願いがすでに、かなっているなあって
笑った昨日。
そうだな、毎日、毎瞬
願いはかなっている。
私って
「母みたいになりたくない」って
ずっと
母をクローズアップしてきたわけだ。
母みたいにってのは
家事をしない父親の
犠牲者であり
貧乏で
貧乏くさくて
安いものばかりかって
同じメニューの料理ばかりワンパターンで作って
仕事も
のんびりで
楽な仕事して
マイペース。
部屋がかたずけられない。
いまいち常識がない。
そんな母親を見て
あ~
こんな貧乏くさくなりたくないなって
父の文句言いながらも
父に従っていたくないなって
そんな妻になりたくないと
ずっと思ってて
それって
「こんなふうになりたい」って理想でなく
「母みたいになりたくない」ということであり
逆に言うと
母という存在をクローズアップして
ずっと執着して生きていたことになる。
なりたくてもなりたくなくても
クローズアップしてフォーカスしたものが
実現するのだからね。
「母」のようになりたくない!=「母」のようになりたい!
だからね。
どちらも同じ。
なりたいも、なりたくないも
関係ないのだ。
こう、という状態だけが私の中に残る。
同様に
貧乏になりたくない。金に困りたくない。=貧乏になりたい!金に困りたい!
ということになるわけだ。
フォーカスした状態が実現する。
否定形で
「こう」はなりたくないって
形で念じるなら
「こう」なってしまうのよ。
「ああ」なりたい、という願いが
「こう」なりたくない、というところが来ていれば
「ああ」ならず「こう」なる。
当たり前のことに
笑いが出る。
そして
母のように
願いどおりに
なれた。
想像していた
不幸はなく
幸せだったという。
ああ、この状態が
私がずっと長年執着して恐れていたものだったの?
これって幸せじゃん。
そう思った。
だって
もう
状態とか関係ないから。
そして
気が済んだのだ。
だからもう
母に執着することが
もうなくなっちゃった。
だから
もう
こうなりたくないって思いが
なくなった。
父みたいになりたくないってのが
まだあるのか?
それももう達成したんじゃないかな。
おもしろいよね。
あとね、もう
本当の願いは
言葉にせずとも
自分のソースには届いている。
だから信頼していればいいのだ。
まだその願いを
手に握りしめているなら
かなわないよ、それは。
願いは
手放さないと
かなわない。
なんでかって
当たり前のことだからなんだよね。
今まで本当になぜ気づかなかったのかも
面白いなあ。
○○な状態になりたくない
って思いが
◆◆な状態になりたいという思いの源だったら
まず○○状態を達成。
○○状態を堪能し気が済んで
それでも◆◆になりたいかって
それは変わってくると思う。
だからその時点で新しい
△△な状態になりたいなって
ピュアーに思って
自分を信頼して
手放せば
かなう。
あたりまえのことだったなあ。
しつこく書いてるけど
もうこの後、同じ体験してもここまで感動しないだろうからいまだけ書く。
願いがかなわないはずがない。
恐れからくる願いは本当の願いじゃないからかなわないだけ。
もっと強い願いがそのバックにあるから。