願いは願いにしない方が叶う | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

自分で願っているうちは
願いは叶わない。

当たり前だけど。

自分で願って
願いを握りしめて
毎日その願いを唱えるとか

それじゃかなうわけがない。

私という個が
願いを叶えるならそれでいい、
でも違う。

願いを叶えるのは
私という
全体性が叶える。

つまり

なりたい
ほしい
したい

一人称で思う
状況比較から
考えたアイデアは

から滑り。


じゃあ、どうやったらかなうのよ?
というと

願いを
自分の身にしみさせて
そのアイデアを
自分の中の当たり前にして
いちいち考えないくらいの、当たり前に
したらいい。

よく、スピリチャルでいわれる
すでに叶っているように振舞えとかいうやつに
似てるけど

ちょと違う。

あれは表面の話だけど
本当に
「考えないこと」が大事だから。


叶ってるひとは考えないから。
叶ってることをいちいち。

自然にそれができるためには

いろいろ
いちいち
なにかと
意味を持たせないこと。

自分自身や
まわりの人の言動とか
状況とかね
なんでも
意味を持たせないこと。


そうするとかなう。
当たり前だけど。

つまり願いの叶え方なんてない。


願いが願いのうちに
かなうこともあるが


実際そうでないことのほうが圧倒的におおい。
だって、毎瞬毎瞬
目の前には思い通りの現実があるんだからさ。

意識してやってんのは
そのうちどんだけかって話じゃん。

「願い」という
特別枠に変更した時点で
ゲームに変わり

なかなか叶わないという定義があたえられるんだからさ。

願いにしないほうが
叶うんだよね。

今日、夕飯食べられますように!

とか願わない私は

夕飯を毎日食べることができるのは
当たり前なんだもんね。

メモ。