おとといは一日会議、講演会、懇親会等の運営
昨日は朝5時起きで東京、しかも国会議員さんがお仕事するような…慣れない場所に…。
荷物検査してはいるあたり、ちょっとやっぱ厳重よね。気疲れしたわ。
肉体的にも疲れた。
疲れたんだよ~~~。
息子が朝、咳をしてた。
おお?
揺れ動くか私。
あ、揺れた。
微妙に揺れて
15分くらい揺れたけど
「まあ、病院行けばいい」と
自分が腹を据えて対処すればいいと決めてからは気持ちが楽に。
なんてそんなことしてるうちに
「うんちでる!」と息子。
もう保育園の登園まで時間がないのに…とは思いつつ
まあ、そのときはそのときで
と気楽にしてたら
うんちはけっこうすぐでるし
咳は止まってるしで
ああ、よかった。
と思ってしごといって
そのこと忘れてたのに
帰り際に
「もしかして
帰ったら咳してたらどうしよう」とかそんなこと思いついちゃって
あれあれ、やられている。
息子の咳には病的に悩まされている私。
でも、そのときはそのときさと
一応病院よやくしとこっかとか
気の小さいことして。
で、帰りにスーパーへ。
そのスーパーの駐車場に車を止めて外に出たら
どこからともなく赤ちゃんの声。
まだ生まれて2~3ヶ月くらいの。
しかも声が泣き止まない。
しかも、母になったことのある人ならわかると思うが
「母不在」の声。
甘えなきじゃない。
え~~!!
車に置き去り!!???
少し小さめのキャンピングカーみたいなのがあってどうやらその中に。
全然泣き止まないし、母不在の声だし
もう私は心臓がどきどき。
どうしよう、このままこの赤ちゃん、死んじゃうかもしれないとか悪い想像。
お母さん、もしかしたら目の前のドーナツ屋さんにいって一瞬だけ、お買いものしているのかもしれない。
だから、大丈夫かもしれない。
そう思って
いったん気持ちを落ち着けて私はスーパーへ。
買い物を5分くらいで終えて、
足早に駐車場に戻ってみる。
胸はどきどき。
ハラハラ。
もう、私の方が死にそうだ。
「警察をまず、よばなければいけないのかな?それにしても私以外の人は気にならないのかな?」
そう思って恐る恐る駐車場に近づくと
あ、もう泣き声がしない。
その車に近づいてみると
女性の背中らしきものが見える。
あ、お母さんだ。
私はもっとのぞいてみる、と
どうやら車の中でおむつを替えている様子。
その覗き込んだ私を
お母さんも見たような気がしたが
私もすばやくその場を去った。
私を包み込む安堵。
と同時に
恐怖がよみがえるようだった。
もう、二度と嫌だと思った。
母の不在を叫ぶ
無力の赤ん坊をおいて
買い物に行くなんて何事だろう。
熱中症になるぞ。
暑くなくてもなるんだぞ。
毒づく元気もないけど
すごく怖くなった。
その恐怖をひとしきり味わい終えた後にふと気づいた。
ああ、これか、と。
息子の咳に感じる感情を拡大したものによく似ていた。
恐怖。
同じものを体験していたのだ。
大丈夫だろうか、
私がいないと
死んでしまうのではないか。
私は何かしないと
このまま、子供を殺してしまうのではないか。
私のせいで
子供が死んでしまうのではないか。
一瞬で襲ってくるパニックは
何かあると思う。
コントロール不能になる。一瞬。
立ち直るけど、
体調が悪かったり疲れてると、時間がかかることもある。
本当につらいのだ。怖いのだ。苦しいのだ。
私はすぐに咳をする子供であり
母の不在に泣き叫ぶ赤子であり
子供の病気
子供の死を
自分のせいだと嘆き悲しみ自責する母である。
息子の小さい時を
思い出す。
息子も、あんな風に泣いたのだ。
私は子供を車に置き去りにするようなこと絶対なかったが。
家で寝起きに
私を求める声で泣く。
求める声がつらかった。
愛してたのにね。
授乳を1時間半起きにするからまったく眠れないし、母も父もうつ病だったし
旦那は自分のことばっかり考えてたし
そんな風に感じる自分を責めた。
でも子供は
求めてた。
だって赤ちゃんはそれが普通だものね。でも
私は求められた形に合わせて自らの形を変える変形動物だったから
つらかった。
私はぐちゃぐちゃだった。
私がどうあるべきかは、他人が決めた。息子が決め、旦那が決め、義母が決め、世間が決め、一般常識が決めた。あるがままの本来の『私』は、奥に隠れ、悲鳴をあげて泣いていた。
でも自分のせいで
赤ちゃんがどうにかなるのが怖かった。
だって赤ちゃんは
私がいないと死ぬから。
絶対に。
こわかったよ。
今も怖いんだ。
あんなに元気なのに。
咳するだけで、食欲もあって元気で機嫌もいいのに
私は
まだ怖い気持ちを
相変わらず持ってる。
この不思議さ。