二元性を必要しなくなるとき? | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

たとえば


悲しみを恐れず

喜びを味わうことができるようになり



憎しみも愛だと知ると



その形はもう必要なくなり現れなくなるのか?



いやそれは違うと思う



だって受け入れた人は恐れないから

どんなことだって

起きることは

自然と受けれているだけで

過剰に抵抗したり反応したりしないだけで

自分を楽しい方向とか

前向きな方向に合わせているだけの話



起きることは変わらないのだ



そして

その他大勢や地球や宇宙自然、動物、人工物、変な文化

そんなものが

自分にいつまでも働きかけてくるかというと

多分そう



自分という個をしっかりと見極め

楽しみ

愛し

受け入れたとしても

世界は

その他大勢やその他の自然や動物やいろんなものを

見せつけてくる


なぜか



二元的に

それらを利用することを終了しても

今度は違う意味で

利用できるからかもしれない



いいとこばかり見て楽しむのだ


お互いのいいところを見る

そして

ねたむわけでもなく

ただ素晴らしいと尊敬しあう

そして

尊重しあい

高めあう



人間の不思議なところは

触れ合う相手のパワーを自分に受け取ってそれをまた自分のパワーのように感じることができることだ



だからいつも一緒にいる人間って

自分にとって重要だ



人の種類によっては

周りの人間の影響を受けないタイプ

受けにくいタイプの人もいるだろう

でも

思いっきり受けるタイプの人にとっては

恋人、旦那、子供、家族や友達仕事の同僚上司なんてのは

超重要で

そういう他者の存在がどんなにか自分に影響を及ぼしているのかを知らなくてはならないかも