現実創造とは
まるで
現実を特別なものにとらえるような分離感のある表現だけど
実際は
「自分そのもの」を
肉体を持って感じているだけの話である。
で、
たとえば
私が、ある特定の状況が嫌だから解消してほしい
と思っているとすると
その特定の状況があり
それを嫌だと思っている私がいる
という前提の条件がまず現実に必要になるので
あらわれる。
それを嫌だと思う自分、
解消しようと思っている自分、を
もれなく体感できるというシステムだ。
ああ、おもしろい。
今朝も旦那にあれしたの?
これしたの?って
がみがみしたけど
もうしてあったり
いまするところだったりで
全くがみがみする必要がなかったのに
私はがみがみした。
私が変わりつつあり
現実も
中途半端に形成中。
なぜなら信念的にはきれいになっていて
葛藤があまりなくなっている部分に
過去の記憶をかぶせて
その習慣を乗せるのだけど
適用されないというか。
葛藤解消されてない部分は今までどおりなのだろうけどねえ。
でも現実創造は
あくまで
葛藤から根底的にのぞかないと
ピュア~に創造されないのは確かですぜ。
創造されても一時的で、定着しないですぐもとの状態に戻ったり似たような新たな状況をうみだす。
がみがみしたい。
がみがみできる状況が欲しい
でも
がみがみする必要ない世界をすでに「知っている」
記憶、習慣
それが消えたらもう終わりの部分だったのか。