知の侮辱(4)・・・イエス・キリストの怒り (2/6)
若い頃、聖書を読んでそのどこにも珠玉のような言葉が満ちあふれていることにビックリしたことを思い出します。まさに神の言葉なのでしょう。
その中に、普段は穏やかなイエス・キリストが怒りに燃えることが書かれています。それは「神を心から信じるか、それとのよい子のフリをするためか」が問われる場面で、腐敗した祈りの場などがそれにあたるようです。
聖書のその場面に強い印象を受けた私は、その後、なにか自らの学問や教育の信念に反することが目の前で行われているのに、腹が立たない自分を情けなく思うことが多くなりました。
たとえば、前々回に書いた「栄のCO2測定」ですが、このように科学をトリックに使うことを知った限りは、担当室長を罵倒し、自分が一人でいって栄のCO2測定器を取り外し、警察から器物損壊で逮捕されなければならない・・・そうしないと私の学問や教育の信念はなんだったのか?という疑問がわくからです。
このシリーズを「知の侮辱」と名付けて始めました。確かに、現代の日本には「知」を侮辱することが白昼堂々と行われ、それは科学者である私には大きなストレスになっています。でも、そう言う私も「知の侮辱」に対して徹底的な行動を取っているわけではなく、イエス・キリストのように知を侮辱する人や物事に対して、自らを捨てて行動にでなければならないと恥ずかしく思います。
いつも、さらにもう一歩激しくでるべきか?と迷うのですが、あるところで引き返します。その点では所詮、自分も人間だから利権をあさって知を侮辱している人とそれほど変わらないと恥ずかしく思うこともあります。
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この頃の学生はおとなしくなりましたから、先生にくってかかるような勢いのある学生はあまりいないのですが、それでも時々、「先生っ!そんなこと間違っていますっ!」と激しく迫る学生もいます。そんな学生がいるとうれしくなります。
そんなとき、事実や論理、科学としての考え方を説明するのが普通ですが、あまりに激しく納得しないときには、イエス・キリストやソクラテスの話をすることがあります。
「確かに君の言うことは正しいかも知れない。でも、現代人が誕生してから1,2を争う立派な人といえばイエス・キリストやソクラテスだが、その人たちはいずれも死刑にあっている。君の言うことが正しいのかも知れないが、世の中とあまりに違うときには死刑になるのだろうね」
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でも、思い返せばそれが人間ですし、人間社会の中でしか生きることはできないのですから、ここは東洋的にお釈迦様の「中庸」で行くのが良いのでしょう。「知」を盲目的に信じるのでもなく、「知」を侮辱するのでもなく、尊敬し、利用していくのが私たちの知恵というものだと思います。
私が重要だと思う順序があります。第一に「日本の子供」、第二に「日本の土地」、そして第三に「日本のコメ」です。子供、土地、コメの上に「日本」とつけているのは私の力量によるもので、到底「人類」というのは私の視野に入れることができないからです。
イエス・キリストは「神の思し召しのまま」と十字架につき、ソクラテスは「悪法も法なり」と弟子に教えて毒杯を口にしました。科学者である私は「私が正しいと思っていることは間違っている」と言うことが唯一の信念なので、到底、それほど強い行動に出ることはできません。
このシリーズではイエス・キリストやソクラテスの影を遠くに拝みながら、なんとか一つ一つの侮辱を、明日の子供たちのために整理をしていきたいと思っています。
(平成24年2月6日(月))
--------ここから音声内容--------
ええと、この「知の侮辱」というシリーズにですね、イエス・キリストの怒りなんて書くとですね・・・なんか、書いた自分がびっくりしちゃうんですけど。まぁあの、若い頃に私、聖書を読んでですね、まぁ、ほんとに素晴らしい言葉が満ちあふれている、ということに驚いたことを思い出しますが。
その中では、おおむねイエス・キリストはですね、穏やかな信念の人ということで描かれているわけです。時にですね、ものすごく怒られるというかですね、カッとこられるときがあるわけです。それは例えば、腐敗した祈りの場なんかに来たときですね、「神を心から信じてるのか?それとも、あなた方はよい子のフリをしてるのか?」なんていうことでですね、非常にこう激しい感情が記載されてるわけですね。
私はその聖書の場面に、非常に強い印象を受けておりまして…というのは、私の学問の信念とか、教育の信念というものがあるわけですが。この世に反することですね、例えばもう、何だか森林が二酸化炭素を吸収するとかですね、そりゃあまぁ、ほんのわずかは吸収しますよ、そりゃ石炭ができてるわけですから。えー、まぁ何億年か経てばですね、ま、少しは吸収するんですね。もちろんそれによって、CO2は減ってきたんですからね。そりゃ、もうよく判ってるんですが。まぁ、人間の今出しているCO2の、1万分の1も無いわけですから。まぁ・・・そういうようなことを言うとですね、もちろん腹立てなきゃいけないだろう、とまぁいうふうに思うわけですね。
ま、そういうふうに非常にこう、学問というものを侮辱した報道とか、ま、科学者もそういうこと言う人いるんですけど。ま、やっぱり怒りはありますよ。例えば、「栄のCO2の測定」みたいなやつね、科学をトリックに使って小学生を騙す、と。本当はもうこれ、担当室長を罵倒してですね、逮捕されようが何だろうが、自分一人で行って、栄のCO2測定器を取り外さにゃならん、そうしなけりゃ、自分の学問とか教育の信念は、ほんとに大丈夫なんだろうか?という疑問も湧くわけですね。いつもそういうとき、聖書思い出します。こんとき、イエス・キリストならどうするだろうか、やっぱり許せないだろうと、まぁいうふうに思ったりするわけですね。
ほんとに現代の日本は、「知」を侮辱することが白昼堂々と行なわれてるわけです。もちろん、科学者である私には、大きな心の負担になってるわけですね。えー、「赤信号 皆で渡れば 怖くない」っていう、まぁ有名なたけしさんの言葉がありますが。あえて言えば、「赤信号 皆で渡れば 青信号」なんですよね。つまり、森林が二酸化炭素を吸収すると皆が言えば、それがほんとになって、それでその正しいことを言う人がバッシングを受ける、というふうになっちゃうわけですからね。これ、地球温暖化でもそうですし、ダイオキシンでもそうですし、今度の原発事故もほんとそうですね。
もう一歩、私は激しく行くべきではないか。しかし私はあるところでいつも引き返すわけですね。ま、ある程度、そんなことで子どもを騙しちゃダメだ!というふうに、名古屋市の担当室長には言いますが。ただ自分で、栄のこのCO2測定器んとこ行って、市役所の財産をぶち壊すと、いうことはしないわけですよ。イエス・キリストは教会を破壊してましたね、祈りの場を。それは自分にはできない。ま、自分も人間だから、利権を漁って知を侮辱してる人と、ま、それほど変わんないかなぁと、思ったりもするわけですね。
えー、まぁこういうことは大学にもあって。この頃の学生はおとなしくなりましたから、先生にくってかかる勢いのある学生はあまりいないんですけども、ときにはまぁ、いるわけですね。で、あんまり頑張る学生にはですね、私はイエス・キリストとかソクラテスの話をするわけですね。「いやぁ、まぁ確かにそうかもしれん。君の言うことが正しいかもしれん。しかし現代人が誕生してから、イエス・キリストやソクラテスっていうと、もう1、2を争う立派な人だけど、2人とも死刑になった、と。世の中とあまり隔絶したことを言うと、正しくても死刑になるんだろうね」と、いうふうに学生に言うことがあります。
ま、思い返せばですね、我々は人間ですから、人間社会の中でしか生きることができないという制約をかけると、ま、東洋的な御釈迦さんの話になって、「中庸」(ちゅうよう)でいこう、と。ま、「知」というものを盲目的に信ずるわけでもなく、「知」を侮辱するわけでもなく、尊敬はするし利用はするけども、まぁあまりひどくは侮辱しない、と。このくらいがですね、ま、東洋流のまぁ、人間の生き方なのかもしれません。
私はあの、いつも第一に大事なものは「日本の子ども」、「第二に日本の土地」、「第三に日本のコメ」、ま、コメと言うのは日本の農作物みたいなことですが。子どもを育て大地に根ざし、そっからの作物を感謝を持って食べる、ということなんですが。この上に私は「日本」というのを付けてるんですけども。到底「人類」というとですね、私のこの力量ではダメなんですよね。
というのは世界の人で、皆が平等にっていうわけにはちょっといかないし、どういうふうに考えていいか判らないんですよ。それから動物も一緒に入れますとね、更に難しくなりますし、宇宙には宇宙人がいますから。やっぱりどこかに、こう自分の考える限度を決めなきゃいけないわけですね。
それからもう一つは先ほど言いましたように、難しいですね。イエス・キリストは「神の思し召しのまま」と言って、十字架につきましたし、ソクラテスは「悪法も法なり」と言って、毒杯を口にしたわけですね。ただ私は科学者ですので、これらの思想家とは違ってですね、科学というものは、常に新しくリニューアルされるもんですから、現在、私が正しいと考えてることは間違ってるんですね。1000年前に考えたことは、今は違うんです。平安時代に考えた科学は、今と違うんですね。今考えた科学は、おそらく1000年後は違うんですね。ですから、これはあの、人類共通の何か思想というものと、私のように科学というものやってる人間とは、やはり少し違うかもしれないな、と思ったりもするわけです。
ただ、このシリーズはですね。「知の侮辱」ということを題にしております。えー、私の最終的な目標は、「日本の子供たちに正しいことを伝えたい」ってことなんですね。そのためにはまず、大人がですね、「ゴミは環境を悪くするのか?」とか、そいから「森林は二酸化炭素を吸収するのか?」と非常にこう…卑近(ひきん。身近でありふれていること。)な例からスタートしたんですけども、少しずつこのことをレベルの高いことにしたい。それで、全体像を見たいと思ってるんですね。我々が今、考えてることっていうのはどの程度が正しくて、どういう社会を目指してるのか?
後の方で私言いますけども、高齢化社会っていうのは私、非常に間違ってると思うんですね。現在は高齢化社会じゃない、と私思ってるんですよ、実は。で、こういうこともですね、一つ一つを整理していかないと、なかなか多くの人たちが議論に参加するということにはならないわけですから。それをこのシリーズで頑張ってやりたい。やっと3日目ぐらいになりましてですね、3日坊主をギリギリのところに来てますので、頑張りたいと思っております。
(文字起こし by danielle)