学者の前の前 ・・・ 子供の被曝を減らすために | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

学者の前の前 ・・・ 子供の被曝を減らすために (2/1)


この「学者の前の前」ということは、子供の被曝を減らすために重要なことですので、すこし理屈っぽいのですが、是非、理解して貰いたいと思います.


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学問から見ると物事は次の4つの段階があります。

1) 原理原則もなにも判らず、カン、感情、経験、しきたりなどで理解する段階(中世の暗黒時代など。普通の女性が突然、魔女として処刑されるような状態)、


2) 学問で研究が始まって間もない頃、まだいろいろな「結果」や「意見」がある段階(学説が複数ある段階でまだ学問としては未完成・・・今の原子力)、


3) 学問的にほぼ固まった段階で、その分野の学者はほぼ同じことを言うようになる(地球は太陽の周りを回っているというのがこれに当たる)、


4) 真実が判る段階(1万年後ぐらいで、本来は神様しか判らない。)


「被曝と健康」のことで、多くの人が「専門家がさまざまなことを言うので、頭が混乱して何が何だか判らなくなった」とか、「1年100ミリシーベルトでも安全という山下先生と、1年0.1ミリシーベルト以下でなければ危険というドイツの学者がいるので、何を基準にして良いか判らない」と迷っています.


これは上の学問の段階の{2}を示していますから、「学問的には被曝と健康の関係は不明」ということがハッキリしています.つまりこの段階では「どのぐらい被曝したらどうなるか」は判らないが、「まだ判らない段階」ということがハッキリしているということです。


この段階で社会が何かを決めなければならないときには、多くの学者の言うことを聞いて「一般人(あるいは政府や機関)が決めて合意する」という手続きが取られます.つまり学説が複数あるので、学問的には決めることができないけれど、それを参考にして「合意」することはできるという段階です.それが「1年1ミリの合意」です。


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「学者」というのは「学問」をもっぱらにする人です.ですから、学者は学問を知っている必要があります。学問とは「しっかりした事実や論理に基づき、専門分野の人なら誰もが厳密な考察に基づき、同じ答えになるもの」です。学者が100人集まれば、1人か2人は違うことを言っても、ほぼ全員が同意する結論になると「学問として判っている」という状態になります.


たとえば、「地球が太陽の周りを回っている」、「近代にはヨーロッパ諸国がアジア、アフリカ、南アメリカの大半の国を植民地にした」などです。


「5歳の子供が、1年1ミリ以上の被曝をして、25歳までにガン、免疫疾患、知能低下、生殖障害を起こすか?」という質問に対して、もし、「自分の研究結果によると、それらの疾患はおきない」という人がいたら、その人は「学者になる前の前の人」です。


被曝量を国際的に1年1ミリとし、日本の法律が1年1ミリを基準にしているのは「まだ学問的に決定できないので、学問を参考にして合意した」というものですから、学者はそのことを知っていて、説明をしなければならないからです.


では、「1年100ミリ以上被曝すると疾病がでるか?」という質問に対して、「学問的にいって障害がでます」と答える人も学者ではありません. 正しくは「現在の学問では1年100ミリ以上の被曝は疾病がでると考えられています」というのが学問的な正解です.つまり、上記の{4}の段階がありますから、学者は自らの集団(学者の集団)の結論を少し疑っているということだからです。


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今回の福島の事故では、福島の子供を中心として、「学者」と呼ばれる人が「1年20ミリの外部被曝と、1年20ミリ(セシウムだけで1年5ミリ)の内部被曝を合計した1年40ミリまで児童は大丈夫だ」と言いましたが、この人たちは、そのような発言をすること自体「学者」でないことを証明しています.


「科学的に判らないこと」、「その道の専門家で異論が多い状態」であるのに、自分の研究データなどを元に特定の結論をあたかも科学的な結果のように言うのは、学問というものを知らないのですから、学者ではありません.


その点で、NHKに厳しい言い方になりますが、NHKにでた学者のほとんどは「学者」でないことを自ら証明していました.


被曝によって20年後までにガンなどの疾病になるかどうかは誰にも判らないことです.判らないことを判らないと言えば、「それではどうするのか?」という話に進み、「法律を守ろう」ということになって、福島の児童は疎開し、給食はベクレルを測定して出したでしょう.


社会を指導する人がしっかりした考えと、職業としてのホコリを取り戻して欲しいと思います.今からでも遅くないので、「被曝と健康の問題は不明なので、1年1ミリ以下という合意を守らなければならない」と発言し、今まで出版した書籍を回収し、テレビや新聞などでの発言を取り消すか、学者の看板を下ろさなければなりません.


それは、発言した人が自ら告白したものだからです。1年1ミリ以外の数値を言う人には「あなたは学者ではないのだから、そんなことを言ってはいけない」と反撃して子どもを被曝から守りたいと思います。


(平成24年1月31日)

--------ここから音声内容--------

ええと、私は子供の被曝を大変心配してるんですけども、この「学者の前の前」というですね、これを書きたくなりました。これは非常に理屈っぽい文章なんですけども、子どもの被曝を減らすためにはどうしても知ってなければならない、ほんとに本質的なことなので、ちょっと我慢して読んでいただいたり、聞いていただいたりしてほしいと思ってます。






ええと、学問っていうのはですね、4つの段階があるんですね。1つは原理的に何にも判らないでですね、カンだとか感情とか古いしきたりとか、経験なんかで理解する段階で。これはあの、中世のヨーロッパなんかが「暗黒時代」と呼ばれますけども、それにあたるわけですね。普通に生活する女性がですね、突然「お前、魔女だ!」とこう言われてですね、火あぶりになると、こういったことが行なわれてたんですけども、これはなぜかって言いますと、女性が魔女になるための条件とかですね、どういうものが魔女だとか、全くカンだとか感情で決めてたわけですから、まぁこういうことになるわけですね。こういった段階があるわけです。






ま、今でも放射線について、この「1」みたいな段階が両側にありますね。両側って言うのは、原発推進派と反対派。ま、両方あるように私も思いますね。






2番が現在の段階ですが。学問で研究が始まってはいるけども間もないので、まだいろんな結果とか意見がある、という段階ですね。ええと例えばあの、ダーウィンが「進化論」を発表したときに、人間が神様から作られたか、サルから進化したかって言うのは、非常に大きな論争になります。これはあの、学問が未発達だからですね。






皆さんがよく知ってると思いますが、ガリレオが「それでも地球は回っている」と。一体、地球が太陽の周りを回ってるのか、太陽が地球の周りを回ってるのか?、諸説紛々したと、こういう時代があったわけですね。これが実は、情けないことですが、今の原子力であります。意見がバラバラであるという段階ですね。これは、もうどうしても学問にはこういう段階があります。


それから学問的にほぼ固まってきますとですね、その分野の専門の学者は、ほぼ同じことをいうようになりますね。ガリレオの時にはいろんな意見があったんですが、現在では「地球は太陽の周りを回っている」ということでですね、ほとんど、まぁそれで合意するっていうかですね。ま、少しの人は違うというかもしれませんけども、こういうふうになるわけですね。(3の段階)





それから、それでも我々は間違ってる可能性があるんですよ。えー、学問やってますとですね、自分が正しいと思ってたことが間違ってるっていう経験をずいぶんしますので、いや、真実は判らないなぁと思いますね。1万年後ぐらいとか、まぁもしくは本来は神様しか判らないのかもしれません。






よく見ると、実は地球が太陽の周りを回ってないっていうのも変ですけどね、だけどほんとはそうかもしれないと思って、僕ら疑っているわけですね。学者は、まぁ研究するんですが、研究は現在考えてることが間違ってんじゃないかと思って、研究するわけですからね。だから我々学者はですね、常に自分が考えてることがもしかしたら間違ってるんじゃ・・・ほとんどの人がそう言ってるけども、やっぱりちょっとどうかな?と思う気持ちが心ん中にあるもんなんですね。(4の段階)







で、これをまぁ「被曝と健康」、子どもを被曝から守るという点で考えますと、よくですね、専門家がいろんなこと言うので、「頭が混乱して何が何だかわからなくなった」と言ったりですね、1年100ミリシーベルトでも安全と言う福島の山下先生と、1年0.1ミリシーベルト以下でなければ危険だというドイツの学者がいるので、何を基準にしていいか判らないと迷ってるわけですね。いや、これはもうですね、迷ってないんですよ、実は。





この状態っていうのは、上の学問の段階の分類で言うと「2」ですからね。「学問的には被曝と健康の関係はまだ不明である」ということですね。だからつまり、どのくらい被曝したらどうなるか判らないので、「判らない段階である」ってことがハッキリしてるんですよ、ええ。






そこで、まぁ、しかし社会はですね、学問の成果を待ってるわけいきませんので、こういうときでも、一応社会は一定の決まりを作るんですね。これが「合意」なんです。これはですね、学者は合意しません。学者っていうのは合意できませんね、こういうときは。学問的に合意するってことは、全員が合意しなきゃいけません、ほぼ全員がですね。







だから「一般人が学者の言うことを聞いて合意する」ってこういう段階ですね。これは「1年1ミリの合意」、それがそういうのにあたるわけですね。ですからまぁ、国際的に1年1ミリを合意して、国内の法律も1年1ミリになった、と。これはまだ学問が段階の「2」なので、学者でいろいろ意見がある。つまり学問的に決まっていない。だから社会は必要に応じて、そんときに仮の値を決めるっていうことですね。






ところで、「学者」っていうのはもちろん「学問」をもっぱら職業にしてるわけですから、学者っていうのは学問というのを知ってるはずなんですね。学問っていうのは、しっかりした論理とか事実に基づいて、専門分野の人ならば、誰もが厳密な考察に基づいて同じ答えになるものを求めております。





例えば、論文を書くときですね。えー、論文の基礎になる実験なり実験のやり方、実験の結果、それに対する考察、ここまではですね、ほぼ全員が一致しなきゃいけないんですよ。他の人が実験したら、別の結果が出るとかね。他の人が整理したら、全く反対の意見になる、なんてことなりますとね、これどっかに事実か論理に欠陥があるんですね。学問っていうのは、こう積み重ねていくんですよ。がっちりがっちり積み重ねていきます。






ですから学問が完成するってことは、100人集まれば、まぁ1人か2人は違うこと言っても、ほぼ全員はですね「そうですね」と、少なくとも「一応、今のところ、そういうことでいいんじゃないですか」と、ま、いう状態ですね。これが「学問として判っている状態」ですね。




例えば、「地球が太陽の周りを回ってる」とか、これはガリレオ時代には大論争になりましたが、今では論争になりません。そいから異論がある人がいるかもしれませんがね。「近代っていうのは、ヨーロッパ諸国がアジア・アフリカ・南アメリカの大半の国を植民地にした」、これも歴史ですから。記載には別の言い方もあるでしょうけど、ま、あらかたの学者が「そうだったね」と言うでしょうね。






で、ということはどういうことかって言うと、「5歳の子どもが1年1ミリ以上の被曝をして、25歳ぐらいまでにガンとか免疫疾患とか知能障害とか生殖障害を起こしますか?」とお母さんに聞かれて、「私の研究結果によると、その疾患は起きない」と答えた人はですね、その人は「学者になる前の前の段階」ですね。「学者」ではありません、まったく。







ていうのは、自分の研究結果だけいう人って言うのは学者ではないんですよ、ええ。そりゃあもう、研究結果を言うのは簡単ですから、学者じゃなくてもですね。だってなんか実験して整理したら、それ研究結果なんですから、それは学者ではないんですよ。ま、「実験をした人」とかね、「研究をした人」って言うだけであってですね、研究をした人は学者ではありませんよ。誰でも研究できますから。







で、じゃあですね、「被曝量が国際的に1年1ミリで、日本の法律が1年1ミリを基準にしてんのは何ですか?」って言うと、実は「学問的に決定できないので参考にはするけども、合意する」ということですからね。「私の実験結果はこうです」なんつうことはどういうことかって言うと、「いや、学問的には決まってませんから判りません」と、まぁこう答えないけない。じゃ判んないから困るっつったら、合意を言わなきゃいけないですね。








逆にですね、「1年100ミリ以上被曝すると疾病が出るか?」と今度、逆側の質問ですね。これについて、「学問的に言って疾病が出ます」って答えるのも、今んところ学者ではないですね。言えば、正しくは「現在の学問では1年100ミリ以上の被曝は、疾病が出る可能性が高いと考えられています」と答えなきゃいけない、ということですね。ええと、確定的に100ミリで被曝で疾病が出るって言うためには、学問が「4」の段階になんなきゃいけないので、まぁちょっとまだかなり早いな、という感じですね。








というふうに考えますとですね。今回の福島の事故で、福島の子どもを中心として、「学者」と呼ばれる人がですね、「1年20ミリの外部被曝ですね、それから1年20ミリの食品による内部被曝を合計して、1年40ミリまで、児童は大丈夫だ」と言ったわけですが、これは我々の合意「1年1ミリ」の40倍ですね。だからこういうこと言う人たちは、もう発言自体がその人が「学者」でないってことを証明してます、ええ。








「科学的に判らないこと」もしくは「その道の専門家で異論の多い状態である」場合は、学問的に説明ができないということなんですよ。学問的に説明できないと判ってるものを、そういうふうに発言するっていうのは、学問を知らないから学者ではない、っていうことになりますね。






ちょっとNHKに厳しい言い方になりますが、NHKが出した学者のほとんどは、「学者」ではないんですよ。それがたとえ東大の教授であろうが、何とかセンター長であろうが、そんなことは関係ありませんからね、肩書きには。学者ではありません。







それでまぁ学者がですね「判りません」と、「まぁ、いろんなデータがあります」というふうに説明されたら、それではどうするかっていうことに話が進んだでしょうね、NHKですよ。最初に出た人が、「いや、ちょっとね判らないんですよ」というふうにきちっと言ってくれればですね、「じゃあ、そんなこと言ったって、福島の児童逃がすかどうか決めなきゃいけないから、どうするんですか?」って話になりますね。そうすると法律が出てきたと思うんですよ。ま、「法律が1年1ミリなんだから、福島の児童は疎開させましょう」 「給食も危ないから、ベクレルを測りましょう」って、なったと思うんですね。






私はだから学者のね、学者じゃなくてインチキ学者と言ったらちょっとひどいんですけど。ま、学者でない人の学者が発言したり、それをNHKとかいろんなマスコミがこうね、学者として取り扱ったっていうことが非常に混乱させ、子どもを被曝させたと思って残念でしょうがないですね。




ま、社会を指導する人はしっかりした考え、職業人としての誇りを取り戻してもらいたいと思います。今からでも遅くありませんから「被曝と健康の問題は不明なので、1年1ミリ以下という合意を守らなければならない」と発言してほしいですね。そして今まで出版した、もし違うことが書いてあれば書籍を回収し、テレビや新聞などの発言を取り消して、もしくは学者の看板を下ろしてください、と。






それは、私は「学者じゃない」と発言したのは、その発言した人が自らが告白したものだからなんです。これは私たちの未来の子どものために、我々専門の学者がですね、自らのはっきりとした学問的立場をですね、取らなければいけないと、私はそう思います。


(文字起こし by danielle)