「心技体」みなうちそろい職がない
川柳の大会だったと思いますが、「心技体、みなうちそろい職がない」というような句が披露されていました。短いこの句を聞いたとき、私は「ああ、可哀想に。これも1990年に日本が変わったことの犠牲者だ」と感じました。
(ブログ主より補足:兵庫県赤穂市「身近な怒りの川柳コンクール2011」優秀賞作品。気になる方は以下のurlを見て下さい。
http://www.ako-wai2.com/~senryu/nyusho.html
)
戦争に敗れた後、日本は戦後復興、高度成長と「日本全体を大きくすること」によってみんなが豊かになるという基本的な政策をとってきました。そこで生まれたものが、自民党政権、アメリカ依存(軍事・技術・輸出)、年功序列制、日本株式会社と言われた一体規制などでした。
ところが1990年ごろにバブルが崩壊すると、「日本全体を大きくすること」の手段を失い、「日本の富をどのように分配するか」という方向に舵を切ったのです。そこで出てきたのが「赤字国債、環境政策、海外進出、非正規雇用」などでした。なにしろ全体のパイが大きくならないのですから、どうしたら自分だけにそれが来るようにするかということに知恵を巡らすようになったのです。
成長が鈍化したのですから、企業の収益は上がらず、税収が減少したので、それを補うために国債を発行します。もともと国債は戦争などの特別な時にしか発行せず、国の仕事は国会の承認を得た税金の範囲で行われていたのですが、それが基本的に変化したのです。
官僚は国債を出し、それを「利子つき」で国民にかわせます。そうすると手元のお金が増えるので、それで天下り先を作るという手段にでました。国債の原資をもとにした補助金を特定の人たちに配り、そこに天下りするという方式です。
国債自体の償還も同じですが、国債に利子など付くはずも無いのです。国の仕事の94%は赤字ですから税金と同じように「使い捨て」の事業に投資するのですから、そこからお金が戻るような付加価値を持っているわけではありませんし、もしそのような仕事を国が大がかりにするというのは民業圧迫になります。
国債の利子は税金(もしくは借換債ですが、借換債というのは所詮、一時的なものですので、結局は税金です)で支払われます。つまり、国債というのは、お金持ちが国債を買い、利子を含めて償還し、国債と利子の合計を庶民からとるという仕組みなのです。
環境政策も同じで、「ゴミが溢れる(間違い)」、「焼却するとダイオキシンがでる(間違い)」、「CO2で地球が温暖化する(間違い)」などを連発して毎年、3兆円ほどのお金を使うようになりました。本当に環境が悪ければ、それを良くすることは再生産を生みますが、良い環境に資本を投じても発展するはずもないのです。これも「ドブに捨てる」ような活動でした。
非正規社員が誕生すると共に、社長の年俸が3000万円から2億円になり、総中流社会と言われた日本は格差社会へと進みます。「競争によって発展する」というのは個人主義の発達したアメリカなどでは有効ですが、「みんなで努力する」という駅伝型の日本では総中流の方が能率が良かったのです。
さらにグローバリゼーションと言われ、日本企業が海外に工場を造るようになって、戦後、一貫して高かった就職率が落ちてきます。昔から「百姓は命をかけて田畑(でんぱた)を守る」と言われたように、日本のような四面を海に囲まれた社会では、「子孫の雇用の確保」を日本列島内で達成する必要がありました。それも破られたのです。
「心技体、うちそろい職がない」というのはまさに、1)国債、環境などで国際的競争力を失い、2)非正規雇用、海外進出などで格差社会になった、ということで起こった現象と考えられます。
しかし、これも日本国民の選択であり、まず「空気」を作り、それをNHKが蔓延させ、「空気」以外の意見を排除し、「心を合わせることが大切だから空気に従え」という論理であらぬ方向に行ってしまった結果でもあります。
このように1990年を境に日本に「階級制」ができ、富の分配が「日本式、総中流」から「アメリカ式、何でもマネー」に変わったことがやがて「選挙で何を言っても当選してしまえば良い」、「地震がどこに来ようと、東海地震と言えば良い」、「どんなに危険な原発でも安全と言えば良い」という風潮を作り、それが2011年の悲惨な結果を生んだと考えられます。
日本が「頭が良くずるい指導者たちと純朴な国民」という二階級制度で進むか、それともこれまでのように「自らの富を追わない指導部と誠実で善良な国民」で行くか、それは次の選挙で国民が選択するものでしょう。
(平成24年3月22日)
--------ここから音声内容--------
この前あの、川柳の大会だったように思うんですけど、えー、「心技体みなうちそろい職がない」というような句が披露されてました。非常に細かいところで違ってるかもしれません。えー、テレビかなんかでちょっとやってたのを聞いただけでありますが、えー、その時に私はですね、この句を聞いた時、ある意味のショックを受けました。あぁかわいそうに、あぁこれは1990年からの日本の変化の、まぁ犠牲者なんだなぁと思いましたね。
心技体がみなうちそろっていても職がない人は今の日本に多いんですよ。しかし、そんなことは絶対にあっちゃいけないんですね。っちゅうのは、えー、日本国民として日本にいる限りはですね、えー、健康で文化的な生活を営む権利があるというんでしょうか、えー、勤労の義務があるというんでしょうかね。えー、日本国全体ではじゅうぶんに仕事があって、えー、仕事をしながら自分で額に汗をして生活をしていけるというのが、まぁ、いわば国家がすべき最も重要な仕事の一つなわけですね。
えーと、まぁ、戦争に敗れた後、日本は戦後復興し、高度成長を遂げ、これは日本全体を大きくすることで、まぁみんなが豊かになるっていう基本的政策で来ました。その中で生まれてきたのが自民党政権であり、アメリカ依存体質…まぁ軍事はアメリカに任せる、技術もアメリカからもらって育てる、輸出したものはアメリカに買ってもらうというアメリカの依存ですね。
それから企業なんかでは年功序列制、それからまぁ「日本株式会社」と言われたんですが、そういった一体、国全体の規制というもののがあって、それで、まぁ全員一丸となってやってたわけですね。ところが、まぁ、1900年ごろにバブルが崩壊しますと、日本全体を大きくすることという手段を日本は失います。パイを大きくすることを失いまして、日本の富を内部でどのように分配するかという方向に舵を切りますね。
そこで出てきたのが、赤字国債、環境政策、海外進出、非正規雇用などの問題でした。えー、これはですね、何を意味しているのかという私の見解では、パイが大きくなんないから、どうしたらそのパイのうち人の取り分を減らして、自分だけにそのパイが来るかということに知恵を巡らすようになったわけですね。ま、成長が鈍化したわけですから、企業の収益は上がらない、税収は減る、それを補うために国債を出すわけですね。
ま、今では国債出すのは当然のように言われて、ま、税収と同じぐらいの国債を出してるわけですが、ま、これは通常の状態ではないわけですね。ま、戦争など特別の状態の時は別ですが、えー、国の仕事っていうのは国会の承認を得て税金の範囲で行うっていうのが、まぁ基本だった、それが変化したんですね。ま、変なことがいっぱい起こるわけですよ。えー、国債を出して利子を払うわけです、国が。だけど利子を払うって…利子を払えるはずないですよね。だって、国債でやった仕事っていうのは全部赤字ですから。えー、利子が払えるはずないんで、その利子はどっから来るかって税金から来る、もしくは国債の借り換えっていいますかね。これ借換債(かりかえさい)っていうんですけども、結局は税金なんですね。
ま、そういうような方向に進みます。これはパイをどういうふうに分けてるかっていうと、えー、国の場合は増えないので、国債という変なシステムを作って国民からカネを集め、えー、それを一部の人ですね…つまり国の仕事をする人に渡すわけですね。ま、そういうシステムができた。で、こういったシステムは同じなのは環境問題にいっぱいあったんですね。ゴミがあふれると言ってはリサイクルをする…これ間違いですよ? 焼却するとダイオキシンが出るっつって、また税金を取る。これも間違いですね。あの、えー、それからCO2で地球温暖化する…これは間違いです。
これを連発して、えー3兆円ほどのお金を使うようになりました。ほんとうに環境が悪ければそれはいいんですね。昔の四日市みたいに、もう喘息になる人がいっぱいいる、空を綺麗にしたらずっとよくなるわけです。それは再生産に結びつくんですけども、良い環境に資本を投じて良くすることはできないわけですから、これはドブに捨てる行為ですね。その意味じゃ国債とか環境政策ってのは同じなんです。
で、非正規社員が誕生しますね。そうしますと、社長の年俸が3000万から2億円になるんですよ。これ、おもしろいんですよ。つまり、これも数学的なもんですね。分布があるわけですよ。分布の下を広げると上を広がるんですね。あの…正規分布なら正規分布ですから、まぁそんなふうになりましてね、格差社会になりました。
えー、競争によって発展するっていうのは、アメリカの…まぁ思想ですけど、ま、みんなで努力するっていう、まぁ日本は駅伝型っていうんですかね、ま、そういったものですので、おそらく総中流の方が能率がいいんでしょう。それから最後にグローバリゼーションということで、日本の企業を海外に工場を作るんですね。これは日本の文化と全く違います。百姓は命をかけて田畑を守るっていうのはですね、これは日本のような四面をですね海に囲まれた社会ではダメ…あの、ダメっていうか大切なんですね。
つまり、あー、普通の国はですね国境がないので、他の国から略奪してくるんですよ。だからまぁ少々自分の国に食糧がなくてもいいんですけども、これが典型的なヨーロッパですね。ところが子孫の雇用を確保するっていうことは日本列島の中では非常に大切なわけです。これも失われましたね。つまり、心技体うちそろっても職がないというのは、まさにですね、国債、環境などの国際的な競争力を失って、非正規雇用と海外進出などで格差社会になり、その結果まぁ起こったことですね。なぜそいじゃあこういうことが起こったのか…とさらに突き詰めるとですね、まぁ、まず空気を作るんですよ。
例えば国債を出してもいいんだとか、環境が大切なんだとか、えー、これから競争の時代だから非正規雇用も大切なんだとか、グローバリゼーションなんだっていう空気を作るんです。これ、あまり議論しないで空気作るんですよ。つまりずるいわけですね。あの、儲けようって人が作る。それをNHKが蔓延させて、空気以外の意見を排除するんですね。ま、今の瓦礫の問題と一緒ですけども、心を合わせることが大切だから空気に従え、と…ま、こういうことで、論理があらぬ方向に行ってしまうわけです。
で、その目的は、富の分配なんですね。えー、今まで日本が一丸となってパイを大きくして、それでだいたい総中流でお金を(音声不明瞭でわからず)きた、と。ところがアメリカ式のなんでもマネー競争制度になって、いろんなことが起こりましたね。「選挙で何を言っても、当選してしまえばもういいんだ」とかですね、「地震がどこに来ようと、東海地震が来ると言えばいいんだ」とかですね、「どんなに危険な原発でも安全と言えばいいんだ」というような、そういうですね、空気作りを最初にするという…ま、それが日本の2011年に悲惨な結果を生んだと、まぁ考えられるわけですね。
ま、今後ですね、日本がですね、頭がよくてずるい指導者たちと、純朴な国民が被害を受ける…という、そういう二階級制度で進むかですね、もしくは今までのように自らの富を追わない指導部と、誠実で善良な国民…という組み合わせで行くか…これはまぁ次の選挙にどういう政党が出てくるのか、えー、日本がですね、あるハードルを乗り越えられるのか、ということが非常に問題になってきたように思います。
明治の初めに明治天皇がですね、五箇条の御誓文っていうのをやりますが、そのところにですね、「万機公論に決すべし」…これ何を言ってるかっていうと、指導部は自らの富を追ってはいけないっていうことですね。この…指導部が自らの富を追わなければ、国民は誠実で善良な国民でおれる(いられる)わけですね。しかし、指導部が頭がよくてずるいっていうことになりますと、国民はですね、だまされるしかないわけです。ま、純朴な国民とここで書きましたけど、だまされる国民ですね。
ま、子供に…その純朴なうち一番純朴なのは子供なんですね。ですから全てを子供にツケを回すということになって、赤字国債が生じ、ま、環境のツケが回り、えー福島の子供たちに1年20ミリ、あー、1年に400回の胸のレントゲンを浴びさせる、と。まぁ、どんなことがあっても、もう子供にツケる、と。原子力発電所の電気はもらうけれども、おー……、廃棄物は処理しない、ということは子供たちに原子力発電所の廃棄物はお願いしますね、と。ま、こういうですね、ま、純朴な国民の代表、子供たちにですね、まぁ、そのツケを回す社会…ま、こういうものになっていく。これはまぁ全く発展性のない社会ですね。しかし、それにあの…親 (音声が飛んで不明) 限り、実施しない、実施しないという強い意志を持たない限り、我々の子供たちの将来はない、と私は思います。