さて、そこで
旦那がどうであれ
私の持った感情を見つめてみる。
尊重されてない怒り
無知への怒り
思慮の足りなさへの怒り
想像力の欠如への怒り
自己中心的な振る舞いに対する怒り
自己防衛にとどまる人間の狭さへの怒り
怒りですね。
怒りのもとは
無知。浅はかさ。自己防衛にとどまる未熟さ。広がりのない自己中心さ。
さ、て。
過去の自分に対して同様に怒ったことはあったか??
あったと思うけどね。
でもそれじゃない気がするんだよね。
私の場面緘黙から抜けた後の
あのKY加減の実験的なコミュニケーションの中で
いかようにも
この感情は沸くと思うけど
でも許している。
優劣の中で生き
自分をさばいていた最近も許してると思う。
もっと深く
届きにくいところに
あるような。
どうしようもない自分を自覚しつつ
しかも猛烈に自分が嫌いで
でも、同時にそうするしかない
救いのない
ただただ嫌われながらも
自分でもどうにもできない。
そんなときが
あったと思う。
多分
現世でない。
その姿を
見てるのかもしれない。
だんなに。
旦那は嫌われ者じゃないけど
あの人の中に見る自分だからね。
弱きもの
弱い犬ほどよく吠える。
よくあてはまる。
知性のなさ。
教養がない。
粗野。
乱暴に感情を表現する。
相手の気持ちなんて
かんがえない。
なぜ考えられないかって生きてきた世界が違うから
そもそも別の種類の人間だと思ってる。
そんな人間を許せるか。
許せると思う。
だって
知らないだけだから。
彼は知らないだけだから。