読者のご質問に答えて13. 医者の発言を考える・・・2種類の専門家(12/18) | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

(文字起こしをお手伝いして下さった方からの投稿です。danielle(ダニエル)様、ありがとうございました)


読者のご質問に答えて13. 医者の発言を考える・・・2種類の専門家(12/18)


--------ここからブログ記事--------


お医者さんの一部の方ですが、1100ミリなどと言っている方がおられます。社会的影響が大きく、本当は心配ないのかなと悩んでいる方からのご質問が多いので、お答えしておきます。


この社会は2種類の専門家がいます。一つは「自由な研究者」であり、もう一つは「社会と関係している専門家」です。その一例が、「法学者」と「裁判官」で、法学者は「どのような法律を作ればよいか」の研究を自由にしますが、裁判官は自分で法律を作ってはいけません。それは医学でも教育でも同じです。


法律が11ミリと決まっている時に、医師は11ミリ以外の数値を「社会に向かって」してはいけません。特に被曝中は禁止されます。


--------ここから音声内容--------


えーと、あのもう一つお医者さんの話が続くんですが、まぁ、お医者さんの言う事は皆さんが信じる訳です。
信じた方がいい訳ですよね。病気にかかったときにお医者さんを信頼して、私なんかもどっかのお医者さんにかかると、もう絶対にそのお医者さんの言う通りに行動するっていう…そういう態度の人なんですけど。
まぁそういう事は良いわけですよ。専門家に掛かるときはですね。



それに応じてお医者さんもですね、普段から信頼が得られるように行動するという事が、またお医者さん側に求められるわけですね。



で、この前もテレビでお医者さんのお一人にお会いした…後のお二人は「1年1ミリシーベルトじゃなくちゃ危ないですよ」と、こう言っておられて、一人だけが「もう…いくらでもいい」って言っておられるお医者さんがおりましたね。



その方とお話しして、まあ、福島の山下先生なんかもそうなんですが、ちょっと錯覚されてるな、と思いましたね。
テレビなんか、よくネットなんかで出ておられる稲先生とか、中川先生おられたかな?
えーとまぁ、あのそういう風にかなり強硬にですね、1年1ミリシーベルト違反してもいいよ、と。
こう言っておられるお医者さん、もしくは医学の専門家がおられるんですね。



で、この人達が何が良く解っておられなかったかと言いますとですね、この社会には2種類の専門家がいるという事をご存じなかったようですね。
一つは自由な研究者で、一つは社会と直接関係する専門家なんですね。



この例は、例えば法学者、法律を作る法学者と、法律を使って人を裁く裁判官、の例が一番良いんですけども、
法学者は法律をどのように作るかという事だから、色々な法律を考えたり、国会に提案する時にその原案を作ったりという事をするわけですね。



ところが裁判官はですね、自分では法律を作っちゃいけないんですよ。これはね、自分では言っちゃいけないんですね。
ところが患者さんに接するのは、裁判官だけという事になっているんですね。これは何故かと言いますとですね、まぁやっぱり例えば自分が裁判になったりしてですね、「そんな事は大した事ないよ」なんて、法学者に「殺人なんかどうって事ないんだよ。大体人は必ず死ぬんだから」なんて言われて、動揺しますでしょ?


ですから自由な研究は認められるんですけれども、その自由な研究っていうのは出来れば専門家の間で議論する。
もし専門家の間でなくても、それが行われてない時なんかは良いし、また人の健康とかにそういうのに関係無い、お金の話だったらいいんだけど、裁判とか医療とか教育のようにですね、なかなか後戻り出来にくいというものについてはですね、やっぱりこれは専門家が良く考えなきゃいけない訳ですね。



これは医学でもそうで、私がよく言うのは安楽死でも臓器移植でも、自由な研究やって良いんですよ。
そうしないとですね、医学進歩しませんから。
しかしそれをですね、直接、市民にお医者さんが語り掛けちゃいけないんですよね。
「いやぁ、大丈夫ですよ。あの、こうでもいいです。ああでもいいです。」と。



ある医者がですね、毎日毎日、自分で肌を傷付けるとガンに対して強くなる、と…こういう研究をするとするじゃないですか。それは自由なんですね。ところがそれを直接「是非、毎日毎日皮膚を切ってください。」と言っちゃダメなんですよ。


これは、その方法が専門家の間で合意されて有効であるということが判って、そしてやるんですね。
つまり、自由な医療の研究者っていうのは自由な行為が出来るんですけども、市民に対してはやっぱり言うことが制限されるんですね。



教育もそうなんですよ。どういう思想研究をしても良いし、まぁその、自殺するのがいいとか、そういう研究も在り得るでしょうね。だけども、学生にですね、そのまま言っちゃいけないんですね。
やっぱり学生に言うのは学問として固まっているものを言う、と。もしくはちゃんと決まっているものを言う、と。

これ、国家が決めるんじゃないんですよ。



私はツバルの事で、教科書に「ツバルは沈んでる」という、教学社というとこの教科書でしたけど、これについて教学社に掛けましたらね、環境白書に書いてるヤツなんで、「これダメですよ。」と言った訳ですね。
教科書というのは政治的な集団、官僚だとかそういうとこのものを取っちゃいけない訳ですね。
あくまでも学問的に正しい事、これがまぁ基本になるんです。それが合意されている事、ということですね。



ですから、私がお会いした「1年100ミリでもいいよ」とか言っている先生はですね、どうもね、ご自分がお医者さんとは思っているのかな?…ちょっと良く解りませんけど。医学研究者であることは確かなんですよ。
医学研究者とか、医療研究者であることは確かなんですけども、裁判官とか弁護士とか教師のようにですね、
自分で判断したことを直接相手に言ってはいけない仕事ではないんですよね。



だから、そこんところを履き違えておられるようですね。
これは難しい職業倫理の問題ですから、私なんかこれで学会の賞を取ったぐらいですから。まぁ、あの難しいんですね。難しいけども、ダメなんです。



だから法律で1年1ミリの被曝と決まっている時にはですね、治療に当たる医師は1年1ミリ以外の数値を社会に向かって言ってはいけないんです。
これはね、特に被曝中はダメなんです。被曝してない時は、まぁある程度言っても良いんですよね。
社会活動として、「実は1年1ミリに決まってるんだけども、もう少し多くてもいいんですよ」とか、「少ない方がいいんですよ」と言ってもいいんですよ。だけども、被曝


中ってのはダメなんですね。



よく私が例に取るのは、高速道路を80キロで走ってる人に向かって「120キロで走っても良いですよ」と交通の専門家は言っちゃいけないし、そういう例が多いですよね。

被曝してる最中とか、運転している最中とか言うのはですね、やっぱりそれは専門家はちょっと控えなきゃいけないんですね。




で、まぁその運転が終わって、誰も高速道路で走ってない、と。じゃあ「最近の高速道路は便利になりましたので、道路企画も良くなったんで100キロぐらいに上げても良いんじゃないですか」とか、そういうことを言っても良いと。



例えば酔っ払い運転。酔っ払い運転が禁止されてる時に、酔っ払い運転して良いって言うのはやっぱり良くないんですよ。「私は酔っ払ってもね、意識がちゃんとしてますから、酔っ払ってる人でね事故起こした人は余り見ていません」とか、そういう個人的な事を言っちゃいけないんですよね。やっぱりそれは、「酔っ払い運転はいけません」と一応言わなきゃいけない。



だけどもしかして世の中がですね、衝突防止装置が完璧になって、まぁもしかすると「酔っ払い運転でも良い」となるかもしれませんね。
そういう風になってきた時に、今度は「酔っ払い運転が良い」と言ってもいい訳ですね。
酔っ払い運転では年間200~300人しか亡くなりませんからね。そりゃ死ぬ人に比べればすごい少ないんですよ。交通事故全体に対しても、ものすごく少ないんですよ。



だけども、そういう議論をしちゃいけないんですよ。そういう議論をするんではなくて、やっぱり法律で決まってるものはですね、専門家と言われる人はですね、それを尊重しなきゃなんないと。
この事を何回も言ってますけども、今でもそういう発言を繰り返すお医者さんがおられるんでね、
「ちょっとあなた、どっちなんですか?
」と。
「自由な研究者なんですか?それとも治療を担当するお医者さんなんですか?」
と言うことをですね、もう一回自問して頂きたいなぁと思います。