人間は今というものを
永遠に感じることが出来る。
そういう生き物だ。
私は今の生活を
最初の1か月は堪能していたが
その後今を生きることを放棄してしまった。
そしてまた2週間ほど前に
今を生きることにした。
なんて素敵な生活なんだろうかと
かみしめる。
求めていたときだったんだなと
ふと感じる。
朝早く起きて
息子に食事を作り
化粧して、保育園に送り
家にかえり
きままにして
やることはやり、
映画を見て
おやつ食べて
旦那が喜ぶだろうかと考えて
スーパーに行って食材を選び
息子を迎えに行って
食事を作る。
そのあとはさらに楽しい。
食事の後は
気ままにごろんとして
息子と遊んだり
ゲームしたり
風呂入って
息子と会話して
そしてくっついて寝る。
パラダイス。
この日々を私は求めていたのかも。
私は思うけど
過去に30年間のダークな生活があっても
30秒の今の最高の純度の高い幸せがあれば
過去のことなんて
どうでもいいと思う。
関係ない。
過ぎ去れば
また「今」が変わる。
でもその今を
ただただ生きていれば
連続する不幸も
連続する不安も
連続する幸せも
実はないと気付く。
単純に「未来はこんな風になると楽しいな」と
望むのは
今に影響はないが
未来がもっとこうなるといいのに
と言う「今に不満」前提だと
今ある状況が「不満な生活」になる。
あたりまえなんだけどね。
ただの「感じ方」の話なんだけど。
どんどん変わる。
どんどんボールをパスするように
ただただ私たちは
目の前に来たボールに意味を与えず
パスしていくだけ。
それでいい。
ボールを自分で走って取りに行くんじゃない。
ボールは目の前に勝手に来る。
走って取りにいったボールは
他人のボールかも。
それはそれで
いいけど
止まってボールを待っていた方が、時空が歪まず
今を感じられる。