「望むことが好きな人」が「ウィッシュリスト」を作るだろう。
望む望まないそんなの関係がない
ウィッシュリスト何か作ったこともない、と
なぜならば
望む望まないに関係なく起きるべくして起きることが起きると
そう考えてることができる人
それが今を生きることができる人。
ウィッシュリストを作って、達成の快感を味わっているのは、過去の年表を開いて、歴史辿っているのと一緒。
これに気づくとウィッシュリストは必要なくなる。
願望ができる原因って何だと思う?
自分が今クリエイトしたことだと思う?
そういう風に思うことすら決まってたって気づくと楽になる。
その願望を思いついた自分だけが、特別な自分?
いやいや、それもこれも全部同じ自分。
その願望思いついたのは、自分の経験、背景、歴史から。いやもしかしたらそのものも関係のない何か生まれる前から決まっていたものかもしれない。ただ言えるのは自分で決めたものではないと言うこと。
例えば大統領になりたいという願望があったとしても、その人自身が持つと決めたものでは無い。
もう生まれる前に台本渡されている。
だから台本に沿うために、
願望のしかるべきタイミングで持つようになっている。
台本の中身はカチカチカチっと決まっているわけではない。
多少物語が前後することがあるかもしれないしそれは周りとのハーモニクスによって多少変動があるかもしれない。
けれども大まかにして大体は目的を達成できるようにできているのでこまかな部分は関係がない。
これはアカシックレコードと呼ぶ人もいる。
アカシックレコードを正式に読めるような人になるような訓練は受けていない。
そもそも他人や自分のレコードを読む気もない。
なんだろその願望を皮膜を張ったように私は
いまは見る気がなくなった。
なんでかな。
決まってるものは見なくても良いと思ったのかも。