迫害の記憶② | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

さてその後

私はどうなったかというと

高校生の時には

学年で一番目立つグループにいつの間にかいて

そしてクラス投票で勝手に選ばれて
体育祭の女団長になり

どこに行っても友達がいて
仲の良い先輩がいて

私は自由だと感じた。


どこのグループに属するっての

一応あるんだけど
私においては
どこに行っても

迎え入れられた。


まさに一匹狼。リベロ。


私は
皆に認められる喜びを知った。

そして
どこかに属することは
こだわらないまま今もここに生きている。


どこかに属することは
女性らしい。

いいかもしれないけど

○○ちゃんと最近仲いいね、とか
グループから離脱騒動とか

くだらないことが起きるし
もともとグループ所属なんていらず
自分が心地よいところに
今、いればいいと思っていた。

だから私を都合のいい奴と思ってた人もいるかもしれないが
その人たちこそ
所属を好む女子そのものなのかもしれない。


でも気にならなかった。そういうことを気にする世界に
私はいないと知っていたから。

文化が違うだけで。


どこに行っても一匹狼のほうが気持ち良い。心地よい。

もちろん友達はいる。
その時どき、仲の良い人が必ずいるし
目上の人や目下の人とも
いい関係は作っている。関係づくりはスムーズで、いがみ合うこともない。


そんな私がなぜ今いじめの記憶を
甦らせたのか、だ。

ふり幅から行くと
すごく素敵なことを期待するのである。


いじめ
迫害。

その後の私はどんな気持ちになったか、という話だ。

対極の、
周囲のすべてに認められた気持ち(錯覚)は
かなりの快感であった。


人ってそんなものかもしれない


みじめな気持ちが
その対極の快感を作るのだ。