにかかった頃のことだ。



この頃の日本の占領政策というのは、ヨーロッパ型とはかなり異なっていた。ヨーロッパは植民地をできるだけ発展させないで、そこから農業製品などを搾取することを目的としたが、日本は占領地に工業や大学を作り、占領地を発展させることによってその富を得る方式だった。



この写真はアメリカと中国への経済進出競争をしていた頃の日本が建設した工場群である。旧態依然とした中国の社会に日本は近代工業を持ち込んだ。このことが「良いことか悪いことか」というのはまた人によって違うが、事実はそうだった。




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この様な時代背景のもとで南京事件が起こったわけだが、今では歴史の彼方に消え去ったものである。だから真相は不明だ。不明というか、日本と中国の事実認識が統一できない歴史的な過去の事件である。



南京事件の研究を勉強すると、「普通に考えれば1万人程度の殺害があったかも知れないが、30万人は少し大げさではないか」というところだが、中国が1万人を問題にしているのか、30万人を問題にしているのか、対日関係が悪くなるのを承知で虐殺事件として記念館を作り、教育をしているのか、その真意はまだよくわからない。



南京虐殺が無かったと言う結論を言えば日本人が喜び、南京虐殺があったといえば中国人が喜ぶ。だから今の時点で一般人を含めて政治的に事実を明らかにしようとするのはタイミングが悪い。だから、日本としては将来の課題として議論を避けるのが良いが、どうしても中国が忘れられないというなら、日本は中国と疎遠にならざるをえない。日本もそれを覚悟しておく必要がある。



日本とアメリカの間でも、沖縄戦、本土爆撃、原爆などがあり、それを日本が忘れなければ日米の友好は達成されない。過去を強調するか、それとも未来に向くか、どちらかの国が屈服しなければ友好はないというなら、真の友好は実現しないだろう。



河村市長に発言の撤回を迫った日中友好協会は、「中国との貿易でお金が欲しいから、事実はどうでも中国に頭をさげてしまえ」という考え方かも知れないが、それでは国際的な友好関係は築くことができない。この歴史的問題こそ、冷静になって日中の歴史家が一緒になって研究をすることであり、それと国際関係を別にすることこそ解決の道であると考える。私なら「棚上げ」を提案し、拒否されたら中国との友好関係を見直すことが良いと思う。

(平成24年3月25日)


--------ここから音声内容--------



南京事件(2)・・・国民同士の信頼関係を築くために (3/25)



ええと、南京事件のことについてはこれで2回目になります。名古屋の河村市長が、ま、「日中の友好のためには、南京事件が大したことなかったんだということを明らかにしたい」という趣旨の発言をしたことで、波紋を呼びました。えー、日中友好協会愛知県連合会はですね、むしろ「南京大虐殺があったと言う方が良いんだ」と、ま、こういうふうなご意見ですね。えー、真っ向から対立しております。





えー、両方ともですね、中国と信頼関係を築こうと希望してるわけですから、その点では同じで、方法が違うんですね。どういうふうに方法が違うかっていうと「悪い方にとった方が信頼関係が築かれる」というのが日中友好協会で、「良い方に考えた方が良い」って言ってんのが河村市長なんですね。えー、ま、どっちか?ということなんですが。





本当は事実が明らかになれば、それで良いわけですね。だけど事実が明らかにないので、事実を争ってるのが現状ですね。えー科学的な事実っていうのは、科学で証明できるわけです。科学で証明できるものもってして、科学的事実とこう言うわけですが。歴史的な事実っていうのはですね、判らないんですよ、これ。ま、確実な証拠が残ってりゃあ別なんですけども。過去のことなんで推定せざるを得ないんですね。





ですから、まぁ南京虐殺があったという人は、あったという証拠を持ち出してくるし、無かったっていう人は無かったっていうことを持ち出してきますので、こういうふうにこじれた問題は事実が確定しないんですね。で、私が見るところですね、色々勉強もしました。えー、昔から南京事件はもちろん良く知ってはいるんですが、この際もう一回と思って、色々勉強してみましたが、ちょっと時間が掛かりましたが。





そうやって見てみると変なことに気が付きましたね。それは、南京事件というものを解決しようとしてる人の多くはですね、「事実を何とか確定しよう」と思って努力してるんです。これは歴史的にはそれで良いんですが、なかなか全容がハッキリしないんですよ。えー、諸説紛々なんですね。





えー、もしも科学が非常に発達してですね、今から100年ほど前の過去を見ることができるようになればハッキリしますね。つまり南京事件のときに、その光、つまり南京事件の映像がですね、地上から宇宙へ発せられてるわけですから、その光を受け取って、もう一回反射してる星から見れば判るんですね。





えー、例えば大体50光年ぐらい彼方の星に行って、そこで反射して返ってきますから。その微細な、非常に微小な画像をですね、光を分析できれば良いんですけど、今んところ、その技術がまだ無いんですよ。過去はほんとは見ることできるんですね。星の光は、過去の光ですから。100年前の光なんていくらでも、宇宙にウヨウヨしてんですけども、残念ながら特定の、この…細かいところまでは見れないってことなんですね。





そうすっと、これはハッキリしてて、えー、「事実が確定できないときには、国際的紛争をどうするか?」っていうことですね。えーまぁ、日本と中国が隣り合わせの国でありますし、南京事件について、中国がもの凄くこだわってることは確かですから、これは紛争項目であることは確かなんですね。だからこれをですね、日本国民としては議論しとかなければならないと思います。何しろ、隣の国のことですから。





まず解決策をよく整理してみますと、これはまぁ、これは割合簡単ですね。日本と中国の事実関係が違うので、最後まで折り合わない。いがみ合いをするか、戦争をするかって道が一つあります。これはもう過去でもずっとそういうことあったんですね。お互いがワーワーと自分の主張をし、「よし分かった、全然ダメだ。戦争しよう!」つって戦争をする、と。こういう方法が一つですね。





もう一つは、今、中国がやろうとしてる方法ですね。日本がどんなに嫌でも、経済的に圧力を掛けて、経済的、政治的、もしくは軍事的に圧力を掛けて日本を屈服させて、日本が心にも無いのに謝る、と。これで済ませるというのが日中友好協会の意見ですね。これ日中友好協会に悪いんですけど、今日本人の多くが南京虐殺は無かったと思ってます。だからまぁ、形式上謝っても良いけど、それはまぁ架空ですね。中国に製品を売りたいからとかね、中国の経済力が必要だからっていうことですから、これはほんとの意味で友好なんですかね?





第三には、中国の方が今度は日本に歩み寄って、南京事件で30万人殺されたっていう宣伝を止めるという、これがまぁ河村市長の方式ですね。で、私はここで第四の方式をちょっと提案したいかなぁと思ってるわけですね。





第一は戦争への道、両方折り合わない。第二は中国が力で日本をねじ伏せる、日中友好協会の方法。第三が河村市長方式、何とか中国に大虐殺が無かったということを納得してもらう。第四に私の方法、と。ま、こういうことになりますね。





ええと、先回ですね、その一つの準備段階として、南京事件を戦争として見ると、「兵隊が軍服を着て、戦場で戦う」という旧来の戦争ですね。日本の関ヶ原、ヨーロッパのワーテルローなどがそうですが。えー、あまり都市では戦わず、広場に出てですね、「よし、決闘だ!」っていうわけですね。





ま、こういうものからですね、市民を巻き込んだ総力戦、重慶爆撃、ゲルニカ、ソ連の焦土作戦…6000万人死んだと言われてますが、東京大空襲、原爆、ベトナム戦役などはみんなそうなりましたね。





ちょうどその変わるときだったんですよ、だからややこしいんですよ。何しろ便衣兵っていうのも出てくるし、南京っていう都市に篭城するし、えー、もうちょうどですね、「現代戦の最初のもの」だったかもしれませんね。だからこれを「旧来の戦争の延長線上」だから、市民を殺してはいけない、というふうにするか、それでも現代戦だから、だってみんな殺してるじゃないか、と。別に原爆落としたらみんな死ぬこと分かってるじゃないか、と。ベトナム戦争もそうじゃないか、と。ま、そういうような解釈との、ちょうど真ん中なんですよ、これ。





だから、ま、日中両方がそう思ったらいいんですけどね。何が起こったか判んない、と。もしも日本軍が中国人殺したとしても、軍隊だと思って殺したんだろう、と。えーまぁ、それが民間人だったかもしれない、と。判らないね、と。人数も全然判らないね、と。だからまぁ、判らないものはしょうがないよ、と。こう思ってくれれば良いんですが。そこですね、私は実は、その近代戦の最初なのか、旧来の戦場の一番最後なのかと議論しても、あまり意味が無いように思うんですよ。いずれにしても、時代が変わってくんですから。





それからもう一つはですね、「時代に応じた正義」っていうのがあったわけですね。これも同じですね。かつて戦争に勝った方が、負けた国民を皆殺しにしても良いし、奴隷として連れて帰っても良いと考えられてたんですよ。皆殺しの歴史を挙げようと思ったら、私なんかもすぐどんどん挙げられますね。世界史を勉強した人ならもういくつでも大丈夫です。





で、同じ民族間でも大量に殺戮されることありました。これ中国だけを例に取るわけじゃありませんが、中国ですとね、日本ではあまりそういうのはなかったんで、中国を挙げると、前漢の終わりに漢民族の半分が殺されて、後漢の終わりには漢民族の9割がいなくなっちゃって、1割しか生きてなかったということになってるわけですね。





えー、その後もですね、いろんな乱、何とかの乱、何とかの乱ってありますけど、中国の広い野原で100万人を超える殺戮があったのは何回もあるんですね。えー、この皆殺し、奴隷、大量殺戮というのを現在の道徳観とか倫理観で見たら、もうまったくダメですね。





中国共産党が長春を包囲して攻略した長春攻防戦ではですね、林彪(リン・ピョウ)が率いた共産党が包囲して餓死戦をとりました。33万人が餓死したと伝えられていますが、これ「残虐」かどうかわかんないですよ、ええ。だから中国は野蛮だ、とは言えないですね。当時の中国では、33万人が餓死しても共産主義社会を作るのが大切だったかもしれません。文化大革命でも、もの凄い死んだって言われますけど、それが中国で必要だったかもしれませんからね。





ま、歴史は変わってくし、人類は進歩していきます。ま、人類が進歩しないというふうに仮定するとですね、今度は日本人はどうしても元寇(げんこう)を持ち出す…となってきて、あまり生産的な話じゃなくなっちゃうんですね。ま、そういう点で私はですね、この南京事件を話すときは、すぐ次のグラフが思い起こされるんですよ。





これはですね、南京事件がちょうど起こる頃、中国の覇権を狙った日本とかイギリスとかアメリカの投資競争ですね。19世紀の中国はまだイギリスですから、ま、イギリスが一番、対華(対中)貿易のトップだったんですが。日清戦争でちょうど1900年ぐらいを境に日本が主導権を握ります。ところがまぁ、この前ブログに書いたやつ…アメリカどうしても西に行きたいもんですからですね、どんどん西に来るということで。それから、ま、中国は日本を牽制したいもんですから、アメリカの対華貿易が日本を抜いてトップになります。また、その最後に南京事件が起きて、日本が巻き返しになるということですね。





えー、こういったあの、まぁ当時のアメリカ、中国、日本の状況というのが、まぁこの問題には大きく、えー、関わっております。この頃、日本の占領政策っていうのは、ヨーロッパ型とはかなり変わっとります。ヨーロッパはですね、植民地をできるだけ発展させないという方向ですが、日本はですね、植民地を発展させるという方向なんですね。





えー、ここに一枚の写真を出しますけども、これはアメリカと中国の経済進出競争してた頃、日本が中国に建設した工場群ですね。ま、近代社会とは程遠かった当時の中国に、日本の近代工業が入っていくわけです。えー、このことは良いこととか悪いこととか言うんじゃないんですよ。また、少しその、早とちりしてもらっちゃ困るんですが、事実はそうであったということを言っております。





このような背景の中で南京事件が起こったわけですね。しかしもう、歴史の彼方に行ってしまって真相が不明なんですよ。えー、統一できないんです、歴史的事実ですから、ええ。




私はですね、こういうふうに結論したらどうかと思うんですね。普通に考えたら、1万人程度の殺害があったかもしれませんけど、30万人を大げさに考えればあるかもしれない。中国が1万人を問題にしてんだか、30万人を問題にしてんのか、対日関係が悪くなることを承知で、虐殺事件の記念館を造ってんのか、教育作ってんのか、ちょっとその真意がですね、なかなか中国は難しいですね。





日本との貿易をしながら…日本の企業を呼びながら、南京虐殺を宣伝するっていう、まぁ二表面作戦やってますからね。えー、ここで南京虐殺が無かったという結論を言えば日本人が喜ぶ、南京虐殺があったと言えば中国人が喜ぶっていう、まぁそういう事態なんですね。




私はね、ちょっとタイミング悪いと思いますよ。えー、日本としては将来の課題として議論を避けるっていうのが、一番良いですね。だけど、どうしても中国が忘れられないって言うんならですね、日本は中国と疎遠にならざるを得ないですよ。これ、しょうがないですよ。




日本とアメリカの間でも沖縄戦あり、本土爆撃あり、原爆などあってですね、ま、日本人も310万人死んだわけですが。これをもの凄く日本が強調したらですね、日米の友好は達成されません。えー、過去を強調するか、未来を向くか、どちらかの国が屈服できなければ友好は無いと言うんであったら、私は真の友好は実現しないだろうと思いますね。





河村市長に発言の撤回を迫った日中友好協会は、えー、もしかすると「中国との貿易でお金が欲しいから、事実はどうでもいいから、中国に頭を下げてしまえ」という考え方ですが、私はそれでは友好関係は築かれないと思います、屈服ですからね。かつて日本の軍事力に屈服した中国と一緒になっちゃって、ま、これはですね、お互いに恨みを残します。





私はやっぱりこの問題を一回、歴史家に返してですね、国際関係とは別に、学問としてやったらどうだ。えー、これをですね、中国が…あの、納得してくれるのが大切ですね。私は日本としては、もうこの話はけりがつかないから、一つ学者の手に委ねようじゃないかと、ね、それよりか我々はこう、お互いに友好関係でいこうじゃないか、と。だからと言って、過去の事を忘れようとしてるんじゃないですよ、と。ちゃんと歴史家に委ねるから、そこはそこでですね、暫くちょっと待とうじゃないですか。





だから、中国もあんまり激しく南京虐殺記念館なんか造って、どんどん子供たちに教育したら、やっぱりこれ友好関係できませんからね。えー、そうなったら日本も元寇なんてことになりますから、これ止めてですね。もう少し、その…お互いにお互いのことを考えるということで友好を築く、と。こういうことやるのが、中国との間では良いと思いますけど。


(文字起こし by danielle)