共感が愛ならば
経験、つまり感情経験が少ない人ほど愛がないという
そういうことになる。
しかし私は
母の愛を感じる。
息子が病気だから見てもらいたい、と実母にメールした。
働く母の気持ちを知らない母だけど
「大変だね、いつでも見るよ。突然でもいいからね」とか
返してくれる。
彼女は働く私のことに共感は出来ないかもしれない。
だけど
愛は確実に感じる。
義理の母に対してもそう。
みな、思いやってくれていることを
すごく感じるのだ。
特に昨日感じた。
そして
共感なしでも、人を愛していると
言えるのだと
そう思った。
ありのままを受け入れてくれることこそ
愛なのかもしれない。
共感なしで
理解は難しいかもしれない。
でも状況を知るのは本当にその本人にならなきゃわからないから。
だけど
愛は関係ないのだ。
息子を愛することは
「共感」なしでは無理だと思っていた。
インフルエンザだって自分にも移ってしまって
同じ苦しみを味わいたい とうっすら昨日の午前中まで思っていたのだから…。
相手の苦しみを知りたい!
何故ならそれが私の愛情表現。それこそ愛。
感覚的にそう思っていた自分に気付いた…。
共感は
共感に過ぎない。
もちろん人にやさしくもなれる。
でも自分の癒しのために共感なのか
相手を理解するための共感なのか
それって全然違うなあと思った。
ああ、よかった。
何事も適切なタイミングだなあ。