探してもないのは当たり前 | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

自分は自分。

ずっと自分。

ほかの誰の
思考パターンも通用しない。

誰の歴史も適用できない。

ほかの誰にもならない。

「その人」みたいに、なんてならない。

なりたいという願望が生まれたら
反応した部分だけを見ると
そこに自分がいるのに気付く。

ああ、「その人」じゃなかった、と。


私は私なんだなと
改めて思う、感じる。

そして
安堵する。


誰にもならなくていいのだと。


許されているのだと。
私が私でいることが
罪のような気がしていた。

だから、他人になろうとした。


アウシュビッツ時代の過去生の影響もあるだろう。
でもきっと
ほかにもある。

緘黙時代にいじめられたりした記憶もあるからかも。


最近、苛めれられたり
迫害されたり
自分が自分のままでいけないという

誰かのようにならなくてはいけないという
考えがうかび

結構苦しい時もあったけど

大丈夫だ。

もう。

私は私だ。



誰かがつきたい席を探してつくのでなく
誰かの席にあこがれて同じような席を探すのではなく

私は私の席に着くだけ。


それだけでいいのだ。
そのためには

探さないこと。


単純な、事実。


探してもないのは当然だろうなあ。
ここにあるのだから。