科学と独自の見解(1/12) | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

科学と独自の見解(1/12)


科学は2つの面を持っています。一つが、これまでの学問の積み重ねの中でおおよそ確定したと考えられるものを体系化したものです。もう一つは、新しい独自の見解で、これも学問の発展や学問の自由で欠かせないことです。

研究者個人が自由な発想で研究し発表するのはとても良いことなのですが、社会と直接関係している場合は制限があります。その制限のもっとも大きなことは「これまでのことを示してから、自分独自の見解を示す」ということです。

特に社会に言うときには、社会は必ずしも専門家だけではありませんから、まずは「これまで標準とされてきたこと」を説明し、それに対して自分の見解は、これまでのどこが間違っていたということも含めて示すことになります。

当然のことですが、科学は政治、利権、名誉、お金、嫉妬などとは無縁なので、このような「人間的なこと」を排除することも科学者の最低の倫理と言うべきでしょう。

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ところで、私はよく「武田独自」と言われます。でも私は伝統的な科学者なので、まずは「これまで標準とされてきたこと」を言い、それに反することでも結構だが、その理由を聞かせて貰いたいというスタンスです。以下にその例を示してみます。

1.  被曝限度

 日本人を被曝から守るために、日本の法律、規則、規制、指針などで、2011年3月11日までは、一般国民は1年1ミリまで、事故を起こしたときに事故が1万年に1度程度なら1年5ミリまでは許される、ということでした。従って、1年1ミリは私の独自の見解ではありません。このことを記載しない場合、国民が被曝の危険性に晒されますから、1年1ミリ以外のことを言う人は自ら科学者としての責任を取らなければならないでしょう。

2. 南極の氷

学問的には氷は、「温度が上がったら融ける」のではなく、「0℃を超えると融ける」ということです。従って、学問的には南極の氷はマイナス40℃ですから、気温が3℃や5℃上がっても融けることはありません。また、国連のIPCC(温暖化に関する政府間パネル)の最新報告(2007年)では、「南極の気温は低温で、降雪が増えるので、気温が上がると氷が増える」と明記されています。従って、温暖化して南極の氷が融けると言った科学者はそれによって起こる損害に対して責任を持たなければなりません。

3. ダイオキシン

ダイオキシンは水俣病などの教訓を活かした「予防原則(1992年リオデジャネイロ合意)」で「科学的な因果関係は不明だが、臨時に規制する」という概念です。従って、「ダイオキシンは猛毒だ」という科学者はダイオキシンの規制によって発生した金銭的損害(1年1800億円の税金と言われる)に対して責任があると考えられます。(予防原則である=人間にたいした毒性に関するデータは無かった、と言えばOKです。)

4.  リサイクル

学問的には19世紀中盤から「エントロピー増大の原理」が認められていて、リサイクルを行うことは物質やエネルギーを余計に使うことになります。したがって、リサイクルが資源の節約になると主張する人は、エントロピーが増大しないか、エントロピー増大の原理が間違っていることを実証する必要があります。

私たち科学者は相手が一般人で科学を知らないからという理由で、これまで確立されたものを否定するには慎重でなければなりません。特に、今問題になっている被曝などについては、「1年1ミリ」が国民が作り、国民を守るための法律ですから、それに違反する科学者はよくよく考えてください。

(平成24年1月12日)


--------ここから音声内容--------


ええと、大変重要なことなので、ここで少し丁寧に説明をしたいと思いますが、科学というのはですね、学問の自由があって、何でも発言できるんですけども、その何でも発言できるっていうのは、無制限というわけじゃないんですね。えー、これはあの、権利っていうのは無制限に発揮できないわけで、権利に伴う義務というのがあるわけですね。ま、学問の自由もそれなりに規制があります。規制って言いますか、限度があります。




えーとあの、ほんとの研究者同士でいろいろ議論するときはいいんですけれども、科学者が社会に対して何かを発信するときはですね、それが社会に影響を及ぼしますから、これについてはですね、どういう規制があるかっていうと非常に簡単なんですが、これまで科学で判っていることはですね、必ず言う、と。法律で定められてることとかですね、そういうことは必ず言う、と。その上で、自分の見解を述べるという、こういう制限が要るわけですね。




ていうのはあの、社会は必ずしも科学者じゃありませんから、科学っていうのはこう、積み上げてですね、ある、こう…体系化されてるわけですね。ですから、「これについてはこう考える」 「これについてはこう考える」、それを守る必要は無いんですが、それは紹介はしなきゃいけないんですね。




それで自分の意見がそれとどこが違うのか、なぜそれが今まで社会で認められてこなかったのか、ってなことを説明せんといかんわけですね。もちろん科学的にものを言うときには、政治とか利権とか名誉とかお金とか嫉妬とか、こういったものは入れないというのも、まぁこれは当然なわけですね。



私が非常にこう、今まで変だなと思いまして。よく私、『武田独自』と言われるんですけども、私はですね、結構「独自」じゃないんですよ。私、科学者としての訓練受けてますので、科学を問題にするときは、必ず今までの確定したものというものによって、それがおかしいときは、それがおかしいと言う、という順序を使っとります。



えー、それを少し紹介しますが、まず『被曝限度』ですが。これは何回も言ってますけども。日本は民主主義なもんですからね。日本人は自らを被曝から守るために、法律とか規則とか指針を作ってるわけです。これは政府が作ってるわけでもないし、安全委員会が作ってるわけではないんですね。基本的には、国民が作ってるわけです。




それはあの、事故の起こる前までは「1年1ミリ」というふうに、まぁ決まっておりますし、また原発が事故を起こしたときにもですね、「事故が1万年に1度程度のもんならば、1年5ミリまでは許される」ということで、まぁ決めてるわけですね。ですから、まぁ私が「1年1ミリ」と言いますと、『独自の見解』と言われることがあるんですが、そんなことは全く無いわけですね。



というのは国民がですね、もし「1年20ミリ」とか言いますと、国民が被曝の危険性に晒されますし、それは国民が決めた法律にも違反するわけですね。ですから「1年1ミリ」以外のことを言う人はですね、科学者としての責任を取らなきゃいけません。




ええと、それはですね。ちゃんと紹介してないわけですから、いけないわけですね。1年20ミリと言っても構いませんが、その人は法律が「1年1ミリ」であると言うことをまず言って、そして「事故のときでも5ミリ以上はダメだ」ということをまず言って、「なぜ自分の学説が今まで採用されなかったか」と言うことも説明しないとですね。やっぱりいけないわけです。特に「1年1ミリがICRPの勧告だ」なんていう間違ったことを言うのはですね、やっぱり非常に危ないですね。




それに関係する、今までのことをちょっとお話しときますと、『南極の氷』ですけども、学問的には氷っていうのは温度が上がったら融けるわけじゃなくて、0℃を超えたら融けるわけです。従って、南極の気温が何度かってことになるんですけども、南極の氷は-40℃ですからね、それは3℃とか5℃上がっても融けることはありません。これが学問であります。






更に、国連のIPCCもですね、最新の報告で「南極の氷は温暖化したら増える」と、こう明記されてるわけですね。従って、もしも自分の見解が「温暖化して南極の氷が融ける」というふうにお考えの科学者は、それをそのまま言った場合はですね、それによって損害が起きた場合は、それは自分の責任ということになります。




これは『ダイオキシン』でもそうですね。ダイオキシンというのは「水俣病」などの教訓を活かして、「予防原則」っていうのができました。予防原則ってのは、科学的な因果関係は不明だけども、臨時に規制するっていうものなんですね。従って、「ダイオキシンが猛毒だ!」と言った科学者はですね、ダイオキシンの規制によって発生した金銭的損害、これは税金で1年に1800億といわれておりますが、それに対して個人で責任を持つ必要があるんですね。






ていうのは、ダイオキシンが毒があるかどうか科学的な因果関係はないと、まず言わなきゃいけないんですね。それに対してもしも、自分のご意見が違えば、それは言っても構わないんですが、「自分は毒性があると考えている」と、こういうふうに言うんだったらいいんですね。そうしますと、聞いてる方は「あ、そうか。学問的には判ってないんだな」と、いうことがまず分かって、それで、まぁしかし臨時に規制するのは悪くないですからね。「臨時に規制したんだな」と。






従って、この場合の科学者の態度は、私がずっとそうしてきたんですけども、科学的な因果関係は判んない場合は「危険じゃないですか?」と言うんですよ。それはいいんですね。それから因果関係が判った2001年以降はですね、「どうも毒性は弱いらしい」と、こういうふうにいうのが正しいわけですね。ええと、これはどういうことかって言いますと、科学は実験事実とか因果関係が判明してから、ものを言うべきなんですね。だけど社会的に臨時に規制するというのも正しいですから、そのときには、「臨時に規制している」と「まだ因果関係は不明である」と、まぁいうふうに発言するのが正しい、というふうに思います。






それから、『リサイクル』はもっとすごかったんですね。ええと、これはですね、学問的には19世紀の中盤から「エントロピー増大の原理」というのがあるわけです。これはもう科学をやった人なら、誰でもが従うものなんですね。で、もちろんこの「エントロピー増大の原理」が間違ってるかもしれません。しかし今のところ、科学ではそういうふうにしてるわけですね。






そうしますと、リサイクルを行なえば、物質やエネルギーが余計に使うことになります。従って、もしもですね、リサイクルを「資源の節約になる」と主張する人はですね、科学者であれば、まずは「エントロピーが増大しない」とか、「エントロピー増大の原理が間違っている」ということを、最初に言わなきゃいけないんですね。




これはですね、私たち学者というのはですね、学問の積み重ねを一応、基盤にしてるんですよ。学問を捨ててですね、自分の意見だけ言うというのは、学者ではないんですね。特に、一般人で科学を知らない人に言う場合はですね、「今まではこうですよ」ということを言わなきゃいけないんですね。






例えば、今の被曝の問題ですと「1年1ミリ」っていうのは、専門家がいろいろ考えて委員会で決め、それをまぁ国民が納得して法律とか規則にし、それを今まで守ってきた、ということですね。




だから、これはあの私、今まで長い、まぁ十何年かの活動っていいますかね、社会との接点という意味では、今までと同じような感じですね。ええと、やっぱり我々日本はですね、科学技術立国ですし、やっぱり科学者とか学者っていうのは、その倫理っていうのがあるわけですね。それはやっぱり、あくまでもまず自分の主張をされる前に、「これまで学問というのは、こう考えてきたんだ」ということをですね、はっきりと説明して、それに対して、「私は独自の見解を持ってるんだ」ということを、言うべきだと思います。






変な話ですけども、『被曝』に関しては私はですね、全然「独自」じゃないんですよ。ええと「1年1ミリ」という法律を、ただ説明してるだけなんですね。ですから、その他のことを言われる人は、ご自分のご意見を言うのは構いませんが、そのときに、「1年1ミリ」というのが、なぜ決まっていたか? それに対して、自分はどこが違っていると思うから言うのか、それは法律を変えてから被曝限度を上げるのか、それとも法律はそのままにして被曝限度を上げるのか、っていうことを言わなきゃいけませんね。





そいから、もちろん法律には、一部の法律以外は「1年1ミリ」と書いてありません。例えば、「何万ベクレル以上は放射性物質である」とかいうことは決めてますが、これは「1年1ミリ」というのを決めてるから、そこから専門家が計算してるんで、それもご存じないっていうことになると、これはまぁ科学者とか学者ではありませんからね。だから、別の立場で自由な思想としてお話になる。しかし、「私の言うことは科学的根拠ありませんよ」とこう言わなきゃいけないってことになりますね。






これはですね、現在の原発事故、それに伴う非常に厳しい今の日本社会においてですね、日本がリニューアルして明るい未来を作るためには、私たち科学者がですね、やっぱり、「科学者の限度」をですね、きちっと守っていくということをですね、進めていかなきゃいけないと、私はそういうふうに思っています。


                  (文字起こし by danielle)