エヴァンゲリオンで
あの弱音男シンジが
綾波のためなら
自分がどうなってもいいくらい
頑張れちゃう理由、
それってなんだろう。
いつも思う。
単純に
自分が自分のために
自分を癒すためだけなら
きっとあそこまで頑張れない。
相手が自分ではない人だから
(自分ではない人のように見える相手だから)
彼らのために頑張れるのだ。
私も子供のためならば
どんなことでも頑張れる。
まさに火事場のくそ力を出せると思う。
自分のためなら無理。
これってなんだろうか。
しかもその力って
本当に人を感動させるよね。
自己犠牲ではない。
ただ純粋な力なのだ。
もとは自分の
癒えていない部分の投影かもしれない。
でも、
相手が自分ではなくなった途端
なんていうかね~
恐れのエネルギーの方向性「→」がない状態で
「愛」が発動される気がするんだよね。
なぜなんだろうねえ。
人のためのほうががんばれるのは
なぜなんだろうねえ。
そして人のために頑張ったほうが
幸せなのは
なぜなんだろうねえ。