おおきさ、レベル | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

よく
「次元が違う」とかいう表現があるが
本当に次元が違うということが
普通に存在することが

わかった。

それは
どっちがいいとかじゃないんだけど。


でもおのずと
より幅広く
視点が高い位置にいるほうが
そうでないほうを

かわいらしく思ったりするし

大人が幼児のいたずらや
はしゃぎっぷり、
癇癪を起して暴れているのを
暖かく見るような

そんな感じで。

見るような感じになる。


決して、見下しているのではない。
これは、間違いない。


人は自分の大きさで
自分のレベルでしか

相手を見れない。

したがって
自分が成熟するにつれ
相手も大きく見える。
見えなかったところが見えて
相手が変わったように見えることもあるわけだ。

子どもが大人になる過程で
親を許すことも同じなのかな。


人は
動物を見て
動物に感情があると思って
話したりするけどね
でも

ありんこさんは
人に感情があるとわかるかな?


だから、より
精神的にレベルが高い人は
相手の高い部分を見ることができるので

相手が子供であっても
かわいらしい部分も見るけど
尊敬すべき部分も同時に見ることができる。


結局は自分の大きさ
自分のレベルが外に見えるだけ。


かわいらしいものばかりあることは
ありえない。

なぜなら
かわいらしいひと、つまりたとえば
行動が、心と統一されてなくて
混乱している状態の人でも

その人の奥に
素晴らしいものが見えるから。

その素晴らしさにフォーカスし続けることが
むしろ気持ちいいので
そのままである。

今のかわいらしさは
仮の姿だなって
そう感じて彼らの表面の言動はスルー。
もっと本質を見ている。

だから
そんなふうに
年を重ねると
周りの人の、いいとこばかり見えるかもね。


自分の大きさの分しか
相手の良さは見えない。

それがミソ。


相手の良さがたくさん見える人は
きっと素晴らしい人なのかもね。

コンプレックスからとかで
相手の良さを見てるのは
「違う」んだ。
目が濁って本当の素晴らしさが見えない状態だからね。

アシタカ・・・
にごりなき眼。

そうそう、そういうの抜きでこそ
初めて見えるもの。

うらやむ気持ちと全くかけ離れた賛辞。


人間として生きる上で最高のものかも。
素晴らしい歌を聴いたとき
素晴らしいダンスを見たとき
素晴らしい演奏を聴いたとき
素晴らしい演技を見たとき
素晴らしい映画を見たとき

だけでなく
素晴らしい人と
お話しただけでも
思う。


だけどね、最近
目を見張るような美しい人に会えないなあ。
今日、一人だけ美しい人に会った。
通りすがりに、百貨店で、モデルかな?

目の保養も私は大事だなあ。
きれいなものが、好きだ。