ずっとこの一か月くらい
親
がテーマにまた浮上し続けていて
とはいえ
実生活では普通に仲が良いが
私の中の問題である。
母に会うと
昔の母の私に対しての言動について
今になって文句を言ってみたり
母は「え~そうだったっけ?」なんて本当に忘れてる。
そんなこと
2,3度あったりして。
あ?今になって私は何を
親に言ってるのだ?と思ってみたり。
まあ、そんなことだけでなく
いろいろあるのだけど
結局
気付いたのは
親に感謝しきれてない私。
幼少時代の自分をつくった親が自分人生の基本なのに
親を否定していたら
自分を否定しているのと一緒だということ。
受け入れたつもりだったけど
まだまだ奥にくすぶったものがあったようだ。
それがちゃんと現れてくれた。
親に感謝しきれてないのは
親が自分の人生を制限したと
信じているからだ。
仕事のほうは
父のほうから来ている。
そして
お金に関しては
母から来ている。
お金がないという幻想に包まれて
安いものを買う。
安い食材を買い、調理してこれでもおいしいね、という。
しかし不安は尽きなくて
お金がこのままずっとなくて調整する日々が続くのではないかと
妄想する。
このままでは・・・と。
昨日、ふと
私は過去の母親の亡霊(生霊)を背負って生きているのではないかと
思った。
そのときにふ~~~~~っと
いろんなことを感じた。
そうだな、母も父も
今の私と旦那みたいに
金がない、と思いながら
それでも我慢して
自分の物を買わずに子供のものと
最小限のものに使って
生活してたんだと。
自分の好きなもの買わないで
我慢して。
私と旦那は
では息子の人生を制限してしまうのか?
祖父母が父を制限したように。
父と母が私の人生を制限したように?
制限って何よ。
本当に制限だったのか?
父も母もつつましやかな生活が
好きだった。
コントロールできるのはそのレベルだったと
考えるのが
普通かもしれない。
使い方がわからん人のところに
金は来ないもの。
お金は
いくら持っているかではなく
使い方を知っているかが
重要なのだ。
使い方を知らない人のところには
金は来ないのだ。
貧乏人は
おそらく
金持ちの動きを知らないだけなのだ。
高級食材を食す感覚を知らないのだ。
海外旅行に罪悪感なしに行く感じを知らないのだ。
ただそれだけなのに。
つづく