知の侮辱(1)・・・三日坊主にならないように | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

知の侮辱(1)・・・三日坊主にならないように (2/5)


学者は「社会のため」などと肩肘を張る必要もなく、自分の学問的な興味にそって社会の片隅でそっと研究をするものでしょう。というのは、学者が研究していることは必ずしも社会に役立つかどうかも判らないからです。


でも、長い人類の歴史を見ると学者が研究していることが、あるいは社会の危機を救い、日常生活を豊かにし、そして人類の知恵を拡げて迷信や差別を無くしてきたことも確かです。



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ガリレオが当時、まだできたばかりの望遠鏡を使って、おそるおそる天体を見始めたとき、彼自身もまた社会も「地球が宇宙の中心だ」ということが覆されるとは思ってもいなかったのです。


またダーウィンがビーグル号にのって生物観測のために海にこぎ出したときも、彼が帰国して程なくして人類は自分たちの祖先が「神」ではなく「猿」であると告げられることを予想もしていなかったのです。


これらの発見や、自動車、テレビなどの発明が私たちの思想、生活などに大きな影響を与えたことを否定することはできないでしょう。ライオンの生活が1万年前からほとんど変わっていないのに、人間の一生が大きく変わるのは、人間の頭脳の働きによるもので、それは単に生活を豊かにするばかりではなく、私たちの頭脳の働きをも根本的に変えるものだったのです。

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ところが、ロンドン天文台帳のブラウン博士、作家のオルテガ・イ・ガセット、それにマックス・ウェーバーらが20世紀の初頭の現象として指摘したように、人間の知の働きはお金に強い影響を受け、それが交通・通信網の発達、帝国主義の進展などの技術的、政治的な変化にともなって、知的活動の低下、「知」そのものへの軽蔑と変化していると感じられます。


私が学問的環境に身を置くようになった今から30年前から、さらにバブルが崩壊した20年前から、その動きは特に顕著になってきているように思います。今回の東北大地震と福島原発事故はその一つの大きな結末とも考えられ、私たちはこの際、「知の重要性」を深く認識しなければならないと思います。


私の専門とする資源、材料、環境、エネルギーなどの分野を中心として、現在の日本に蔓延する「知を侮辱した流行」を個別に指摘し、知を大切に思う人たちとともに「お金中心の貧弱な日本」から、日本の文化、自然と調和したしっとりとした生活を取り戻したいと思います。


次回から、現在の日本に蔓延する「知の侮辱」について、一つずつ解説を加えていくつもりです。

(平成24年2月5日)


--------ここから音声内容--------



ええと、世の中にはその学者という、まぁ種族といいますか…職業の人がいるわけですが。ええと、学者というのは、あまり威張れるもんじゃなくてですね。何しろ、研究してもあまりお金というのは入ってきませんから、所詮まぁ社会の人のお世話になって、どちらかというと自分の興味のあることを研究するっていう、そういう仕事ですから。




まぁ、常に社会にはこう、負い目があってですね、「申し訳ないな」と。ま、あるいは自分の研究が少しは社会に役立ってくれれば、とちょっと思いながらですね。「しかしまぁ、そうもいかないな」と、いうような感じで研究をしてるわけですね。ただあの、だからといって学者があんまり肩肘を張ってですね、「社会のために役立つことをやる!」っていうとまた変になってしまうわけです。




長いこの人類の歴史を見るとですね、あるいは学者が研究してることが社会に危機を救ったり、日常生活を豊かにしたり、また迷信や差別とか、そういうものを無くしてきたことも、まぁ事実なわけですね。




ギリシャ哲学、ギリシャの文学、日本の古典、何が役立つのか?と、ま、言われますとですね、ハッキリは証明することはできません。また、100億年彼方の星の研究というのは、どういう役に立つかも分かりませんが、しかし私は役に立ってるんではないかと思うんですね。




私たちが日常的な話をしたり、それこそ経済の話をするにしてもですね、そういう…そのソクラテスであるとか、100億年彼方の星の状態という知恵がですね、我々の頭の外殻に、まぁいわば城壁を作っているというんでしょうかね…あるからこそですね、私たちはある理性的な、もしくは論理的な話をすることができるんではないか、と。まぁこんなふうにも、まぁ思うわけですね。




もう一つの科学の特徴というのは、結果がよく判らないということですね。ガリレオが、当時発明されたばかりの望遠鏡をですね、手に取って、おそるおそる天体を見るわけですね。“おそるおそる”ってここで私が言ったのは、ガリレオはやはりキリスト教の影響からは逃れられませんでしたから、やっぱり天体を見るということについては、若干のですね、やっぱり戸惑いがあったわけですね。




えー、神の国を覗き見るということでもないですけど、そういった雰囲気もあったわけですね。彼はそれを終生、強く感じておりました。しかし彼の観測が思わぬ結果、つまり「地球は宇宙の中心ではない」ということが判ってしまう。これはあの、ダーウィンのビーグル号での観測旅行もそうでした。えー、その学問的結果というのはですね、判らないが故に、またこれが人間の頭脳の活動の一つであるというふうに、まぁ思うわけですね。



ま、これらのことの他に、もちろんこれに付随してと言いますかですね、自動車であるとかテレビというものの発見があった、と。ま、自動車というのはさかのぼれば、17世紀の真空の発見などによるわけでありますが。ま、真空の発見がなぜ自動車に結びついたのかというようなことは、これは話すと長くなるんであります。ええまぁ、そういうことの全てがですね、ある発明にも結びつく、と。



ライオンの生活を見ますと、ま、ライオンから言わせりゃ随分変わってると言うかもしれませんが、我々から見ると、ライオンの生活というのは、なんか一万年ぐらい経っても、朝起きてぼやーっとして、夕方になると狩りをして寝てるな、というような感じがするわけです。それから見ると、人間の生活っていうのは、少なくとも外見から見るとですね、1万年前の縄文時代とは非常に大きく変わっている。これはやっぱり人間の頭脳というものの働きではないか、というふうに思うわけですね。




ところが一方では…何でもかんでも褒めてばかりではいけませんので、ロンドン天文台長のブラウン、作家のオルテガ・イ・ガゼット、マックス・ウェーバーというとですね、まぁこういったものを読まれている方はですね、何となく感じが…こう出てくると思うんですが、20世紀の初めに、まぁ大きな社会的変革があり、それはあるいは進歩であったわけですが。まぁ、それに交通とか通信網の発達、帝国主義の進展などあってですね、知能活動自身が若干、その価値を失ったということは確かだと思うんですね。えー、全体としては進歩しておりますが。



私は30年ぐらい前に、やや学問的環境に自分の身を置くようになったわけであります。特にバブルが崩壊してからここ20年、まぁ私自身も成長政策の中からですね、脱して別の世界に入ったわけです。それでこう見てみるとですね、大変大きくその「知」というものは、少なくとも日本社会で後退をしている、と。その結果が今度の、東北大震災と福島原発事故ではなかったかと、このブログで今までずっと1年間、いろいろ考えてきたわけです。




東北大震災はおそらく予測できただろうと、福島原発の爆発はおそらく防げたであろう。この二つが起こったということはですね、地震が起こったのはそりゃ別にしょうがないですけど、地震による震災が2万人以上の犠牲者を出したということですね。そういうことはですね、やはりこの「知の後退」である、というふうに捉えるべきであろう。もしくは捉える人たちと一緒に、これからやっていきたいなと、私はまぁそういうふうに思うわけですね。



で、私の分野っていうのは資源・材料・環境・エネルギー、その他私はいろいろ興味があるもんですから、えーまぁ美術とかですね。美術って言っても、ちょっとどっかの大学で教えてるぐらいですが。ま、文学、これもちょっと国語の教科書に出たつって、何だか時々威張ってるわけですが。それからお金…これまぁ本を出したりしておりますが。そういった私の周辺の知識も含めてですね、歴史、現在の日本に蔓延する、私から見れば「知を侮辱したある種の流行」を、個別に指摘してみたいかな、と。




これは、全然非難するつもりはありません。つまり、知を大切であると思う人と、まぁ知なんていうのはどうでもいいよと、言う人がおられますしね。それどっちが正しいか、また判らないので。



ただ私はですね、やはり日本というのは気候も良いし、非常に長い文化に見るべきところも非常に多くあるわけですね。従ってまぁ、それにあまり拘泥する必要もありませんが。やはり現在のように、もう自殺者が3万人を超えるというような社会になるはずはないんじゃないか、と思うんですね。このことをですね、「知の侮辱」というふうに、まぁ名前をつけたわけですが、知の侮辱について一つ一つ解説を加えていって、まぁ前向きに考えていきたい。




ま、この中には侮辱に対して批判も出てくるでしょうけども、それはできるだけ自分の心の中で抑えて、とにかく「知が大切だ、文化、自然、そういったものが大切なんだ」と、まぁ我々のこの活動を今から私が開始しよう!と思ったわけですが、別にこれを社会運動にしようと思ったわけでもないし、どれくらい長く続くのか3日坊主になるかもしれませんが。ま、目的は自殺者を減らすということなんでしょうね。簡単に言えば、そういうことかもしれません。少し試みてみたいと思います。

(文字起こし by danielle)