2011現代エネルギー論12. 易しく話すことと難しく解説することの差(12/18) | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

(文字起こしをお手伝いして下さった方からの投稿です。danielle(ダニエル)様、ありがとうございました)


2011現代エネルギー論12. 易しく話すことと難しく解説することの差(12/18)


--------ここからブログ記事--------


ここまでエネルギー問題を優しい言葉、つまり科学的用語や計算を使わずに進めてきました。特に自然エネルギーなどはエネルギー密度が大切なのですが、それにもあまり触れずに考えました。私がなぜそのような方法をとったのか、その意味はどこにあるのかについても触れます。山片蟠桃(やまがたばんとう)の「大知」(だいち)という概念も考えます


--------ここから音声内容--------


えーと、今までエネルギーという問題を、このところでまとめて話をしてきたわけですね。
まずこの主題はですね、原子力というものをもしやらない時に、本当にエネルギーは無くなるのか?…我々はメドウスの話からスタートして、石油・石炭が無くなるのは当然であるという風に考えてきましたが、本当にそれは当然なのか?という事を主にやってきたわけですね。


代替エネルギーと称する自然エネルギー、水力発電・風力発電・地熱発電それから最近の太陽光というのはですね、こういった自然エネルギーというのは一体何なのか?という事も話してきました。


それからもう一つ、エネルギーはどうしても世界で目を向けなければいけません。何故、世界で日本だけがエネルギーを節約しているのか? 何故アメリカなんかは節約してないのか? 開発途上国というのは一体どう考えているのか? これがまぁ大切なわけですね。


日本だけで考えますと、何か石油・石炭が無くなるとか、節電しなきゃいけないって事になるんですけども、
それは世界の中の問題なんですね。資源が無くなるとかいうのは世界の問題です。もちろん道徳的に節電するとか、これはまた別ですよ。道徳的でないものについては、世界の問題なんですね。



その時に私達が考えなきゃいけないのは、増長しちゃいけないって事ですね。日本だけが特殊な事を考えてはいけない。やっぱり世界と歩調を合わせなきゃいけない。世界は全く節電したり、省エネしたりしてない。これは何故なのか?と。



これはやっぱりですね、聞かれた時に答えないといけない訳ですね。「省エネルギーするのは当然じゃないか!」とかですね、余り飛躍してはいけない、と。ま、それをやってきました。


こういった事を話するのは非常に難しい内容でしたが、実はですね、ここでは通して普通の人が普通に解るような話、もしくは用語を使ってまいりました。例えば、エネルギー関係では一番ここで困難なのはですね、自然エネルギーなどを話す時に「エネルギー密度」っていうのが非常に重要なんですね。



原子力っていうのは非常に良いって言ってる一つの理由は、エネルギー密度が非常に高い、つまりものすごい熱を出すっていう事ですね。これが危険も伴うわけです。つまり、危険な物はそれだけエネルギーも容易に取れる、と。ま、こういう風に言っても良いんですね。

そうしますと原子力は一番良くて、それから石油とか石炭とかそういうものすごく火力を出すものがあって、それからずーっと下に下りて、一番低いところに例えば、太陽光発電というものがある、と。



そうするとですね、ま、お鍋でラーメンを沸かすって事で言った訳ですが、原子力発電所の中に鍋とラーメンを入れますとですね、二千何百度ってなるわけですから、
もちろん普通はもう少し低い温度で制御はしてますけども、基本的には二千何百度になるわけですから、もう溶けて無くなっちゃうわけですね。


火力発電所なんかですと、火を焚けばガスでラーメン沸かしたらグラグラと煮える、と。それから夏の暑い時に縁側にですね、鍋に水を張ってそこにラーメン入れて置いといても、それは全然、生煮えのラーメンしか出来ない。これが「エネルギー密度」なんですね。


ですからエネルギー密度を横軸にとって、縦軸にエネルギーの…電気の取り方っていうと、やっぱりエネルギー密度が高い方が取れますよ。という、そういう線になるわけです。



今、自然エネルギーが良いと言ってる人はですね、それに対する答えもやっぱり示さなければいけないと思います。



この2011年シリーズはですね、この一年、原発事故が起こって私も色んな事を考えました。皆さんも今までに考えた事が無い事を考えたと思いますが、私もですね、エネルギーとか環境に関係があるといってもですね、やはりもう一つ深く考えました。



その…一番私がですね、あぁ、これまで考えた事が余り無かったなぁと思って反省した一つはですね、原子力発電をやれば必ず被曝します。だから被曝するっていう事は、被曝と健康の関係がしっかり解ってなければ、原子力をやっていけなかったな、と。これがですね、私の一番反省事項でした。



原子力発電所が安全だ、安全じゃない、の前にですね、人間がやる事は必ず失敗があります。その失敗の時にどういう影響があるかって事も解らずやった、というですね、これはやっぱり問題ですね。ここに非常に大きな問題があったと思いました。



じゃ、何故私がそういうものに気が付かなかったのか、と思うとですね、やはり、難しい話し方、難しい論文の感じだったなぁと思った訳ですね。つまり、物事を易しく話すとか、余り知らない人に良く解って頂くというのはとても難しいんですよ。それを、やっぱりやるという事が非常に重要だという風に思いましたね。そこに我々の間違いがあったと、いう風な反省もあります。


この意味では私ですね、江戸時代の非常に優れた思想家と言いますか、商売人と言ってもいいんですけど、
「山片蟠桃」っていう人がいますが、この人がですね、知恵というものを色々分類しまして、その中に「大知」という概念があります。この大知という概念はですね、「大きな知恵」という事なんです。これは彼によるとですね、「一人の知恵ではない」って言うんですね。「大勢の人が集まった知恵は、一人の優れた人が考えるよりか優れているんだ」というのが「大知」って意味ですね。
これ本当にそう思います。



例えば選挙が行なわれますとね、いろいろな観測がありますが、選挙結果が一番、知恵の凝集ですね。
だから民主主義っていうのは良いんでしょう。今のところ、一番良いシステムだと考えられてんだと思いますね。



じゃ、この「大知」というのを学問の分野に取り入れたいとこう、私思ったわけですよ。つまり、エネルギーとか原子力とか難しいものを皆で考えてみる。そうしますとね、私は今度ブログというものをやりまして、色々なご意見が来ております。それでですね、私は随分と新しい知恵を得ました。これこそ正に、「山片蟠桃の大知」がですね、メールという手段、ブログという手段でですね、現実に実現できた、という事ですね。


これは大学の中でエネルギーを考えるよりか、遥かに高いレベルのエネルギーを考える事が出来ました。
その意味でですね、このシリーズも出来るだけ易しく話す事によってですね。多くの皆さんから知恵を頂いて、
それを私が考える事によって更に深い理解までいきたい、そして日本は今後エネルギーどうするか、原子力どうするか、環境どうするか、社会をどうするかという事に考えを至っていきたい。これを、まぁ新年に終わりそうにないんですが、新年もかけてですね、やってみたいと思っています。