さてその後
私はどうなったかというと
高校生の時には
学年で一番目立つグループにいつの間にかいて
そしてクラス投票で勝手に選ばれて
体育祭の女団長になり
どこに行っても友達がいて
仲の良い先輩がいて
私は自由だと感じた。
どこのグループに属するっての
一応あるんだけど
私においては
どこに行っても
迎え入れられた。
まさに一匹狼。リベロ。
私は
皆に認められる喜びを知った。
そして
どこかに属することは
こだわらないまま今もここに生きている。
どこかに属することは
女性らしい。
いいかもしれないけど
○○ちゃんと最近仲いいね、とか
グループから離脱騒動とか
くだらないことが起きるし
もともとグループ所属なんていらず
自分が心地よいところに
今、いればいいと思っていた。
だから私を都合のいい奴と思ってた人もいるかもしれないが
その人たちこそ
所属を好む女子そのものなのかもしれない。
でも気にならなかった。そういうことを気にする世界に
私はいないと知っていたから。
文化が違うだけで。
どこに行っても一匹狼のほうが気持ち良い。心地よい。
もちろん友達はいる。
その時どき、仲の良い人が必ずいるし
目上の人や目下の人とも
いい関係は作っている。関係づくりはスムーズで、いがみ合うこともない。
そんな私がなぜ今いじめの記憶を
甦らせたのか、だ。
ふり幅から行くと
すごく素敵なことを期待するのである。
いじめ
迫害。
その後の私はどんな気持ちになったか、という話だ。
対極の、
周囲のすべてに認められた気持ち(錯覚)は
かなりの快感であった。
人ってそんなものかもしれない
みじめな気持ちが
その対極の快感を作るのだ。