共感こそ 最大の愛?③ | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

昔、私が子宮頸がんの検査をするときに休むことになり
そのとき、店の責任者の女性にそのことを伝えた。

そのとき、彼女は「あーそれじゃ、代わりに誰か来るのかな」と
共感も寄り添いもナシで、事務的なことを言ってきて
なんかすごくがっかりし、彼女はこういう人なのかなあと思ったことがある。

しかしさばさばしているだけで、彼女は非常に気持ち良い性格の人だと知っていたので
なんか悲しかっただけだったけど

後日、あとから彼女が私のところに来た時に
いろいろその手術について聞いて来たり、その情報を聞いて「へー」と感心などしていった。

基本、彼女に共感は無かったのだ。

でも私はそこに薄情さを感じなかった。

そう、共感ばかりが愛じゃないのだ。


私はそう感じたときもある。

共感ばかりで結局自分のことばかり考えて自分の話ばかりする人もいる。
お話泥棒というタイプ。人のトピックも全部自分オチ、という… 笑

そういう人も見たことがある。
だから、それが愛があるかって違うのだ。


まるで違う話。


だけど
私が愛と共感を一緒にしていたものだからこの感覚のずれが生じていたのだ。