専門家が立ち上がって欲しい(4) ビジネスマンも「社会的責任」を
医師、農家、エンジニアに呼びかけてきたが、次には産業界に呼びかけたい。かつて産業は「悪徳商人」だった。何をしても良い、ただ儲ければよい、巨大な政商でも、死の商人でも、公害を出しても、とにかく儲ければそれが産業だという時代もあった。
でも、それらの反省を活かして1980年代には「企業の社会的責任」が問われるようになった。当然ではあるが企業はお客さん(社会)がその製品やサービスを買ってくれるから成立するのであり、決して「国」や「代官」が支えているのではないからだ。
大会社の社長が、「一商人」としてではなく、国の重要な委員になったりして社会的に尊重されるようになったのも、企業の社会的責任と日本を支える重要な立場を認識したと見られたからである。また、ビジネスマンも単なる商人の番頭や丁稚ではなく、日本を構成する重要な専門職と思う。そしてそのように活動をして欲しいと念願している。
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ところが1990年のバブル崩壊の後、わずかに続いた「企業の社会的責任」は消え失せ、私が指摘している「リサイクル、ダイオキシン、温暖化」の魔術を使って「企業イメージを上げ、補助金をもらう」というシステムに組み込まれていった。
その他にも、社長が1億円を超える年俸を得たり、不安定な雇用を創り出して社会的な不安を与えたり、日本国内に職が少ないのに収益を上げることだけを目的として海外に進出したりとおよそ企業の社会的責任を果たすことなく今日まできた。
今、日本企業は自らの首を絞めている。過度な環境規制による経費増大、夢のないサラリーマンや技術者の創造力低下、補助金事業による将来展開の消失など「生きている企業」として致命的な状況が続いている。
その典型的なものの一つが「節電」を呼びかけながら「電気自動車に補助金をもらう」という現象であり、社長が1億円を超える年俸をもらう大企業が「自分だけが良ければよい」という露骨な姿勢をとっているのである。
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経団連会長が原発の推進を表明している。もし企業がお金に責任を持つなら、東電の不始末を経団連が金を出して補償すべきである。福島の子供たちを疎開させるための土地と学校を作り、福島の土地を除染して「健康で文化的な生活」ができる土地を取り戻し、福島の人の損害を補填し、電気料金をアメリカ並みに今の電気料金の2分の1まで下げ、そして「原発再開」を表明するべきである。
「俺は何もしない。全部、国民が金を出せ。俺は儲けるだけだ」というのでは、産業界は国民の支持を得られない。ビジネスマンが専門職として社会の尊敬を受けるには、その社会的責任について深く洞察し、行動に移すことだ。結局、収益は日本が繁栄し、倫理的に正しい社会ができないと上がらないと考えられる。
是非、この際、日本人の一人として産業人、ビジネスマンもまた、「健全な日本、善良な国民」に帰って欲しい。
(平成24年3月5日)
--------ここから音声内容--------
ええと経団連がですね、原発の再開を求めている、と。まーそれは電気がいるからという…そういう説明がありましたね。ええと、医師・農家・エンジニアっていうのに呼びかけてきましたけど、今度は産業界のビジネスマンの人に呼びかけたいと思います。
かつて産業は悪徳商人だったわけですね。士農工商っていってですね、商売は汚いんだ、と、社会的地位も一番低いんだ、と。ただ儲ければよい、と。○○の(聞き取れず)巨大な政商であっても、死の商人であっても、公害出しても、儲かればいいんだっていう時代もありました。しかしですね、今から40年くらい前からそういうことじゃなくて、やっぱり企業の社会的責任というのは問われるようになりました。ま、当然ですけども、ま、企業は…ま、お客さんがですね、社会が製品やサービスを買ってくれて初めて成立するわけですから、けして国とか代官によって支えられてるものではないわけですね。
ま、そういった企業の社会的責任が重視され、また大企業の社長がですね、一商人としてではなくて、国の重要な委員になったりしてですね、社会的にも認められるようになった、と。ま、今でもですね、やっぱり大きな会社の重役さんなんかも尊敬されてるわけですね。これはあの儲けるだけがうまいから尊敬されるってわけじゃないわけですね。それから、ま、ビジネスマンの方ですね。昔サラリーマンと、こう…言ったわけですが、ま、サラリーをもらうために自分を売るんだっていうんじゃなくて、やっぱりビジネスマンとして日本を支えてくれるんだ、と。単なる商人の番頭や丁稚ではない、と…いうことで、私もですね、ビジネスマンもですね、専門職として、まぁ重要な地位にあるだろうと考えているわけです。
ところがですね、1990年ごろバブルが崩壊した後、せっかく1980年代に日本で定着しかかった社会的責任というものが消えうせつつあります。例えば私の分野ではリサイクルとか、ダイオキシンとか、温暖化という魔術を使って、ま、企業イメージを上げるとか補助金をもらうってことに徹底したり致しました。
年金問題もそうですし、それから地上げの問題とかいろんなことがあってですね、ほんとに企業が収益だけを考えた悪徳商人なのか、それとも日本社会というものを共に盛り上げていくということなのか、ちょっとわからなくなりました。そうこうしているうちに、社長がですね一億円を超える年俸をもらっている、と。もちろんあの、多くの人が2000万か3000万もらってる社会だったらいいんですが、ま、300万以下の人が30%もいるという…ま、こういった時代にですね、えー社長が偉いからといってもやっぱ一億円はないんですよね。
それからまあ雇用がどんどん不安定になりまして、えー、その、社会の一つの進歩の過程ではありますけども、この、非常に…不安定な臨時雇いなんか増えてですね、社会的に不安がありました。広がりましたね。今でもそうです。それから日本国内に職がないのに、海外に進出したりしました。そん時ですね、ええと、日本の社会的責任としての企業という…あんまり発言がありませんでしたね。「なんで海外に進出するんですか?」って言ったら、「いや、海外の方が収益上がりますから」とか、「日本の規制が厳しいんで。環境の規制が厳しいんで」ってな答えが返ってくる。つまり企業が社会的責任を放棄して、自分だけ良ければいい、えー日本の若者が就職できなくてもいい、というような路線も感じられました。
しかしそれはやがて日本の企業の首を締めます。えー過度な環境規制による経費の増大がありますし、夢を持てないサラリーマンとか、ま…技術者が自らの創造性を発揮する力が弱くなってくる。ま、それから補助金事業を進めることによって、ま、将来展開が消失するなどですね、ま、企業は本来生きてるわけですが、それについての致命的ないろんな状況が生まれてくるわけであります。
ま、その典型的なものに、最近よく言われている、そのー…節電という問題がありますね。節電なんてのは産業界が支持したり…まあそういうことは考えられませんね。それからまあ電気自動車に補助金をもらう、一方節電を呼びかけるっていう…まあ一体ですね、これは社長が一億円を超える年俸をもらう大企業がですね、自分だけがよければいいという露骨な姿勢に社会からは見えるわけですね。それの中で経団連会長が原発の推進を表明する…まあ推進してますね。
もし企業が…この、お金には責任持ちますよと言うんなら、東電の不始末は経団連がお金を出して補償しですね、福島の子供たちも疎開させるための土地とか学校を経団連が作り、福島の土地を除染して、健康で文化的な生活ができる土地を取り戻して、福島の農家の人をはじめとした損害も補填し、さらに産業界が電力会社に訴え…あの、力をかけて、電力料金をアメリカなみに、1/2に下げる、と。こういうことと原発再開とはリンクしなければなりません。ま、「オレは何もしないよ」と、えー、「原発の後始末は全部国民が金を出せ」と、「しかしオレは電気がほしいんだから原発再開しろ」というだけではですね、やはり私は、産業界が国民の支持を得られないし、ビジネスマンが専門職として社会の尊敬を受けることができなくなると思います。
えー、大きな会社の重役とか社長さんがですね、社会的な尊敬を受けることがですね、バックにあるお金だけというのはですね、やっぱりちょっとさびしい感じがしますね。私の知り合いの大きな会社の社長、重役さんも、人格的にも立派ですよ。ただですね、あれだけ人格的に立派でも、お金を背景にだけ尊敬されようとしたら、やっぱりね、私はうまくいかないと思うんですね。えー、今度の原発の問題を境に、再開問題も含めて、産業界は儲けだけで発言するという印象を与えずに、やはりですね、芯から日本を発展させる、発展することによって自分たちもその中で一部の収益を得られる、と…ま、そういうふうにしてほしいですね。
ぜひ…えー、この前経団連の会長さんのお話を聞いて少しがっかりしました。もちろん意思は少し違ったかもしれませんが、言い方としては「産業界は電気がいるんだから、原発再開してくれ」と、ま、「福島の方にはカネは出さん」と、それから「原発の安全性に対してもあまり責任は持たない」と、「とにかく電気がほしいんだ」っていうように聞こえました。言い方が少し乱暴だったのかもしれませんけどね。私は産業人、ビジネスマンがですね、一緒に…我々と一緒に、健全な日本、善良な国民に返ってほしいと思います。